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大谷光彦のブログ

一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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新型コロナと企業研修 

コロナの感染者がまたじわりじわりと増えてきました。最初の波が過ぎたのは間違いのないところですが、「コロナショック」とでも言える「初もの」への恐怖が少し減ってきていることも確かです。人の中には必ず「慣れ」という薬が潜んでいて、どんなショッキングなことでも時間によって耐性ができていくものだからです。

今の世の中を見ていると、コロナが“全く目に見えないところにいる敵”ではなく、“居るところがわかっている敵”になってきた感じがしますね。「正しく恐れる」とは良い言い方をしたもんだと思います。

ながく企業の社員向けのメンタルヘルスの仕事をしてきましたが、この何年かはむしろcareやcureよりprevention(予防)の方に関心が強く働くようになってきていました。

例えば出血しているような時にはまず止血しなければ命に関わる。しかしそれを通り過ぎると、“出血しにくくするにはどうしたら良いか”を考えるようになります。その方が最終的には効率が良いからです。ヒューマニーズの仕事はもちろんメンタルヘルスの予防に向かってどんなサービスができるかを目指していましたが、危険を予知して目に見える被害が起こっていないときに、企業として費用をかけ、直近の不便を承知で、そのためにエネルギーを割くことはなかなか余裕がなければできないものです。

ヒューマニーズの社長を辞めて、少し周辺から物事を見ることができる立場になりました。そして思うことは、この予防そのものを企業に訴えて行ける立場になったという自覚を持てたということです。

3年前に「一般社団法人 組織・人能力開発研究所」という長い名前の法人を設立しました。その名称で企業の従業員の中の、次世代のリーダー候補を対象とした研修を始めました。見かけは「メンタル系」の領域ではありませんが、それはメンタルをもっと大きく、もっと「普通のこと」として捉えるという発想から来ていると言っても良いかもしれません。

つまり、「生き生きと働く」ことが一番メンタルの問題を包括的に遠ざけることになり、その意味では当然「予防」になるというアプローチです。この社団法人で実施しているのは「コア社員」研修と言って、”会社の経営に主体的に関わる自分の意欲と、その意欲を会社の未来の成長に結びつけるだけの能力を会社に認めさせ、それを自分の成長につなげることができる能力にまで高めることができる社員を目指す”というような研修です。うまく言えませんが、自己主体主義とでも言うようなものです。

そんなうまい話があるのかと思いますよね。でもこれは研修によってある種のスキルが身に付いたり知識が身に付くような研修ではないので、もちろんそんなに簡単にそんなことが実現できるわけではありません。

ポイントは「自分の力で考え、自分の言葉で発信し、会社の将来を自分のこととして考え、真摯に課題に向き合い、大真面目にその解決に会社人生をかける」ような姿勢を身につけることを目標にしている研修です。外資系の会社にいた時、「self-driven」という言葉をよく耳にしました。言ってみればそんな社員になって欲しいという研修です。

ヒューマニーズを経営しながら、常に悩んでいたことのひとつに、社員は性善説で考えるのか性悪説で考えるのか、ということがありました。今はこう思っています。組織を無機質な大勢の人の集団だと捉えればそれはあくまで人の行動は性悪説、つまり易きに流れ、エゴに従って行動し、決して会社組織に奉仕するよう「自発的に」動くことはない。別に悪意があるとかという意味ではなく、人の自然で平均的な行動はそのようになると考え、規則を作り、強制的に枠をはめ、組織全体の最適解に向かって統制のとれた行動をとらせる、ということです。軍隊の機能を維持するなどはその典型でしょう。

しかし、もっと少人数、あるいは一握りの幹部社員や経営層を考えた時、やはり一人ひとりの能力が圧倒的に重要であり、マクロ集団の物理法則は適用できないと思うようになりました。多くの社員の平均点を教育や育成によって上げていくのは本当に難しいと思います。ところが少人数の対象に、それらの個性を無視して一定の無機質なルールを課していくのもまた「人的資源」の活かし方としてはどうなのかと思うわけです。いわば性善説です。

今私がいくつかの企業で行っている「コア社員研修」は、言ってみればこの少人数の社員に個別に存在する「少し前向きに生きたいエネルギーの芽」を、肯定的に意識的に自分の力で発展させるきっかけ作りのお手伝いをしようというような研修のつもりです。

実はその姿勢を持ち続けられれば、さっき言ったメンタル的にネガティブになる可能性を少なくし、自分の意識すら客観的に見る視点を持ち、自分の組織の中での位置を鳥瞰することができるということだと思っています。そしてそんな社員は組織に依存ししがみつくのではなく、上司に対してすら寛容になり、組織の課題にも忍耐力を持ち、大きなキャパシティーの中でその解決を図っていけるのではないか、と。会社という組織自体は結局利益を作る個人に歯向かうことはできず、その人間を重用する原理が働くはず。そしてその社員は幹部になり、権限を持ち、自分の意図することをより実現しやすい環境に自分を置ける。たとえ特定の上司に疎んじられ、「出る杭」が」打たれようとしても。

最初にコロナのことを言いましたが、消去法で感染しない方策に逃げ込んでいると、経済的に命が断たれてします。国に補償を皆が求めれば国家が破綻する。「正しく恐れる」は「賢く恐れる」ことであり、それが長期間続くであろう新型コロナと共存しながら結局は勝利する方法なのだと思うわけです。社員が生き生きとすることは免疫とも関係するはずで、その根っこは同じなのではないかと。

私の研修もコロナによって4月と5月はまったくできませんでした。6月から少しずつ、そして7月から開始の運びになった企業が増えてきました。また緊急事態宣言が発令されないことを願いつつ、私の研修の方向性とコロナへの対処の仕方は深いところで根っこが同じテーマでもあると、改めて思っている今日この頃です。
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Posted on 2020/07/05 Sun. 23:52    TB: 0    CM: 0

接木という事業継承を終えて  

世の中もかなり「令和」に適用し、落ち着きを取り戻してきました。一生に一度あるかないかというようなイベントが一段落して一種の「令和疲れ」のような空気もありますが、これからオリンピックに向かってまた全国民が走ることになるのでしょう。「令和」のことは、天皇制や、それを通して「日本」を考える良い機会になったように思います。

ヒューマニーズの社長から会長になり、現場を退いてもう少しで1年になります。経営者はいつか事業継承に踏み出さなければなりませんが、それも体力と気力があるうちに実行しなければ後悔することになります。私もこの数年そう思い実行してきましたが、1年経って会社も新しい体制の下また新たな成長に踏みだしていることを実感しています。

「接木」という言葉がありますが、新しい力を元の幹に継いで元の社員も新しい指導者の下、新たなギアで別の力を発揮しています。この接木はまあうまく行ったとホッとしているところです。http://www.humaneeds.co.jp

この1年はひとつの山を越え、私にとっても新しいペース配分を模索する1年でした。これからこのブログも少し違う立ち位置で書けることもあると感じていますのでまた再開したいと思います。本当に久しぶりのブログですが、今日は少し最近自分がやっていることを書いてみたいと思います。

今は少し前から始めていたコンサルタントや研修に軸足を移しています。自分としては、メンタルヘルスの“社員を守る”から“社員を強くする”ことにシフトしているつもりです。この3年くらい、一般社団法人としてですが、次世代の幹部社員を対象に「考える力・発信する力・活用される力」をテーマに、次の会社を担う人材を養成する企業向けの研修や現場管理職に「ボトムアップ」の風土形成を促す研修をしています。

また市民大学のお手伝いや通訳ボランティアの活動にも少し時間を割き始めています。時間がなかった時にはできなかった世界ですが今までとまったく違う立場に立つことで見えてくる新たな学びがたくさんありそうな気がしています。

また、我流で長くやってきた音楽活動もアクセルをふかして行きたいと思っていますが、並行してサックスの個人レッスンを受け始めています。身についてしまっている自分の欠点を修正し、まだ演奏者としてさらにワクワクできる新しい自分を発見できないかという挑戦です。同時に編曲のための楽典も習っていてそちらにも力を入れていきたいと考えています。これは介護施設などでの演奏に繋がっていて、「音楽の力」、「生演奏」の力の持つ効力感に意を強くする毎日です。

世の中タフな事件が増えています。「平成」は確かに“戦争のない平和な時代”ではありましたが、それで何を得たのか。新しい「令和」の時代にどう対処するべきなのか、人と話しながらそう言う懐疑感に囲まれているような気がします。またいろんなことを感じ、その意味など自分なりに考えて行きたいと思っています。

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Posted on 2019/05/18 Sat. 13:59    TB: 0    CM: 0

self-drivenな社員とブータンの国民総幸福量(GNH) 

来週、中小企業の社長さんたちが集まるあるセミナーで話をすることになっていて、今日その打ち合わせをしてきました。それは、若者の離職はどうしたら食い止められるか、どうしたら社員を戦力化できるか、というような話です。会社や仕事に魅力がないから、と言えば簡単ですが、じゃあ魅力とは何なのか?
というようなことになってこのテーマは実に深い話になります。私はサラリーマン時代の最後の時期に海外で社長を少しやっていてそれも入れると20年以上経営をやっていることになりますが、結局一番難しいことは社員の生産性を上げることに尽きると思っています。人の能力は意欲や士気で測ることができる、と前回のブログで書きましたが、外資系の社長をやっているとき、self-drivenという言葉をよく聞いたことを思い出していました。これは文字通り自ら動くという意味で、実際には自分でモチベーションの高い状態をキープして組織の中でアクティブに動くような社員を指して使っていました。常に自分で考え、いろんな提案をしたり、業務改善をしたり、業績を上げたりできる人材です。要するに“指示待ち人間ではない”わけです。問題はどうしたら人は組織の中でそうなるか、ということです。

会社の中では、モチベーションを刺激するのは給与などの「外的報酬」などより、達成感とか、必要とされているという充実感とか、自分にしかできない仕事をしているというようなプライドなどの「内的報酬」が重要であると説明していますが、それはとても大切なことです。ただし、EAPの仕事をするようになってから、実は、これはその人が生まれ育った環境や、生まれつき持っているパーソナリティーなどが大きく影響するのではないかと考えるようになりました。そんなことを言い出すと、どうやってそういう人を選ぶのかということになり、人の採用の方に話が言ってしまいますが、やはり基礎的な素質は無視できないことは事実です。Empowermentという言葉があります。パワーを与えるということではなく、その人の持っている能力を最大に発揮させ、業績を上げたり、組織の成長に大きく貢献できるような人、というような意味で使っています。中小企業であれ、大企業であれ、その人がその場を自分の自己表現の場としてベストな場だと思えばself-drivenになると言えます。

最近「他罰的」とか「他責的」という言葉をよく聞きます。メンタルヘルスの世界でも、他人や周りのせいにするという姿勢は不平や不満を常に抱えていて、精神衛生上好ましくないと言いますが、人が生き生きと仕事をするときには全てを自分の責任にできるような環境肯定型の心境になっていると思います。
自分の中に全ての原因があるという考え方は多くの宗教で幸せになる方法として挙げています。別に宗教の話をしたいわけではありませんが、所詮、人いうのは個人であれ組織人であれ、幸せになる(幸せと感じる)方法、あるいは条件は同じ根っこを持っていると思う次第です。ブータンのGNHの話もself-drivenな社員の話も同じ人の話です。

人は気分で仕事をする。自分は幸せだと思うにはどういうことに気をつけたらいいのか、会社は社員をどう扱うとこういう社員が多くなるのか、、会社の総幸福量はどうやったら上がるのか?答えは難しいのですが、永遠のテーマですね。

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Posted on 2018/06/14 Thu. 01:20    TB: 0    CM: 0

小林麻央さんにみる命と死のこと 

小林麻央さんが亡くなったニュース。
いろんなことを考えさせられました。

あれだけ連日ブログで体調や心の動きが発信された有名人の死というのはあまりなかったような気がします。
報道によると200万人以上のフォロワーがいたとか。言葉は適切ではないけれど、まるで実況中継されていたような闘病生活でした。その一挙手一投足に多くの人が一喜一憂し、一緒に祈っている、“彼女の日常の共有”を感じました。

皆の(「国民の」と言い換えても良いくらい大勢の)願いと祈りも虚しく残念な結果になってしまいましたが、多くの人に勇気と、また命について深く考える切っ掛けを改めて与えてくれたように思います。市川海老蔵さんの会見で感じたことですが、死を覚悟した先に、常に周りの人に”与える側”になり続けた人。菩薩のように慈悲の心を多くの人に届けたと言うか、とにかく残された家族に刻まれたとても格好いい「往き方」と言うか、そんな人だったように思います。

もうひとつ感じたことは、ひとりで死んでいって、その死を人に知られないような、いわゆる『孤独死』との対比です。人は所詮ひとりで死んでいく運命にありますが、周りに人が居て、ましてや多くの国民に心配されながら命を落とす麻央さんのようなケースと比べてみると、本当に今回、SNSの役割の凄さと言うか、そんなものも思いました。トランプと比較するのは不謹慎ですが、死まで実況してしまうような、少し怖さすら感じる現象をです。

死が身近になると言う事とは違いますが、ある種の劇場型の死と言いますか、、、死とプライバシーという問題につながるもう一つの問題のことも考えました。これからこういう、ある意味「シェアーされる死」という現象がテクノロジーの発達で抵抗なく繰り広げられる時代がそこまで来ているのかも知れませんね。

昔読んだ「南直哉(じきさい)」の本に、”死には3種類ある”という言葉があったのをまた思い出しました。もう死んだあとは自覚できない「自らの死」、そして毎日ニュースで繰り広げられる「他人の死」。この2つの死はその人の死生観や宗教心に影響は与えても、やはり人生の中で大きな意味を持つ死ではない。その人にとって一番重要なのは「近しい人の死」である、という意味の文章です。

麻央さんの死は、残された家族にとってはもちろん身近な人の死ですが、実は多くの人にとっても「他人の死」ではなかったかも知れない。他人と身近な人を近づける手段にSNSがなっていたとしたら、それは新たな死との距離感なのかも知れないと。

僕にとっても「他人の死」を超えた何かを残してくれました。心よりご冥福をお祈り致します。

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Posted on 2017/06/25 Sun. 18:27    TB: 0    CM: 0

本社の引っ越し 

やっと今日、連休らしい緩んだ一日を過ごしています。
実は先週末本社を新宿に引っ越しました。僕は出張中だったので、昨日が僕の初出社でした。
新宿ガーデンタワー    泉GT
(新オフィース:             (ありがとう、六本木1丁目)
4月1日完成の新築です)

旧オフィースがあった六本木一丁目と言う外資系金融っぽい、僕なんかの田舎育ちの人間にはもうひとつ生活感のない街に少し疲れていましたが、今度は最寄駅が高田馬場という、思いっきり昭和感覚の街です。オフィースは新しいのですが街の味わいは全く異なる真逆の世界です。
偶然どちらも29階になってしまいましたが景色がまったく違います。しばらくは戸惑うと思うけど少し時代を戻って行く感じです。
気取って言えばとてもオーガニックな街、逆に言えば時代に取り残されていた街。この2つは同じ意味でもありそうです。

振りかえってみればサラリーマンをやめてからのこの15年、本当に目まぐるしい変化だったと思います。本社の場所だけでも、丸の内から品川へ、品川から日本橋、日本橋から六本木、今回新宿に移ってきました。非常にグローバルな資本の影響を受けたり、不動産業と兼務したり、僕自身本当に慌ただしく過ぎた15年でした。

これからは少し落ち着いて、スローでかつドメスティックな、自分達らしさをしっかり考えた質の高いサービスを、そしてこれからの顧客ニーズにマッチしたサービスを追求していきたいと思います。自分らしさって難しいけど、答えは外にはないことに気付いています。

そう、会社の仕事がますますオーガニックな方向にいくんだろうなと思っています、人工知能にはできない仕事を目指します。
そんな仕事が本当にあるのか、と疑いながら。

今後ともよろしくお願いいたします。

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Posted on 2016/05/03 Tue. 15:47    TB: 0    CM: 0

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