大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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震災後最初のハーモニー 

今日も蒸し暑かったですが、昨日ももう初夏の陽気でしたね。液状化で大きな被害を受けた新浦安で、震災以来初めて公民館が使えるようになって、昨日初めてサキソフォーンのメンバーが集まって音を出しました。1人欠けたので5管だったのですが、やはり仲間が集まってハーモニーを奏でるのは格別です。うっ屈していた気分が少し晴れ晴れとしました。

1曲目は新しく仕入れた市販の楽譜で「宇宙戦艦ヤマト」。もうすこし面白くなかった。2曲目はこの日の為に僕が編曲したフランシス・レイの有名な映画の主題歌「男と女」。バリトん2本様に編曲して低音をバリバリ効かそうと思ったのに、1本しか参加せずやや拍子抜け。でもまあまあの出来と、自画自賛。

編曲(まあ作曲もそうだけど)は皆で生の音を出すまでのあのワクワク感がたまりません。ある程度イメージしていますが、実際の音を出した時でなければ善し悪しがわからないん。細かいところで全体を駄目にしてしまったり、技量が楽譜について行かなかったり・・・面白いものです。

コーラスも皆人間の声という共通点があります。サックスだけのアンサンブルも同じように同じサックスだけでソプラノからバリトンまで出すので、同じ音質です。だから綺麗に6つの音が重なった時などは、本当に涙が出るほどゾクゾクします。

連休最後の日をそんな過ごし方をしました。そのせいか、今日は仕事に戻ってまた違う脳を使うのに少々苦労しました。一気に仕事をしてまた週末を迎え、また曲を書こう。人間、こうして攻めて、遊んで、休んで、攻めて・・
とにかく一杯一杯好きな事を努力しながら形にして行きたいですね。

でも仕事はしんどい・・・
NDSC04133.jpg
アメリカで手に入れた”アメリカンセルマー”のスーパーバランストアクション45170番。1950年くらいに製作のヴィンテージサックスです。
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Posted on 2011/05/10 Tue. 00:57    TB: 1    CM: 3

さらば原発 

今日はいつも非難していた菅さんがいとも簡単に「浜岡原発」の運転停止要請をしたことを話題にします。今まで原発の問題は結構難しい問題で、自分の中にある気持ちをなかなか整理できずにいました。だから、正直、菅さんに先を越されたようなやや劣等感を覚えました。

僕も原発は長期的にはNoだと思います。専門家ではないので間違っているかもしれませんが、原子炉と言うのは原子が崩壊する熱を利用していて、瞬間的に起きれば原子爆弾のエネルギーになり、ゆっくりやれば原子炉になる。一方太陽のようなさらに巨大なエネルギーは今度は原子が融合するときの熱によって成り立っている。

元々宇宙が出来上がる過程は、今ももちろんそうだけど、結局はこの原子の世界のダイナミックなシステムの中に全てがあり、人間を含む生物あるいは有機物も、鉱物なんかの無機物も、原子分子というミクロのシステムに全て取り込まれている訳です。

そう考えると、自分とか、人間とか、「私」というようなもの、あるいはそういうアイデンティティーと言うか、そういう知的生物が考えている物事自体、原子分子の一つの運動のひとつの結果であり現象であるということ。この原子力という分野はつまることろ自分の「組成」を云々する、というレベルの科学分野に踏み込んでいるとも言えるのです。

自分の細胞の極限の組成を云々する「自分」というか、そのこと自体に源を持つ科学エネルギー(あるいは理論)と言うのでしょうか。うまく言えないが一種の自己矛盾をそのままにしている技術(?)という気がするのです。

要するに、自分でコントロールできないものは自分である。しかしそれをコントロールすることで凄い桁違いのエネルギーを生むという”不純さ”?  そういう根源的なリスクを思います。

まあ、パンドラの箱ですね。アラビアンナイトの壷から現れる大魔神ですかね・・

便利を追い求める人の本能が開けてしまった箱ですね。足下にいつもある物質の根源を踏み抜いてしまったという罪ですかね。

飛行機も良く似ているかもしれません、一度落ちたから二度と使わないのかって。人は所詮空を飛べないのに?

でも、多分ニュートン力学の把握可能な健全さと、アインシュタイン理論の形而上性(あるいは物理学より数学的世界)の違いがあるようにも思います。機械的ではないですよね、原子分子の世界は。

生殖医療などにも同じ怖さを感じます。宗教家が警鐘を鳴らす理由はそこにあります。

さて、人類はどのくらい懸命に自らが見つけた「科学」の負の成果と正の成果を比較することが出来るのであろう。科学の追求という欲求とそれをオペレートできる技術の力の限界点をどう把握するのだろう。

とにかく、すぐは無理でしょうが時間をかけて再生可能型エネルギーで充足できる「妥当な」文明レベルを獲得する必要があると思います。見えないから恐怖するというのは本質的には動物としては健全な姿です。でも止めることによる不便への理解も同時に必要です。

残念ですが、菅さんの英断(?)を支持します。パラダイム変換という体系的な思想があるかどうかはかなり疑わしいですが、政治生命をのばす発言であることは間違いないですね。このことに限って言えば。そしてそれが不満です。

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Posted on 2011/05/06 Fri. 23:28    TB: 0    CM: 0

仇討の功罪 

オサマ・ビン・ラディンが殺された、というニュースが入ってきましたね。苦節10年。願いが叶ったということでアメリカでは大変な騒ぎのようです。”溜飲を下げた”ということでしょうし、これで9.11の事件が一区切りついたという節目にはなるのでしょう。オバマの人気も上がったことでしょう。

意味のない議論であることは百も承知ですが、「仇討」とか「仕返し」によりカタルシスを覚えるという人間の心理に関心が行きます。憎しみというのはおそらく人間が持つ感情の中でもっとも強くて厄介なものではないかという気がします。自分でも処理のし難い強い本能のひとつかも知れません。

いろんな能力や可能性の中で、進化の結果として種の保存にもっとも効果的で効率的な技や機能が、優位なものとして勝ち残っていくとすれば、”憎しみ”のどこが種の保存にもっとも優位な機能を持つ感情なのか、そういうことを考えます。

憎しみ ⇒ 攻撃 ⇒ 競争での勝利 ⇒ 個体の存続 ⇒ 子孫の繁栄

こういう図式なのだろうかと。

しかしそうすると、「平和」というのは何なのか??

許し ⇒ 非攻撃性 ⇒ 競争での敗北 ⇒ 個体の死 ⇒ 子孫の滅亡??

人間を頂点とする「知性」ということの中にその答えがあるように思います。
つまり、憎しみの連鎖が種の滅亡を招来するかもしれないのでそれを避けようと言う別の「打算」です。
「知性」という能力が、自分が本来持っている別の「能力」に負の効果を見て、それを抑え込む方に種の保存効果が高いと考え(感じ?)そういう「効率」や「優位」希求する可能性を考えます。

戦争を否定する気持に裏付けがあり、エネルギーをかける目的に偽善がないとすれば、こういう説明しかないのであろうと思います。

アメリカが「目的を達した」ことになるのか? 国内政治的にはそうでしょう。単純な意味での国民感情としても素直にそうでしょう。民主主義というシステムの必然でしょう。

では知的動物としての側面はどこにあるのか? それは集団になると幻想に終わるのか? 平和運動における平和とは?

アメリカとアルカイーダ(やタリバン?)の戦争。あるいは西洋文明(文化)とマイノリティー文明(文化)の戦争。豊かさの傲慢と貧者のプライドの対立・・・・

何か得体の知れない怖さを感じています。そしてこういう行為はずっとずっと前から歴史の中で繰り返され、そしてこれからもずっと続くのでしょうか? それが人間の闇なのかも知れません。「知性」というものの一筋縄では行かない両面を見る思いがします。

 

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Posted on 2011/05/02 Mon. 23:47    TB: 0    CM: 0

人はどこまで知りたがり、どこまで知られたがるものか 

久しぶりにブログを開けました。震災後多くの企業の中身が慌ただしくなり、従業員の相談に乗ったりいろんなケアニーズが高まっています。提案をしたり打合せの時間が多くなっています。世の中が騒がしく、また未来が不透明になっていますね。こういう時間は人に「大切なもの」を考え易くしますが、その考えの質も時間の流れで変わってきます。予想できない変わり方もするでしょうね。それ自体が新しい不安を増幅しているかもしれません。

今日は昨日とはうって変わって穏やかな一日になりました。そして今日はキリスト教で言うイースター(復活祭)であり、また選挙の日でもありました。

朝、年に何度も行かない教会に行って、帰りがけに投票をしました。そのあと取り掛かっていた編曲を完成させたら結局一日が終わってしまいました。

夜になって郷里の尾道で高等の同級生である平谷市長が2選を果たしたニュースが入ってきて、お祝いの電話をしようと思っていたら友人から長電話が入ってきて、結局こんな時間になってしまった。

そう言えばこの前の震災のとき、Twitterが一番情報入手に役だったので、その後少し凝って使っていますが、思っていた以上に凄い力を持った情報発信及び入手ツールだということに驚いています。

心配していたデマとか倫理の問題とか、そういった問題も少なさそうで、若い人から学者などまで本当に万遍に利用されていて、ツールとしての社会的認知も高いく、大きな存在になっていると言う実感を持った。内容も本当に軽いものから情報価値として非常に知的レベルの高いものまである。

明らかに自分を表現する手段を一部の知名度の高い人が独占する時代が終わりつつあると言う実感を持ちます。結果としてメディアがコントロールできることが相対的に少なくなってきていますね。互いに双方向で意見を交換でき、反応し合え、集団オピニオンを形成している。あれだけの情報を配信し、蓄積できるハードやソフトの力にも驚愕します。

政治やビジネスの在り方にも大きな影響を与えています。選挙の手段にも影響を与えるのも時間の問題だと思います。

しかし、少し凝って見ていると疲れも感じます。自分の考えを発信すること自体が持っている妙な疲れもありますね。自分が今どこで何をしているかさらけ出してしまう習慣の持つ疲れみたいなものかもしれません。主張したり影響されたり反発を覚えるというような感情の発露と言うか、そういうことの中で自分の人間的な部分がどう影響されるのかにも考えが及びます。

その意味ではまだまだ過渡期であり、人間が最終的に受容するものがどんなものなのか、注意深く見て行く必要も感じます。デジタル文明の功罪という一般論では語れない奥の深さも思います。人はどれだけ知れば満足し、どれだけ自分を露出したがるのか・・・ 新たな実験が世界規模で行なわれています。

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Posted on 2011/04/24 Sun. 23:46    TB: 0    CM: 1

自然の営みとしてのTrue Colors 

チェルノブイリと同じレベルになってしまった日本。多くの外国人が逃げ出している日本。本当に壊れてしまうのではないかと思うような余震が連日続く日本。

でも今日は暑いくらいの日差しの東京でした。自然はあの仕打ちをしたことをさっぱり忘れて次の時間を謳歌している見たいです。通勤途中にある花畑からちょっと”トゥルーカラーズ”のショットです。(シンディーローパー好きです)。
DSCF5559_convert_20110414001700.jpg DSCF5548_convert_20110414004548.jpg DSCF5557_convert_20110414003833.jpg

津波の中でも生き残った桜の話を聞きました。ひとつだけ残った松の話も聞きました。勇気付けられます。

破壊も存続も再生も・・・自然の営み。

人間の足は後ろに向かって歩くようには作られていませんね。目も後ろには付いていない。人間も自然が作った自然の一部。それも効率を追求した進化の収斂。
後ろに目は付いていない。

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Posted on 2011/04/14 Thu. 00:18    TB: 0    CM: 1

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