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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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「ヒト」ではなく「人」になった難しさ 

(前回のブログの続きです)

“人は能力ではなく意欲で仕事をする” の続きですが、能力というのは、“より有利に生きていける技術”というようなことでしょうか。教育や努力によって高めることができる力という感じがします。スキルのようなものも含まれるでしょうね。でも、人の力とか勢いというのは能力ではなく、気持ちとか生理的な力である、ということを言いたいのです。

「人間は知的動物」という言い方をしますが、これも非常に注意を要する言葉です。メンタルヘルスと言うのは、人の原点に回帰することにかなり近いという感じを持つに至っています。余裕があるとき「ヒト」は「人」を自覚しますが、余裕がなくなると「人」という自覚はなくなります。大震災や火事のような自然災害が突如襲ってきたとき、人は動物になります。「脳」を経由しない行動をとります。このことは知的動物という言葉の本質を語っていて、知的ではない動物もやはり僕たちは「人」と呼んでいるのではないかと思うのです。

意欲は感情であり、感情は生理であり、主観であり、余裕があるほどその理由や原因を探す動物なのかも知れない。今の日本は未来を複雑に考えられるほど豊かになり、未来をシンプルに考えられないほど貧しくなった。メンタルということはそういうことを考えることなのでしょう。

メンタルヘルスをビジネスとして考えることに戻ります。ヒューマニーズの仕事を格好良く言えば、社員を幸せにするお手伝いをすると言うことになります。それができれば会社は利益を挙げられます、という文脈です。
こういう視点で、我が社の役割を重要さで順番にすれば以下のようになると思います。
1. 気持ち(つまり意欲)が低くなった人をこれ以上低くしないようにすること
2. 意欲が元に戻るようにし、かつまた落ちないようにすること
3. 簡単には意欲が落ちない人にする、またはそれを可能にする職場環境にすること

この中で一番難しいのが、3の「意欲が落ちにくくすること」です。これが永遠の課題です。人はどういう条件を与えた前向きな気持ちになるのかさせるのか、しかもそれを会社という組織の中で実現する、そういうことの難しさです。

メンタルヘルスというようなものが医療のテーマになったり、ましてや人事コンサル的なテーマになるほど日本は豊かになったとも言えるし、豊かさの難しさをまさに今突きつけられているとも言えるのです。

お腹一杯食べて、何の悩みもなく、何の恐怖もなく、ただひたすら眠りに落ちることができる我が家の17歳の老犬、バルザックに学びます。

たぶん、このような背景で捉えるメンタルヘルスは、きっと「自分と向き合うこと」だったり、「自分を肯定したりそのまま受け入れる」ことだったりするのだと思っています。難しく言えば自己客観視ですか。実に逆説的に余裕がないが故にそれを余裕と感じる境地ではないかと。

シンプルな「幸せ感」は、身近で、そして本当に足元にあって、だから気づかない。まさに「青い鳥」ですね。それに気づくのが難しいほど情報が氾濫し、お利口にならなければならないという洗脳が横行している。そういう時代であるがゆえの現象なのでしょう。

こう文字にするとこのテーマがいかに難しいのか分かります。特にビジネスとして考えたとき今だに手探りで、シンプルに語れないもどかしさを感じます。

「ヒト」は簡単なのに「人」は難しい。自分は簡単なはずなのに考えることは自分を難しくする。ましてやそれをビジネスにすることはやはり難しい。

17年間走ってきましたが、経営者として“自分と向き合う”ことを学んだ17年間でした。そしてそれによって幾らか成長させてもらったような気がします。
それ自体が僕の、僕のための、メンタルヘルスだったように思います。

会社のことはやはり難しい。社長辞任関連のブログはこの2回でやめてまた次回から普通の自分のブログに戻ろうと思います。ヒューマニーズのお客様(企業とその社員の皆さま)と、長くこんな社長に付き合ってくれた社員に感謝します。ありがとうございました。
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Posted on 2018/06/04 Mon. 23:21    TB: 0    CM: 0

人は「能力」ではなく「意欲」で仕事をする 〜ヒューマニーズの社長を辞して〜 

5月末日付で(株)ヒューマニーズの代表取締役社長を退任し、本日付で会長となりました。創業以来17年近く代表を務めてきましたが、会長と言う半分名誉職のような立場になりましたので、少し実務を離れた立場で会社を見られると思っています。今日から何回かヒューマニーズのことを少し書いてみたいと思っています。

2001年に脱サラをしてロンドンに親会社のあるコンサルタント会社の日本法人の代表になったのがそもそもの始まりです。その子会社として従業員のモチベーションマネジメントのひとつとしてのメンタルヘルスに着目し、ビジネス化してきたのがヒューマニーズです。

メンタルヘルスというのは「人」の深いところと格闘することであり、まさに人の根幹に位置するような領域に踏み込む作業になります。我が社は会社の従業員を対象とする、いわゆるEAPをなりわいにしてきましたが、このサービスは、心の問題が会社の中の問題だけではなくその人のパーソナリティーやプライベートな領域とも不可分な問題であることを前提にしているため、職場や組織の話だけでは終わらない非常にデリケートで複雑なサービスになるわけです。

そこがいわゆる体の健康という伝統的な保健領域と異なるところであり、文明の発達した現代では身体の健康が占める課題は格段に縮小し、多くはメンタルと言われる、心の、つまり脳の、不可解な感情を含む広範囲でかつ医学的にもまだまだ未知のメカニズムを相手にするということは、それ自体残されたフロンティアのひとつと言っても過言でないと思ってきました。従って、今振り返って見ると、それをビジネスにすること自体とても難しい課題を終始抱えてきた、という印象を持っています。

メンタルヘルスビジネスは、一方で医療業界、一方で保険業界の一部のようになっています。人件費がもっとも大きなコストであることを考えるとその生産性と会社の利益は非常に密接に結びついていて、「健康経営」という言葉が今流行っている理由もそこにありますが、今まで私はそれらと一線を画した経営をしてきました。もちろん顧客企業の産業医や人事労務の方との連携はとても大切なサービスの根幹ではありますが、少なくとも経営という視点ではそれらから独立した、むしろ人事コンサルタントのような立ち位置を大切にしてきました。それはヒューマニーズが英国系人事コンサルタント会社の一部としてスタートしたからでもあるし、私自身がメンタルヘルスの専門家ではなかったことと関係しています。

人はとても厄介な「感情」という大きくて無視することができないエネルギーに支配されて生きています。自分の損得や好き嫌いは常に理性的・合理的な判断を蹴散らします。どんなに綺麗ごとを言ってもそういう感情の生理現象から逃れることはできません。そう、人は好きなことと得なことしかしないのです。
だから、不愉快さ、自信のなさ、面倒くささ、希望のなさなどネガティブな気持ちに支配されながらすることは何であれ力を発揮でないし、ましてや仕事など前向きにできるわけがありません。場合によっては歩く気力、食べる気力、話す気力もなくなる、そして生きる気力さえなくするような根源的な影響を与えるのです。とても苦痛であり必死に自分を「理性的」に奮い立たせなければ前に進むこともできませんが、そのエネルギーさえ失われてしまうということが起こります。

私は医者でもないしカウンセラーでもなく単なる経営者でしかありませんので、専門的にこの事を理解しているわけではありませんが、このビジネスを通して、人の意欲というものがどれだけ大きな存在か深く考えるようになりました。

“人は能力ではなく意欲で仕事をする”のです。  (次回に続く)


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Posted on 2018/06/01 Fri. 17:32    TB: 0    CM: 0

震災後最初のハーモニー 

今日も蒸し暑かったですが、昨日ももう初夏の陽気でしたね。液状化で大きな被害を受けた新浦安で、震災以来初めて公民館が使えるようになって、昨日初めてサキソフォーンのメンバーが集まって音を出しました。1人欠けたので5管だったのですが、やはり仲間が集まってハーモニーを奏でるのは格別です。うっ屈していた気分が少し晴れ晴れとしました。

1曲目は新しく仕入れた市販の楽譜で「宇宙戦艦ヤマト」。もうすこし面白くなかった。2曲目はこの日の為に僕が編曲したフランシス・レイの有名な映画の主題歌「男と女」。バリトん2本様に編曲して低音をバリバリ効かそうと思ったのに、1本しか参加せずやや拍子抜け。でもまあまあの出来と、自画自賛。

編曲(まあ作曲もそうだけど)は皆で生の音を出すまでのあのワクワク感がたまりません。ある程度イメージしていますが、実際の音を出した時でなければ善し悪しがわからないん。細かいところで全体を駄目にしてしまったり、技量が楽譜について行かなかったり・・・面白いものです。

コーラスも皆人間の声という共通点があります。サックスだけのアンサンブルも同じように同じサックスだけでソプラノからバリトンまで出すので、同じ音質です。だから綺麗に6つの音が重なった時などは、本当に涙が出るほどゾクゾクします。

連休最後の日をそんな過ごし方をしました。そのせいか、今日は仕事に戻ってまた違う脳を使うのに少々苦労しました。一気に仕事をしてまた週末を迎え、また曲を書こう。人間、こうして攻めて、遊んで、休んで、攻めて・・
とにかく一杯一杯好きな事を努力しながら形にして行きたいですね。

でも仕事はしんどい・・・
NDSC04133.jpg
アメリカで手に入れた”アメリカンセルマー”のスーパーバランストアクション45170番。1950年くらいに製作のヴィンテージサックスです。

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Posted on 2011/05/10 Tue. 00:57    TB: 1    CM: 3

さらば原発 

今日はいつも非難していた菅さんがいとも簡単に「浜岡原発」の運転停止要請をしたことを話題にします。今まで原発の問題は結構難しい問題で、自分の中にある気持ちをなかなか整理できずにいました。だから、正直、菅さんに先を越されたようなやや劣等感を覚えました。

僕も原発は長期的にはNoだと思います。専門家ではないので間違っているかもしれませんが、原子炉と言うのは原子が崩壊する熱を利用していて、瞬間的に起きれば原子爆弾のエネルギーになり、ゆっくりやれば原子炉になる。一方太陽のようなさらに巨大なエネルギーは今度は原子が融合するときの熱によって成り立っている。

元々宇宙が出来上がる過程は、今ももちろんそうだけど、結局はこの原子の世界のダイナミックなシステムの中に全てがあり、人間を含む生物あるいは有機物も、鉱物なんかの無機物も、原子分子というミクロのシステムに全て取り込まれている訳です。

そう考えると、自分とか、人間とか、「私」というようなもの、あるいはそういうアイデンティティーと言うか、そういう知的生物が考えている物事自体、原子分子の一つの運動のひとつの結果であり現象であるということ。この原子力という分野はつまることろ自分の「組成」を云々する、というレベルの科学分野に踏み込んでいるとも言えるのです。

自分の細胞の極限の組成を云々する「自分」というか、そのこと自体に源を持つ科学エネルギー(あるいは理論)と言うのでしょうか。うまく言えないが一種の自己矛盾をそのままにしている技術(?)という気がするのです。

要するに、自分でコントロールできないものは自分である。しかしそれをコントロールすることで凄い桁違いのエネルギーを生むという”不純さ”?  そういう根源的なリスクを思います。

まあ、パンドラの箱ですね。アラビアンナイトの壷から現れる大魔神ですかね・・

便利を追い求める人の本能が開けてしまった箱ですね。足下にいつもある物質の根源を踏み抜いてしまったという罪ですかね。

飛行機も良く似ているかもしれません、一度落ちたから二度と使わないのかって。人は所詮空を飛べないのに?

でも、多分ニュートン力学の把握可能な健全さと、アインシュタイン理論の形而上性(あるいは物理学より数学的世界)の違いがあるようにも思います。機械的ではないですよね、原子分子の世界は。

生殖医療などにも同じ怖さを感じます。宗教家が警鐘を鳴らす理由はそこにあります。

さて、人類はどのくらい懸命に自らが見つけた「科学」の負の成果と正の成果を比較することが出来るのであろう。科学の追求という欲求とそれをオペレートできる技術の力の限界点をどう把握するのだろう。

とにかく、すぐは無理でしょうが時間をかけて再生可能型エネルギーで充足できる「妥当な」文明レベルを獲得する必要があると思います。見えないから恐怖するというのは本質的には動物としては健全な姿です。でも止めることによる不便への理解も同時に必要です。

残念ですが、菅さんの英断(?)を支持します。パラダイム変換という体系的な思想があるかどうかはかなり疑わしいですが、政治生命をのばす発言であることは間違いないですね。このことに限って言えば。そしてそれが不満です。

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Posted on 2011/05/06 Fri. 23:28    TB: 0    CM: 0

仇討の功罪 

オサマ・ビン・ラディンが殺された、というニュースが入ってきましたね。苦節10年。願いが叶ったということでアメリカでは大変な騒ぎのようです。”溜飲を下げた”ということでしょうし、これで9.11の事件が一区切りついたという節目にはなるのでしょう。オバマの人気も上がったことでしょう。

意味のない議論であることは百も承知ですが、「仇討」とか「仕返し」によりカタルシスを覚えるという人間の心理に関心が行きます。憎しみというのはおそらく人間が持つ感情の中でもっとも強くて厄介なものではないかという気がします。自分でも処理のし難い強い本能のひとつかも知れません。

いろんな能力や可能性の中で、進化の結果として種の保存にもっとも効果的で効率的な技や機能が、優位なものとして勝ち残っていくとすれば、”憎しみ”のどこが種の保存にもっとも優位な機能を持つ感情なのか、そういうことを考えます。

憎しみ ⇒ 攻撃 ⇒ 競争での勝利 ⇒ 個体の存続 ⇒ 子孫の繁栄

こういう図式なのだろうかと。

しかしそうすると、「平和」というのは何なのか??

許し ⇒ 非攻撃性 ⇒ 競争での敗北 ⇒ 個体の死 ⇒ 子孫の滅亡??

人間を頂点とする「知性」ということの中にその答えがあるように思います。
つまり、憎しみの連鎖が種の滅亡を招来するかもしれないのでそれを避けようと言う別の「打算」です。
「知性」という能力が、自分が本来持っている別の「能力」に負の効果を見て、それを抑え込む方に種の保存効果が高いと考え(感じ?)そういう「効率」や「優位」希求する可能性を考えます。

戦争を否定する気持に裏付けがあり、エネルギーをかける目的に偽善がないとすれば、こういう説明しかないのであろうと思います。

アメリカが「目的を達した」ことになるのか? 国内政治的にはそうでしょう。単純な意味での国民感情としても素直にそうでしょう。民主主義というシステムの必然でしょう。

では知的動物としての側面はどこにあるのか? それは集団になると幻想に終わるのか? 平和運動における平和とは?

アメリカとアルカイーダ(やタリバン?)の戦争。あるいは西洋文明(文化)とマイノリティー文明(文化)の戦争。豊かさの傲慢と貧者のプライドの対立・・・・

何か得体の知れない怖さを感じています。そしてこういう行為はずっとずっと前から歴史の中で繰り返され、そしてこれからもずっと続くのでしょうか? それが人間の闇なのかも知れません。「知性」というものの一筋縄では行かない両面を見る思いがします。

 

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Posted on 2011/05/02 Mon. 23:47    TB: 0    CM: 0

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