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大谷光彦のブログ

一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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目は口ほどにものを言う 

予想はしていたものの、再開してもやはりブログアップの間が空いてしまいます。

今年は病院との縁の濃い年になっていてまた病気の話です。今週火曜日に白内障の手術を受けました。濁った自前のレンズを人工のレンズに変える手術です。歳をとればだれでも視界が濁ってくるもので、5年前に右目の手術をして、今回は左目でした。

その先生は毎週火曜日の午後をこの手術に当てていて、今回は12人の連続オペ。なぜか年齢順に実施して僕は10番目。最高年齢の人が何歳かはわからないけれど、71歳で10番目と言うのは80歳代も結構いるのでしょうか? 自分は“若いのに白内障”になった人ということになるのか、それともまだ現役だから早めに処置している、という部類なのか、どう言ったらいいんだろうと、ちょっと考えながら順番を待っていました。

15分くらいで局部麻酔とは言え、気持ちの悪い手術です。
宇宙人に拉致されて体を固定され、強烈な光線の下、目の玉をえぐられているようなあの気持ちの悪さは半端ではないですね。しかし手術後の軽い痛みと靄がかかった目から次第にクリアーな景色が現れたときには感動があります。「目は口ほどにものを言う」だけあって、五感の中では最大に情報を得ている器官でありことは明らかですね。

あと何日かは感染症と衝撃に気を付けなければならず、洗髪洗顔ができないし、衝撃を避けるメガネをしていなければならないので暫しの辛抱です。
昔の人はこの黄ばんだ景色を仕方がないと諦めていたと思うと、医学の進歩に感謝ですが、人が長生きするようになったからそういう悩みにも直面するようになったとも言えますね。

さて連休が終わったらまた新らしい目で活動再開です。
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Posted on 2023/11/03 Fri. 17:50    TB: 0    CM: 0

初の全身麻酔とプロの技 

2年ぶりの投稿です。
コロナだのウクライナだのもあって、何か気持ちが弛緩していた2年間でしたが、この間古希も迎え、仕事も少しずつ整理してきたこの数年を振り返り、新しいことよりむしろ過去感じてきたことなどをまた発信したくなってきました。

一番近い過去の話から始めます。

この週末、とある手術を受けるため入院していました。初めての全身麻酔の経験でした。
執刀医は還暦近い(?)白髪の女医さん。最初はストイックで世の中におもねることを拒否しているような、よく言うと「凛とした」女性で、なかなか自然に話ができず、とっつきにくい感じでした。
しかし命を預けるわけなので、拒否してばかりではいけないとの計算が働き、良いところや好きになりそうなところを探そうと努力したものです。

しかし、そういう言う意識で見かたを変えてみると、とにかく公平、正直、無駄話をしない、マイペース、プロ意識、ルーティーンに正直、良く思われようとしていない、、等々、今の世の中では希少な部類の人ではないかと思えてきて、かえって好もしさ、共感のような感情が沸いてきたものです。これで手術を受けられると(笑)

不思議と彼女の手術の腕には絶対の信頼を置けると感じることができるようになり、最後は安心して「俎板の鯉」。
全身麻酔を受け入れることができました。酸素マスクを5秒吸ったら意識がなくなり、時間が一瞬にして飛んで肩を叩かれ、
名前を呼ばれてまた自分に戻りました。

何をされててもまったく拒否できない究極の自己喪失の1時間でしたが、麻酔の量も絶妙とみえ覚めるのも早かった

手術は腹腔鏡を使った胆嚢の全摘手術。病気は胆石症。
あまりに一般的で簡単と言われれば言われるほど実は高度な技術を要する難しい手術でもある、あの手術でした。彼女はおそらく5000回くらいは執刀している計算になるので手際が良いのは当たり前ではありました。

朝8時に入院して9時から手術。前日23時まで食事ができ、手術をした午後から歩行訓練。夜から食事をでき、2泊3日で退院できました。人工呼吸用の気管挿管はしたようですが、尿道のカテーテルもなし、剃毛もなし、パンツも履いたまま。電光石火の手術でした。

お腹に4か所の穴を開けましたが一番大きなものは臍を利用したもの。他は見てもほとんど分からないほどの小さな針の穴。
手術から5日経った今朝みたら、臍以外は殆ど見つけられないほどの傷でした。
これで食事も普通通り。まだ痛みが少しあって腹筋に力を入れにくいのですが、日々驚異的に回復しています。痛みが取れた飲酒も可能でしょう。

今となっては、医学の進歩と女医先生のプロフェッショナリティーに深く感動した経験となりました。
退院時の先生の優しくも”たおやか”で女性的なしぐさに自分の心の狭さを恥じた次第です。

いろんなことを想った初手術でした。またゆっくり感じたことを振り返ってみたいと思った初体験。

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Posted on 2023/09/27 Wed. 10:12    TB: 0    CM: 0

日本人と新型コロナ 

医者ではないからよくわからないけど、日本の新型コロナ感染者の劇的な減少は世界中から不思議がられています。確かにワクチン接種が国民の70%を超え、殆どの人が食事以外の時はマスクをしている。他の国もワクチン接種率は似たようなところがあるが、感染者は減っているどころか依然増加しているところが多い。ワクチンの種類の違いやライセンス生産のため品質に違いがある、と言うような指摘も見聞きしますが、専門家でも明確な答えを出せていないようです。

“マスクの徹底”はやはり顕著な差のような気がします。どうして日本はあんなにマスクが好きなのか?いやマスクが好きというのではないだろうが、少なくともそんなに嫌いではなさそう。ハグやキスの習慣がない。握手も外国人のようにすることはない。そう、体の接触を伝統的にしない民族だという事が大いに関係しているような気がします。

日本人は確かにどんなに親しい友人もそれほど親しくない友人でも身体表現はそれほど違わない。言葉の語彙や表現手段が豊富で多種多様なので会話の仕方で親しさの差を表現し互いに確認できる。わざわざ触ったりくっ付いたりしなくても距離感を区別できる。

また、マスクをしてない人に対する無言の圧力もありますね。ほとんどの人が当たり前のように黙々マスクをして歩いている様は時として不気味な感じすらします。やはり日本人同士が互いに感じている共通認識や同調性がこういう全体で一定の行動規範を守ることを得意にしていて、このような感染症には有効な民族特性であるように思いますね。という事はやはり諸外国に比べてより水際対策が重要であるという事でもあります。もっと言えば外国人の受け入れへの消極性や異文化容認をしにくい国民であることもうなずけます。

何はともあれ会食ができるようになって、我慢していた友人達から連日連絡があって11月~12月中旬までは物凄い勢いで夜が埋まってしまった。今まで会わない言い訳にコロナを使っていたけれど、これで断れなくなった人もいるだろうなあと思う次第。会って話して食事するコミュニケーションをとることを欲するのは諸外国と一緒という事か。違いは体に触れないことや比較的静かに話すこと? “静かに話す”は違うか!

オミクロン株という変異株が登場し、また新たな政権が出来て、日本の対応も違ってきていますね。流石に第5波までの知見があるので同じ轍を踏まないでしょうが、まだまだ見通しが立たない不安な時間が続きそう。またリアルには会えなくなるのだろうか?


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Posted on 2021/12/03 Fri. 14:16    TB: 0    CM: 0

善意のパラリンピックが終わった ~涙が似合う世界と喜べなかったアスリートたち~ 

昨日パラリンピックが終わりましたね。久しぶりに気持ちのいい多くの涙を見たような気がします。名前も知らなかった選手や競技、クラス分けの仕方や競技のルールに接することも出来ました。そして何より障がい者を近くに感じ、彼らの人間的魅力に接することができました。

印象に残ったのは競技を終わったパラリンピアンの喜びの大きさ。多くは感極まって涙を流しながらその喜びを語り、また異口同音に周りの方の支えや多くの人への感謝の言葉を述べるその姿。

障害を抱えながら今までどれだけ辛い思いをし、不自由を乗り越えてこの日を迎えたか。どれだけこの日を持ち望んでいてこの勝利によって報われたか。そんな彼らの想いに心を揺さぶられ一緒に涙ぐんでしまいました。テレビの解説者も涙ぐんで声を詰まらせる人が多かった。彼らの大変さに思いを馳せそれに負けなかった強さがうれしかったのでしょう。おそらく健常者のメダルには感じないもっと心を揺さぶられるものが確かにそこにはありました。

またこれらの画像を見ながら同時に思ったこと。勝ったかれらの後ろにどれだけ勝てなかったアスリートがいるのだろうか、喜びの涙を流せなかった競技者がいるのだろうかと。テレビの画面に出られず、家族や周りの人に“すまない”気持ちになったアスリートがいるだろうかと。

今までの努力が成果に繋がり喜びを爆発させることができた彼らをどれだけうらやましく思い、くやしさに耐えているか。また自信を失い、これからどうやって自分を立て直し前を向いて生きていくか悩んだり迷ったりしているかと。

勝者と敗者を分けたものは何だろう。健常者では感じることのできない屈折や障がい者の健全な自己肯定を想像し、自分が感じている自分にはそれを共有できない寂しさの理由を考えた。そして今回のパラリンピックのテーマ「WE HAVE WINGS」の翼とは。多様性、調和、共生社会、成熟社会とは。それらが如何に素晴らしい理想郷であるかという事は誰もが否定しないが、それゆえに如何にその実現が困難かも知っている。我々一人ひとりに内在する自然で無邪気な悪魔と、それを良しとしたくない戦う姿勢を好むもう一人の自分の事も。

そんなことを思い、そしてスポーツを自己表現にできている障がい者をうらやむ多くの支障がいを持った15%の人々とそれを支えている周りの人のことを思い13日間繰り広げられた競技の数々と日本選手が獲得した51個のメダルに思いを馳せていました。

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Posted on 2021/09/06 Mon. 10:24    TB: 0    CM: 0

パラリンピック ~公平とは~ 

パラリンピックが始まりました。考えてみるといままでパラリンピックの試合をこんなに見たことがなかったことがわかります。どんな選手がいるのかもあまり知らなかった。今回は日本での開催やコロナ禍でのステイホームということもあるでしょうが、もともとオリンピックに比べて人々の関心も高くなったということでしょう。従ってメディアも今までそれほど報道はしなかったということかと。「なぜそうなのか」、健常者の競技とどこが違うのか。そう言うこともいろいろ考えさせらてしまいます。

あれだけ細かいクラス分けをし、多くのルールを作るには今までどれだけの工夫が積み上げられてきたんだろう。「公平」とは何かということを考えるし、選手が負けた相手に示すリスペクトもオリンピックとは違う。かれらの明るさやとてつもないポジティブさを見るにつけ、恵まれている自分はどれだけその価値をわかっていて前向きに生きてきたんだろうと言うような自戒の念や反省の気持ちも感じます。

命の方が大切だと言って学校からの見学に異議を唱えている人が大勢いることに関しても、人生で何度もない感動と教育はやはり大きな関係があることを思わずにはいられません。対策を充分講じながらやはり何かを感じてもらう機会を提供すべきではないかと。何もしないで家に居ればリスクはゼロかも知れないが、フィジカルな条件だけで生きてきたわけではない選手たちのあの生き方は、何物にも代えがたい教育機会を提供していると信じたい自分がいます。

開会式もオリンピックのそれよりテーマ性があり、素直に共感できる内容だったように思います。
またコロナ以前からいろいろ賛否両論のあるオリンピック開催ですが、はやり開催できていることは幸せなことなんでしょうね。とりわけパラリンピックを見ていてその思いを改めて強く思います。世界の余裕であることは間違いない。たとえそれが無理をして背伸びをしたものであっても。

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Posted on 2021/08/28 Sat. 00:03    TB: 0    CM: 0

どうした日本? ~新型コロナ~ 

新型コロナに日本が、いや世界が振り回されるようになって1年半くらいだろうか?
確かに当初は私のような65歳以上の「高齢者」の重症化率と死亡率がとりわけ高いと言われ、恐怖を感じてかなり行動を注意したものですが、いくらなんでもこんなに長く続くとは考えていませんでした。おそらく日本人の多くは同じような感想を持っているのではないでしょうか。

ワクチンも接種がなかなか進まないとは言え、確実に接種者自体は増えているので、終息に向かうという予想が今年の春あたりには皆の共通認識になりかけましたが、結局新たに登場した「デルタ株」によってまた振り出しに戻ってしまった感がありますね。

国や行政の動き、政治家の言動、医師等専門家の意見、そしてマスコミなどのメディア、さらにYouTubeやSNSなどの個人の発信等々、もう様々な情報が飛び交い、混乱の極みという感じです。

今のところワクチン以外に対抗手段がないのに、国としては差別政策と言われることを恐れて強制やインセンティブ政策も回避しています。海外では接種証明書提示者への優遇を認めることをし始めているのにと忸怩たる思いがしています。合理的な理由がある場合は差別とは言えないし逆に接種者を増やすことが一番大切としている政策との矛盾をどう説明するのでしょう。税金の有効活用という点からも逆差別と言えなくもない。

政治家の説明能力の乏しさも考えると憂鬱になります。不都合なこと、誰かに不利になる事を指摘することから逃げる。曖昧にして空気でことを進める。日本の伝統的な文化なのでしょうが、「非常時」と言うならあまりにも無能です。何も解決しないどころか状況は益々悪化するのに。役割からの逃避がいろんな分野で起こっている。公の利益を考える品格がない。

感染者と重傷者が大変増えているのはデルタ株の蔓延にワクチン接種が追い付いていないからです。今のワクチンではデルタ株への効果が従来株より少ないのも事実でしょうが効果がないわけではない。特に死亡した人の何割がワクチン接種者かという数字を強調しないのも「差別助長」という理由なのでしょうが、私権と公共の福祉という民主主義の大原則にも合致しない不思議な現象ですね。

何兆円もの追加予算を獲得しているのに未だ有効に使われていないこと。とりわけ医療のひっ迫を回避できていないことにも苛立ちを感じます。施設や備品があっても人がいないという理由をよく聞きます。ならば集中的に医療提供ができるような対策、例えばそれこそ仮設病院のようなものを速やかに作って集中的に人力と設備を配置する。「災害医療」という言葉を医療関係者自らが使っているのだから何の違和感も最早ないように思います。

日本人は本当に非常時と平常時の切りかえが下手ですね。アングロサクソンは流石です。憲法改正や法律改正にも恐怖感を伴っている。集団麻痺のような現象がすぐ起こる。制度疲労、行政も目詰まり、群集心理、日本人の美徳と一時期言われた特性がことごとくマイナスに働いているのではないかと思うほどです。

とにかく、経済も回しながら感染者を縮小させる政策、重症化と死者を減らす政策が絶対に必要です。今回の感染症は戦後日本が初めて経験し、技術の進歩を享受していた世界にも大きな課題があることをまざまざと見せつけましたね。まずは終息に向けた効果的な対応を日本中で実施しなければならなりませんが、このことから我々は何を学び、何を変える必要があるのか、勇気を持った議論を国会、メディア、アカデミズム、企業などでしなければならないと思います。日本の物価が先進国一安いということとも通じるこの病魔をきちんと議論する理性が欲しいと思います。

今の体制ではやはりできませんかね? お前も批評だけしかしないのか? と内なる声が、、



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Posted on 2021/08/22 Sun. 11:24    TB: 0    CM: 0

アフガニスタン 首都陥落 

新型コロナ、線状降水帯、オリンピック、米中対立、カーボンゼロ等、ブログを更新しない間も世の中は新たなニュースに溢れていますが、新型コロナで始まった活動抑制とステイホームで自分としては今までに経験したことがないような単調な日々を過ごしています。
久しぶりのブログです。

アフガニスタンの話がコロナにかき消されようとしているようで気になっています。あのアメリカが余りにもあっさりと撤退しほぼ無血開城で肩透かしを食った感じです。2001年のSeptember11に起こったいわゆる「アメリカ同時多発テロ事件」は、僕が23年間務めた会社を辞めて1か月目に起こったショッキングな事件でした。対テロという名の戦争が始まった大事件で、それに端に発したアメリカのアフガニスタン侵攻とそれに続くタリバン政権の崩壊が一体何だったのか。この静かな幕切れに接して感慨に沈んでいるところです。

首都の「陥落」という言葉を久しぶりに聞きました。私より年配の人はあの1975年4月30日の「サイゴン陥落」の情景をまざまざと思い出したのではないでしょうか。国家と言うのは何とはかなくて脆いものか。国家統治のイデオロギーが真反対になることの恐怖。力やお金でねじ伏せられない戦い方を見てイソップの「風と太陽」を思ったものです。

「陥落」というのは敗北感を伴う言葉ですが、タリバンから見たら勝利を記念する日ですから、この見方自体がいわゆる西側先進国の見方であり、それはテロの温床としてのアフガニスタンへの恐怖とも結びついています。

東西冷戦という共産主義と自由主義の対立が自由主義の勝利で終わった後、今世界は自由主義の綻びと貧富の格差を背景とした宗教や人種の対立の様相を呈しています。東西ドイツの壁が崩壊した時には想像しなかった世界です。

女性への男性従属の強制、酒や豚や犬の忌避、ラマダーンの厳格実施、生活の中でのコーランや祈りの重要性など、数多ある宗教の中でもかなり厳格に妥協なく生活の規範として存在している仕組みだと思います。タリバンはそれを国家統治のシステムとして使用するとみられていて、これが自由主義を標榜する欧米諸国との軋轢を生む最大の理由ですが、宗教の教義が厳しく、またそれを現実の生活を律する制度として存在させるのは、やはり経済的な貧しさと無縁ではない。イスラム教の教義はアラブの自然の過酷さと無縁ではないし、アフガニスタンの場合はそれに貧困が加わっている。さらに近代国家として統治していくその能力を自前で持てないその民度の低さがそれに追い打ちをかけている。

2019年の12月に凶弾に倒れるまでアフガニスタンで医療活動を続け、最後は水の不足が最大の問題だと考え用水路の建設までしていたあの中村哲医師のことが頭をよぎります。

国民の教育から始める国の再建が必要だと思うし、特に女性が教育から遠ざけられていることが子供の教育機会喪失に繋がり、それが宗教の厳格な解釈にブレーキを掛けないことに繋がり、そしてそれが国の近代化を妨げ、貧困の原因を増幅させるという負のスパイラル。

今日本のみならず世界中が新型コロナ禍で忙しく、アフガニスタンのこの静かな「陥落」に対して充分目を向けていないという印象を持っていますが、これはSDG‘sという掛け声が溢れている中で、世界が関心を持たなければならない大きな事件です。

今回タリバンは国際社会、特に欧米諸国から政府承認を得ようと、女性を含む人権侵害をしないという声明を出している。あの苛烈な教義に基づく宗教システムがある以上、また近代国家としての統治能力が大いに疑問視される今、それを言葉通り信じる国は多くなないでしょうが、ではどういう方法で問題を解決するのかという処方箋は、アメリカが下りた以上簡単には見つからないし、どの国もアメリカの代わりをする力もないしその気もない。アメリカに対抗しようとする勢力が親タリバンを演じることが、事をさらに複雑にするでしょう。

手詰まり感は否めないですね。中村医師を輩出した日本はこのことにどう対処すべきなのだろうか。彼の偉業とこのことをどう整合させたら良いのだろうか。せめてメディアがそういう視点でこの事件を取り上げて欲しいと願いつつ自身の無力感に暗たんたる気持ちになります。悪い話が続きますね。

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Posted on 2021/08/19 Thu. 00:58    TB: 0    CM: 0

ハラハラドキドキ大阪都構想 

週末の大阪都構想の住民投票、得票数が刻々と動いて、どちらに転んでもおかしくない展開。興奮して見ていました。住民投票を身近で経験できることは滅多にないし、しかもこんなに日本中が注目するような重要な決定につながるものは更に珍しいからです。最近ではBrixitの例がありますね。あれは国の運命そのものを決めるような大きな決定なのでもっと注目していた。イギリス人だったら尚更だったと思う。都構想の方の結果はまたしても否決。未来志向をすれば大阪都の方が良いと思うが、変化には恐怖が伴うの今生きている人は反対する可能性の方が高い。皮肉にも日本維新がトップをとって以来、二重行政をかなり改善させたことが大きい。変化しなければ未来がないという危機感もなく、まあ大義が少ないということだったんだろうね。若い人はあまり関心がないこともある。しかし直接民主主義に慣れていない日本では一種の政治的お祭りとして興味のあるイベントでした。さあ次はアメリカ大統領選挙ですね。

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Posted on 2020/11/03 Tue. 19:01    TB: 0    CM: 0

ペットロス 

西の方角から驟雨が幾度も街を覆っては止む休日の今日、なぜか今月7月3日に亡くなったバルザックのことが思い出されてちょっと気持ちが沈んでいます。18歳8ヶ月という長寿を全うした堂々の最後でしたが、逝く直前は壮絶な生との戦いを見せてくれました。2週間くらい前から食べ物を受け付けなくなり、1日前から水も欲しがらなくなっていて、いよいよその時が来たと覚悟をしていました。ちょうどこの日は仕事の打ち合わせで出かけていて、もう少しで看取ることができないところでした。家内が異変に気づいて膝の上に乗せていたら体が痙攣を初めて、私の帰りを今か今かと待っていたようでした。そして帰宅は運良く息を引き取る1時間前で、彼の最後に立ち会うことができました。我々に看取られながら残った生の力を全身で絞り出したような壮絶な最後でした。

子供の頃から犬や猫と暮らしてきたのに、ペットの死にここまで引きずられたことは無かったように思います。自分の残っている時間を数えるような歳になってきたことや、新型コロナでの家籠り生活など今までとは違った状況に置かれているからだろうと思っています。しかし、18歳8ヶ月といえば人で言えば100歳を超えていて、生まれた子供がもう少しで成人という時間の流れです。もう次の犬を飼う気になれないのも当然です。とても彼より長生きできる自信がない。

ペットロスという言葉がありますが、初めてその気持ちがわかったような気がしています。多少手術をしたり最後は斜頸と言って首が傾いてぐるぐる回るような状態になって腰も立たず不自由な状態でしたが、本当につい先日まで食欲もあっていわば老衰のような自然死。天寿を全うした一生でした。人が逝く時も同じなのでしょうね。食べなくなり飲まなくなり自然に体力を弱めていく。そして死に抗おうとする生命力をわざと弱めて自然に苦痛を減じていく準備をする。そんな気がします。

全てに時がある。だからせめてその時まで心のまま前向きに生きられればと。
バルザックからまた改めて教えてもらったような気がします。動物でも近い命はやはりこたえますね。
バル18歳プラス バル18歳



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Posted on 2020/07/25 Sat. 15:24    TB: 0    CM: 0

新型コロナと企業研修 

コロナの感染者がまたじわりじわりと増えてきました。最初の波が過ぎたのは間違いのないところですが、「コロナショック」とでも言える「初もの」への恐怖が少し減ってきていることも確かです。人の中には必ず「慣れ」という薬が潜んでいて、どんなショッキングなことでも時間によって耐性ができていくものだからです。

今の世の中を見ていると、コロナが“全く目に見えないところにいる敵”ではなく、“居るところがわかっている敵”になってきた感じがしますね。「正しく恐れる」とは良い言い方をしたもんだと思います。

ながく企業の社員向けのメンタルヘルスの仕事をしてきましたが、この何年かはむしろcareやcureよりprevention(予防)の方に関心が強く働くようになってきていました。

例えば出血しているような時にはまず止血しなければ命に関わる。しかしそれを通り過ぎると、“出血しにくくするにはどうしたら良いか”を考えるようになります。その方が最終的には効率が良いからです。ヒューマニーズの仕事はもちろんメンタルヘルスの予防に向かってどんなサービスができるかを目指していましたが、危険を予知して目に見える被害が起こっていないときに、企業として費用をかけ、直近の不便を承知で、そのためにエネルギーを割くことはなかなか余裕がなければできないものです。

ヒューマニーズの社長を辞めて、少し周辺から物事を見ることができる立場になりました。そして思うことは、この予防そのものを企業に訴えて行ける立場になったという自覚を持てたということです。

3年前に「一般社団法人 組織・人能力開発研究所」という長い名前の法人を設立しました。その名称で企業の従業員の中の、次世代のリーダー候補を対象とした研修を始めました。見かけは「メンタル系」の領域ではありませんが、それはメンタルをもっと大きく、もっと「普通のこと」として捉えるという発想から来ていると言っても良いかもしれません。

つまり、「生き生きと働く」ことが一番メンタルの問題を包括的に遠ざけることになり、その意味では当然「予防」になるというアプローチです。この社団法人で実施しているのは「コア社員」研修と言って、”会社の経営に主体的に関わる自分の意欲と、その意欲を会社の未来の成長に結びつけるだけの能力を会社に認めさせ、それを自分の成長につなげることができる能力にまで高めることができる社員を目指す”というような研修です。うまく言えませんが、自己主体主義とでも言うようなものです。

そんなうまい話があるのかと思いますよね。でもこれは研修によってある種のスキルが身に付いたり知識が身に付くような研修ではないので、もちろんそんなに簡単にそんなことが実現できるわけではありません。

ポイントは「自分の力で考え、自分の言葉で発信し、会社の将来を自分のこととして考え、真摯に課題に向き合い、大真面目にその解決に会社人生をかける」ような姿勢を身につけることを目標にしている研修です。外資系の会社にいた時、「self-driven」という言葉をよく耳にしました。言ってみればそんな社員になって欲しいという研修です。

ヒューマニーズを経営しながら、常に悩んでいたことのひとつに、社員は性善説で考えるのか性悪説で考えるのか、ということがありました。今はこう思っています。組織を無機質な大勢の人の集団だと捉えればそれはあくまで人の行動は性悪説、つまり易きに流れ、エゴに従って行動し、決して会社組織に奉仕するよう「自発的に」動くことはない。別に悪意があるとかという意味ではなく、人の自然で平均的な行動はそのようになると考え、規則を作り、強制的に枠をはめ、組織全体の最適解に向かって統制のとれた行動をとらせる、ということです。軍隊の機能を維持するなどはその典型でしょう。

しかし、もっと少人数、あるいは一握りの幹部社員や経営層を考えた時、やはり一人ひとりの能力が圧倒的に重要であり、マクロ集団の物理法則は適用できないと思うようになりました。多くの社員の平均点を教育や育成によって上げていくのは本当に難しいと思います。ところが少人数の対象に、それらの個性を無視して一定の無機質なルールを課していくのもまた「人的資源」の活かし方としてはどうなのかと思うわけです。いわば性善説です。

今私がいくつかの企業で行っている「コア社員研修」は、言ってみればこの少人数の社員に個別に存在する「少し前向きに生きたいエネルギーの芽」を、肯定的に意識的に自分の力で発展させるきっかけ作りのお手伝いをしようというような研修のつもりです。

実はその姿勢を持ち続けられれば、さっき言ったメンタル的にネガティブになる可能性を少なくし、自分の意識すら客観的に見る視点を持ち、自分の組織の中での位置を鳥瞰することができるということだと思っています。そしてそんな社員は組織に依存ししがみつくのではなく、上司に対してすら寛容になり、組織の課題にも忍耐力を持ち、大きなキャパシティーの中でその解決を図っていけるのではないか、と。会社という組織自体は結局利益を作る個人に歯向かうことはできず、その人間を重用する原理が働くはず。そしてその社員は幹部になり、権限を持ち、自分の意図することをより実現しやすい環境に自分を置ける。たとえ特定の上司に疎んじられ、「出る杭」が」打たれようとしても。

最初にコロナのことを言いましたが、消去法で感染しない方策に逃げ込んでいると、経済的に命が断たれてします。国に補償を皆が求めれば国家が破綻する。「正しく恐れる」は「賢く恐れる」ことであり、それが長期間続くであろう新型コロナと共存しながら結局は勝利する方法なのだと思うわけです。社員が生き生きとすることは免疫とも関係するはずで、その根っこは同じなのではないかと。

私の研修もコロナによって4月と5月はまったくできませんでした。6月から少しずつ、そして7月から開始の運びになった企業が増えてきました。また緊急事態宣言が発令されないことを願いつつ、私の研修の方向性とコロナへの対処の仕方は深いところで根っこが同じテーマでもあると、改めて思っている今日この頃です。

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Posted on 2020/07/05 Sun. 23:52    TB: 0    CM: 0

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