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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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プロフェッショナルとは? 

この前社員と話していたとき、「プロ」とは何かという話題になった。「それで飯を食っている人」とか、「繰り返し正確に同じことができる人」という見解が出された。それで今まで漠然と思っていた「プロとは?」 を考えてみた。

僕の感覚で言えば、たぶん「あの人に任せれば安心していられる」とか「あの人がミスしたのなら誰でもミスするだろう」と “周りの人に思われる人” を「プロ」と呼ぶ、っていう感じが一番ピッタリだと思い至った。要するに、 自分で決められることではなく周りがそう思う、ということだ。

だからそれ以来、社員には、例えば「プロのキャリアコンサルタントかどうか」というのは他人が決めることで、それは結構公平な評価であり、だから難しい。気付いた時にプロになっていた自分を目指して精進するように、と言っています。

皆さんはどう思いますか?

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Posted on 2007/07/17 Tue. 16:04    TB: 0    CM: 0

宗教と感受性の関係 ?イタリアと宗教?(後編) 

日本に育つと「木の文化」に囲まれているわけで、木は植物という生き物で、だから死があり風化してなくなる。柔らかくて火に弱く、水に浮く。その点、石は重くて強くていつまでも残って“意志”も強そう(笑)。なんか権力の力を感じ、押さえつけられる感覚を持つ。要するに良いかもしれないけど疲れる。

そしてこのカトリックという西洋の宗教(キリスト教というべきか)はすごく「許してくれない」厳格な宗教心を求めてくるというか、「石」って感じの宗教なんですね、きっと。そういう意味で日本の宗教は非常にWoody(?)な感じがしませんか?よく言うとやさしくて寛容、悪く言うといい加減で軟弱。

伊勢神宮とか出雲大社や東大寺も延暦寺もとにかく大きな「木」の世界ですよね。“自分が日本人”って感じがだんだん強くなってきて疲れを感じたのではないかと思い至ったわけです。どうもそういうことで、それらの「芸術品」への感じ方の後ろにあるものが何か違うんですね。

僕は大林宣彦監督の作品なんかで有名になった尾道って小さな町の出身なんだけど、生まれてすぐ洗礼というのを受けた一応カトリックなんです。親がカトリックだったせいで自分で選んだわけじゃあない。今も不真面目なもんで滅多に教会にも行かない。でも子供のころ行っていた小さな畳のチャペルは大好きだった。長崎とか五島列島なんかの教会と同じですごく“日本人”してたって感じですね。和食のクリスチャンというか、、遠藤周作じゃあないけど日本人にとってのキリスト教というテーマに通じる世界なんですね、きっと。

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Posted on 2007/07/15 Sun. 16:07    TB: 0    CM: 0

宗教と感受性の関係 「イタリアと宗教」(前編) 

この前イタリアに出張した話を少ししましたね。この時、ローマで少し時間があったので例のバチカンにも行きました。

それは壮大で威厳に満ちていて自分の小ささが恥ずかしくなるような感じです。至る所にすごい密度で教会があってさすがにカトリックの聖地という感じで、街全体が教会みたいでその中に住んでいるという状態。ダン・ブラウンの「天使と悪魔」や「ダ・ヴィンチ・コード」でやたら出てきますよね。その建物の中がまたすごい。ありとあらゆるものが芸術品で、これでもかと襲ってくる。

最初は圧倒され、感心してじっくり見ていましたが、何ヶ所か見て回るうちに何か居心地のよくないものが溜まってきて、最後は本当に疲れてしまった。帰国してからもずっとそのことが気になっていたんだけど、どうもそれは「石」の文化にあるんじゃあないか、と思い至った。

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Posted on 2007/07/12 Thu. 16:14    TB: 0    CM: 0

メディア・コミュニケーション ?ポッドキャスト?(後編) 

前回は、弊社がスポンサーとして運営しているポッドキャスト番組『Underground Square』の話に始まり、メディアによるコミュニケーションの違いの話をしました。今回はその続編です。

例えば本やラジオという“限られた”(映像などに比べて)情報しかないときの方が想像力が働き、実際にはよりその対象を深く”わかる“こともある。理解と”わかる“は違うようにも思うけど、情報量が多いことと「理解」は必ずしも比例はしない。このあたりのことが「情報の使い方」の問題に発展するのではないかと思います。

ちょっと話が脱線しかけていますが(笑)、言いたかったのは、テレビの役割とラジオの役割は違うし、インターネットという情報伝達(交換?)手段がこれだけ発達してくると今のテレビのあり方も相当変わってしまうのではないかということです。例えばこのポッドキャストは音声だけなのでその中身を持ち歩くのも簡単な機械で済むし、どんな場所でも音媒体の特徴である“想像力喚起機能”(?)を味あうことが出来る。でもその特徴を最も有効に使えるコンテンツとはどういうものなのだろうか――そんなことを考える今日この頃です。

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Posted on 2007/07/02 Mon. 16:20    TB: 0    CM: 0

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