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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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進歩ということ 

前も書いたが、僕は瀬戸内海に面した港町、尾道で生まれ、高校までそこで過ごした。
このたび、僕が家族とともに子供の頃通った尾道カトリック教会というのが老朽化で立て替えるそうである。あの鬼瓦と畳の教会が無くなるのは非常に残念である。先日、福岡出張の帰りに途中下車して少し立ち寄った。でも改築される教会の話を聞いて少々落胆した。地元の人にしてみれば、新しく近代的かつ都会的な教会にしたいのであろうが、東京にもありそうな普通のチャペルを小規模にしただけのような教会に見えた。それでも少しだけ建設費を寄付した。複雑な思いであったが、自分の中に存在している懐かしさに感謝するには、そういうことしかないように思えて。

よく思うことであるが、遠くからふるさとを想い期待することと、実際に現実に日々接する人が求めるものは大きく違う。実際の家並みなどを文化財として保護するような時も同じ問題がある。四谷の上智大学に聖イグナチオ教会という教会がある。ロマネスク様式の教会で、結婚式を挙げた思い出の教会でもあるが、何年か前、同じように建て替えられた。ゴシック様式のような威圧感がなく、柔らかく控えめで上質な静寂感を漂わせていて、大好きな教会だった。今年の5月にイタリアのアッシジに行ったとき、そこの聖フランシスコ教会がこの聖イグナチオ教会にそっくりなので驚いた。新しい教会は随分とデザインも“新しい”もので、どうも愛着を感じられない。残念で仕方が無い。尾道教会も同じようになるのである。難しい問題であるが、このことは、いったい誰が、どう当事者なのか、という問題だと思う。

結局は後世の人・子孫へ何を残すのか、そのために自分たちはどこまで犠牲を払うだけの価値を認めるのか、もっと言えば何を一番大切にしたいと思う価値感を持っているのかということなのであろう。でもそれを決めるのは現在そこで生きているその人なのである。他人には何も言う資格がない。だから言いたがるのであろうか。外国に行ってよく日本のことで思った「見る歴史と語る歴史」の問題がまた身近に起こっている。僕はその中でどう当事者でありうるのかと考えながら何も出来ないでいる今日この頃である。
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Posted on 2007/12/05 Wed. 15:29    TB: 0    CM: 0

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