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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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終戦と親父 〜戦争と体罰とヒューマニティー〜 

今日は終戦記念日ですね。広島生まれの僕にとってこの終戦の日と8月6日の広島への原爆投下の日は子供の頃から少し特別な意味をもつ日でした。それは父親が上官の規律違反の出撃中止命令で命を救われた特攻隊の生き残りであり、原爆投下直後に広島に入った話など幼い頃から何度も聞いていたからです。

僕はもう20年以上前になりますが、広島に原爆を落とした爆撃機「エロナゲイ」が飛び立ったという北マリアナ諸島にある「テニアン島」に行ったことがあります。あのサイパン島のすぐ南です。草茫々の中にその滑走路がありました。日本本土の空襲のためBー29が幾度も飛び立った滑走路です。

父親のことはかなり前にブログにも少し書いたと思いますが、この9月で91歳になる父親は74年前の今日17歳でした。特攻出撃の直前、突然覚悟していた死から解放されその後生き方を見失って茫然自失。結局ドイツ人の神父さんとの出会いで救われ、今深い信仰に支えられて長寿の人生を送っています。

先日帰省したとき、この終戦から広島入りするまでの話をインタビューして録音してきました。もう二度と聞けない話ばかりだと思って。そのとき親父が書いたある記事を見つけ写真をとりました。出撃直前で命を繋いだ話と、教師時代に体罰をしなかったという親父の考えの原点がどこにあったかという話。

平和な今、体罰はいけないと教育現場で当たり前のように言う時代になりましたが、もっと深くその意味を考えさせられる話です。戦争は駄目、二度としない、平和を守る。毎年8月になるとこんな掛け声が巷に溢れます。でも、どうしたら平和が守れるのか、どうしたら戦争をしない日本になるのか。僕たちにできることは何なのか、ひとりひとりがその方法を冷静に考えていかなければ、それは単なる机上の希望の弁にしかなりません。また同じことが繰り返されないと誰が言えるのか。先ほどNHKで二・二六事件のことをやっていました。勇ましさとか思想とか、そういうものの奥にある人間の危なっかしさや、誰の心の中にも宿っている”群れて暴走するエネルギー“など、自分の恐ろしさや脆い優しさなどに思いを致す今日でした。

字が見えにくい写真ですが、できたら読んでみてください。「戦争を知らない子供たち」という歌がありましたね。学生の頃よく歌った反戦歌です。今考えるとあの歌詞は何と浅薄な意味なんだろうと恥ずかしくなります。でもあの歌が歌えるということそのものが、まさしく「戦争を知らない」ということなんだろうと思います。そう、僕はこの文章で、父親を通してもう一度あの戦争のことを考えました。そして同時に一度も父親から殴られたことのない理由もこの記事で初めて知りました。

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Posted on 2019/08/15 Thu. 22:55    TB: 0    CM: 0

大草原の小さな家 

40年ほど前にTVでやっていた「大草原の小さな家」という番組を知っている人は多いと思います。最近このシリーズをNHKのBSでやっていることを発見しました。昔20代の頃好きでよく見ていましたが、素直に随分上質な番組だなあと思っていました。ただ、一方ではW.A.S.P.(White Anglo-Saxon Protestant)的な基盤の上で展開されるストーリーであり、白人とピューリタンを中心とした価値観から出ていない番組でもあると思っていました。その分少しハスに構えて見ていたかも知れません。若かったからということもあるにしろどこか鼻についていたような記憶があります。
あれから僕もアメリカに住み、白人の奢りや移民の過剰な権利主張、自分に向けられた黄色人種への差別などを経験して、益々この綺麗なストーリーをそのまま受け入れられない少し屈折した感情も持つようになっていたと思います。

しかし今、少し歳を重ねた自分がこの番組を見ていると、この原作者が伝えたかった価値観(清貧、勤勉、謙虚、倫理、努力、ひたむきさ、他人への思いやり、学問に対する敬意、罪を憎み人を憎まない性善説等々)がもっとダイレクトに伝わり、とても素直で暖かい気持ちになってきます。
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もちろん今見ても、背景にキリスト教的価値観や白人第一主義という通奏低音が流れています。しかし同時に勤勉で慎ましやかであることを最も尊い価値においていることへの尊敬の念やその価値観の万能性・優越性を感じます。素直に欧米白人キリスト教文化の持っていたレベルの高い民度が伝わってくると言ってもよい。

今トランプがアメリカ人の過半の支持を得ています。背景には白人の過去の栄光へのノスタルジアがあることは間違いがないでしょう。しかし、負け組というコンプレックスを、どこか自分たちの歴史が持っていた清貧さや勤勉さを誇っていた感覚との“すり替え”もあるような気がしています。

せめてWASP的な誇りを取り戻してほしい。そうすると移民への過剰攻撃も“はしたない”と思い、逆に尊敬を受けることになるのではという風にも思うわけです。貧しさを誇って欲しい。移民が貧しさを権利に変えていることを、静かに、そして精神的余裕を持って“いなして”欲しい。

今の白人にもこういう歴史があり、こういう価値観を尊んだ歴史があったことを、教育の中で、政治の中で思い出して欲しい。もう戻れない古き良きアメリカをこの番組で考えてしまいます。

我が日本にも同じことが言えるのでしょうね。日本の古き良き価値観とは何なのでしょうね。

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Posted on 2019/08/10 Sat. 23:23    TB: 0    CM: 0

懐かしいマレーシアの田舎生活〜ベトナム人向け日本語教育テューターに応募して〜 

先月からベトナム人の日本語教育のテューターボランティアというのをやっていたのが終わりました。日越EPA(ベトナムとの経済連携協定)に基づく看護師と介護福祉士候補者の受入スキームによる来日で、今回がすでに第6陣。5月31日入国の217人(男性31名、女性186名)。彼らは来日前にベトナムで12ヶ月の日本語研修を終了して日本語検定試験の初中級N3(一部はより上級の中級N2)に合格して来日しています。来年の国家試験(介護福祉士は3年の実習後受験)に向けて8月から全国の施設でインターンとして働くことになっています。僕が手伝ったのはその日本での日本語研修です。少し今の国際交流や国家施策という視点で日本に入ってくる外国人の実態を知りたくて参加しました。テューターも倍率が3倍の結構狭き門だった様で、希望者が多いことにも驚きました。
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印象に残ったのは彼らの真剣さ。家族をベトナムに置いてきた人も多く、名札の裏に写真を入れている。将来のチャンス獲得のために、貯金をして背水の陣で来日しているそのバイタリティー。日本のことを一生懸命好きになろうとしている健気さとか、日本語は難しいということや日本食に苦労している様子とともに何より感じたことは彼らの必死さ。

日本にはもう昔のような右肩上がりの経済発展はないかもしれない。でも昔の日本もそうであったように、ベトナムの未来はこれからという機運や希望や誇りをそのまま纏っている若者達。彼らの生き生きとした熱いまなざしと、たどたどしい日本語と沈黙を恐れるようにまくし立てるその勢いに遠い昔の記憶が重なりました。

1980年代から2000年くらいまでの20年間、途中3年ほどアメリカにいましたが一貫して東南アジア中心に仕事をしていました。当時のベトナムにはまだ日本企業のビジネスチャンスが多くなかったのか、ベトナムを含むいわゆるインドシナ3国には行ったことがありません。でもあの高温多湿で香辛料の匂いの混じった空気、ここかしこにあった熱帯雨林、雨になったらぬかるむ道路、自転車や二輪車が中心の人々の移動手段、スコールとその後の停電、つかの間の涼と雨上がりの虹、、彼らと話していて昔自分が徘徊していた東南アジアのことを思い出しました。どの国も発展して、もうあんな世界ではないでしょうね。遠い夢の国になりました。

どうか日本に来るベトナムの若者のその輝きが長く失われませんように!
どうか日本を嫌いになりませんように!

現在少し関係している市民大学で、今度昔住んでいたマレーシアの話をすることになりました。それで、もう何十年も見たことのない昔懐かしい写真アルバムを引っ張り出していろいろ見ています。どの写真も感光紙の時代で、みな色褪せてしまっていますが走馬灯のように当時の記憶と青春の匂いが蘇ってきます。そのいくつかを紹介します。これらは1982年からのマレーシア滞在6年のうち3年半居た山奥の小さな町「Kuala Kangsar」にあった我が家の庭からの眺めです。
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蛇がしょっちゅう出没するので現地の人のアドバイスで飼っていた蛇避けのグース。つがいでなければ生きていけないほどの見上げたガチョウ夫婦でした。目の前はこんな田舎の小さな町には不似合いながらマレーシアで有名な美しいモスク。空気ボールながら思いっきりできる打ちっ放し。
KKHouse_0011.jpg KKHouse_0010.jpg オースティンマイナー
庭に苗から植えたパパイアは3ヶ月でこんなに大きく身をつけてこの1ヶ月後に大きくなり過ぎた自分の実の重さで倒れました。敷地に入ってきたアルマジロと当時4歳の娘(今なんと40歳!)。隣のマレーシア人の友達と。奥さん専用のオースティンマイナー。おそらく1960年くらいのもの。シフトギアが丸くなっていてなかなか入らなくて何度も立ち往生。この街で日本人の僕たちは何かにつけ注目を集めたものです。





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Posted on 2019/07/22 Mon. 22:54    TB: 0    CM: 0

「はやぶさ2」を擬人化できる嬉しさと誇り 〜人々の涙の意味を考える〜 

「はやぶさ2」が「りゅうぐう」への2回目のタッチダウンに成功し、地下にある岩石を採取したことに成功したというニュースが今日報道されました。TVで見ている時、JAXAの科学者たちが歓声を挙げるのにはあまり驚きませんでしたが、一般の人が涙を流しながらその成功を喜んでいる姿に少し心が動かされました。そして何年か前に初代「はやぶさ」が地球に帰還して大気圏で炎に包まれるのを見た時の感動をまた思い出しました。

「はやぶさ2」を自分達の大切な子供のように擬人化して感動している人々の愛情を感じます。5年以上真っ暗な宇宙の果てまで孤独な旅を続け、やっと目的地に到達し、健気に目的を果たしたその姿や人知れず孤軍奮闘している“物言わぬ”機械に自分の気持ちを寄り添わせている。すでにそれは機械ではないと。

日本の国力が弱まり、世界に誇れることも少なくなったと感じている多くの日本人が、素直に、しかも健全に喜べるイベントという感じがします。

世の中何でも権利義務で考え、自分の行動を認めてもらいたいというエゴがはびこる今の日本で、“名もなく一途に黙々と地味に努力しているもの”は、もはや機械しかないのかも知れない。物言わぬ機械だからこそ安心して自分の気持ちをそれに乗せることができるのかも知れない。

アメリカのNASAで同じようなことをした時、アメリカ人はこんなに泣くのだろうか?ひょっとしたらこれも日本人の特徴のひとつなのかもしれない。ちょっとそんなことまで考えてしまいました。自信はありませんが、このようなことで涙できるという感情表現がとても日本的で、ひょっとして日本人が世界に誇れる「やさしさ」のひとつであって欲しいなあ、、そんな気にもなりました。

日本人の情緒的「民度」の高さに久しぶりに触れることができたような、そんな一服の清涼剤のような時間でした。
ちょっと考え過ぎですね。そんな風に感じた僕自身、少し疲れているのかも知れないとも思いつつ。
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(写真はJAXAのHPより拝借)

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Posted on 2019/07/11 Thu. 23:13    TB: 0    CM: 0

梅雨に想う 

梅雨に想う

また随分筆が止まってしまいました。このブログもたまにしか更新しなくなっています。と言うのも、ヒューマニーズ社の方は事実上卒業したとは言え、社団法人での研修講師やコンサル業務(組織風土改革とか次世代幹部養成塾)も増えてきている上に、他にも結構いろんなことに手を出していて、多動症がまたひどくなってきているからです。少し優先順位をつけて時間の整理をしなければならない状況です。

最近は時間の合間を縫って、ボランティアでベトナム人の看護師と介護福祉士候補生の日本語テューターとか、市民大学のお手伝いとか、はたまたサックスのレッスンとかですが、会社組織でやってきたものと違って、何から何まで自分で考えて準備して行動できる環境になかなか適用できていないようで、時間配分などがうまく行っていないためです。少しずつこの新しい時間の使い方や、自分の情緒に合った力の入れ方などに慣れていかなければならないと思っています。

まあそのことはまた追い追い書こうと思っていますが、今回は今まさに梅雨まっ盛りでもあり、雨について書こうと思います。かなり前のブログにも書いたような気もしますが、私は「雨が嫌いではない」タイプです。「好きです」というには抵抗がありますが、特に文章を書いたり本を読んだりするには圧倒的に雨の方が集中できるし、その空気を楽しむことができます。好きと言えないのはどこかに罪悪感があるような気がするからで、まあ晴れがいいし、その方が健康で明るくて陽性ですよね。

しかし、正直に生きることもとても大切なわけで、そういう自分がいることは確かです。これは子供の頃からそうだったようで、両親が働いていて家に一人でいることが多かったこととも関係すると思いますが、晴れていない方が家にいても不自然でないと言うような気持ちの落ち着きもあったような気がします。

雨の日は空気中の騒音が少なくなるのか、雨だれの音にかき消されるのか、独特の静寂感があります。また植物の緑も生き生きし、自然がアクティブにならなくても許される「内的な」美しさを取り戻す文字通りの“みずみずしさ”に、自分の精神まで地に足が着いたような落ち着きを取り戻します。

学生の頃1ヶ月あまりお世話になった鎌倉の建長寺(この話も昔ブログに書いてあると思います)でも、雨の日はあの素晴らしい庭を見ながらの読書が許され、司馬遼太郎や川端康成などの世界に入って行って、まるでその時代や本の世界の主人公になったような一種の変化(へんげ)感覚を味わったものです。
晴耕雨読とはよくぞ言ったものですね。

マレーシアのジャングルにいた時も、サンフランシスコのアパートから見ていた景色でも、それぞれ「雨の形」は随分と違っていても、大地に振り注ぐ雨粒と雨だれの音に心が洗われた感覚には共通するものがあります。生き物は海から来ただけあって、水との親和性は高いはず。水は命でもあるし、人間にとっても生きる上で決定的に大切なものです。

しかし近年、温暖化の影響で水が昔にはなかったようなレベルで大きな損害を与えることが多くなりました。メガクライシスというのか、恵みを超えて破壊をもたらすケースが多くなっています。僕もちょうど東京の学生だった頃、尾道の実家が土砂崩れで流され、幼馴染を含む周りの人が8人亡くなりました。あれは9月12日で台風の豪雨でしたが、降り続く雨の怖さを身を以て体験しています。幸い両親は命からがら助かりましたが、長く入院していました。あの家があったあたりは今もスキー場のゲレンデのようになっていて、とても住めるところではありません。同じような災害が毎年この時期になるとニュースになります。雨を“愛おしむ”などとんでもない、という話です。

それでも、特に“一人でいる時の雨”は今も好きです。幼児体験であり三つ子の魂なんとかですかね。毎日降る雨に家内は愚痴を言い、満員電車に揺られるサラリーマンにはジメジメと嫌な季節ですが、とりわけこの歳になって思い出す雨には多くの良い思い出があるのも事実です。災害に遭われた方々には本当に申し訳ない気持ちで一杯なのですが、僕にとってはやはりいろんな思い出のある「雨」です。
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Posted on 2019/07/08 Mon. 15:46    TB: 0    CM: 0

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