大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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命の優先順位 

先日NHKで、鳥インフルエンザの人から人への感染に関する番組をやっていた。そこで「パンデミック(感染爆発)」という言葉が出ていた。ウイルスの変異というのは本当にすごい能力で、ある臨界点にくると、短期間で一気に鼠算式に手の付けられないような患者が発生し、その50%以上の人が死亡するというような内容であったと思う。素朴に思ったのはこの手の危機に関する日本の対応の遅さというか、行政機能の感度の悪さというか、米国のそれに比べていかにも見劣りした。

アメリカの対応マニュアルで感心したのは、“被害を最小限にするためには、救う命に優先順位をつけなければならない”という、辛いけどやらなければならない「大人の発想」を持っていて、それをちゃんと議論していることだった。医療従事者が一番、次はシニアの人を優先的に救う仕組みが検討されていたが、後にむしろ将来を支えてくれる赤ん坊を最優先するように変更になったとか。何かを捨てなければ何かを得られないことは人生普通に起こることである。事が起こる前にそれをどこまで真面目に考えられるかが、その人の質を決めるような気がする。

日本では「一人の命は地球より重い」という言葉が一時はやったし、誰も意義を唱えられないような雰囲気がある。しかしタイタニックの話ではないが、現実には全ての命を同時に救うというのは不可能に近いということは、大災害の時などに繰り返し起こっていることである。しかしなかなか“誤解”を恐れているのか、非情な人と言われることを回避しているのか、そういう議論がきちんとされていないことが多いような気がする。生意気な言い方になるけど、日本の幼稚化と言ってもよい現象のような気がしている。特に政治家に不満を持ってしまう。

つまり、実際に少しでも多くの命を救うことを真剣に考えると「命の優先順位」を考えなければならないはずである。その原因が起こることを完全に防止できることがベストであるし、予知とか予防とかが最も価値が高いことは言うまでもない。しかし、起こった後のことをそういう視点で考えていないのは結果として大人としての責任逃れといわれても仕方ないであろう。自分も弱い人間である。でも考えなければならないテーマなんだと思うのだが・・・
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Posted on 2008/01/30 Wed. 09:47    TB: 0    CM: 0

結婚とキャリア(後編) 

日本の状況はどうなのか、詳しく知っている訳ではないが、同じように“結婚のリスク”を過大に考えてしまうような傾向があるのではないかという気がする。もちろん日本で訴訟などというものはそう多くないと思うが、“自分に合うだろうか”とか、“本当に好きなんだろうか”ということを考えすぎている部分も大いにあるのではと思う。またそれは我々が行っているキャリアビジネスとも通じるところがあって、迷えばキリがなくなってしまう世界で、迷っている間に年齢だけ重ねてゆく部分もよく似ている。

僕が言っている“Vedior Way”ではないが、やはりこの世界も、“他人に必要とされ続ける自分”であることがテーマだと思う。よく、“惚れて結婚するより惚れられて結婚する方が旨く行く”と言うが、“必要とされて結婚する方が旨く行く”と読み替えれば同じことだと思う。“何故迷うのか”というのは難しいテーマであるが、乱暴な言い方をすれば、“独りでも生きて行ける”と思える環境が昔より多くなっているということもあるような気がする。

変な話であるが、いわゆる「デパ地下」なんかにある惣菜とかデリカ系の食べ物があれば自分で料理なんかしなくても十分美味しい物が食べられる。ご飯ですら“チン”すればそのまま食べられる。蛇足だが、僕はアメリカでひとりだったので、茶碗を5個用意していて、土日にまとめて炊いて、この茶碗にひとつずつ入れてラップして全部冷凍庫に入れていた。冷蔵庫も巨大だったし、中にはろくに物も入っていなかったこともあるが、それでもそれなりに苦労した。料理は大の苦手だったから、今の日本は天国のような気がする。

何が幸せかはわからない。だけど選択肢は多い方がよい。でもはっきりと言えることは、何でもやってみないと解らない。それを逡巡させる理由はやはり気になる。勇気がどうとか言うのではなく、あまり自分や相手を信用しないという愛情も必要なのではないかと思うのである。まあ“ほっといてくれ”と言われそうな気もするが、若い社員が多いだけに気になるテーマではある。

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Posted on 2008/01/28 Mon. 09:48    TB: 0    CM: 0

結婚とキャリア(前編) 

最近、結婚年齢が上がっているようだ。僕が若かった頃に比べて、かなり晩婚型になっていて、もちろん結婚しないケースも増えている。少子化とも関係がある。

わが社の社員も同様で、自立している女性も多い。僕がアメリカに居た1990年代、アメリカでも今の日本と同じような状況が起こっていた。男女が出会う場が少なくなってきていた、ということもあったけど、さすがアメリカと言うか、訴訟社会というか、とにかく結婚もひとつの契約で、破談になると損害賠償請求のようなことになるケースも増え、相手を素直に信頼するというのがお互いに非常に難しくなっていたことが最大の理由であったように思う。つまり何だかんだ言ったところで、結婚なるもの、相手を信用できないと言い出すと、彼らの好きな「愛」というものの根幹に触れる問題となるわけで、実に悲しい実態であったと思う。

僕は半分冗談で、“離婚保険”でも作れば大いに売れるのではないかと思ったほどだ。それでも日曜の新聞の“Classified”という広告のページには”恋人募集“の記事が溢れていた。もう異常なくらいで、それで知り合ったカップルというのも結構実際に居た。結婚相談所のようなところも繁盛していたようだ。出会いの機会を創造するニーズは高く、そのことが逆に出会いの困難さを表していたように思う。

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Posted on 2008/01/25 Fri. 09:49    TB: 0    CM: 0

痛みを感じるということ 

先日の3連休の時、我が家の犬(オスで6歳のチワワ)をとんでもない災難が襲った。――と言うと他人事みたいだけど、その責任は飼い主のこっちにある。実は彼の爪のひとつが前足から取れてしまって大出血、驚いて獣医に連れて行くという大騒ぎに。でも本人はケロッとしていて何事も無かったような顔をしている。しばらく少しだけ歩き方がおかしかったけど今はピンピンしている。

何故こういうことになったかというのは長くなるので省くが、自転車の前の籠に引っかかって爪が抜けてしまった。あれだけ出血したので、痛くない訳はない。獣医の先生曰く、「我慢強いか負けず嫌いでしょう」。本当に?人間だったらとてもあんなことでは済んでいないであろう。犬には悪いことをしたが、このことで最近話題になることが多くなった「再生医療」のこととか「痛み」のことを考えた。

イモリとかトカゲなどは体の一部を失っても再生する。本人(?)に聞けないのでわからないが、痛みもなさそうである。人間は複雑な動物になる進化の過程で再生能力を失って、その代わりに知能を得て、医学という技術で今その失った再生能力を身につけようとしているのかもしれない。「痛み」も同様に、高度に発達した生理的メカニズムゆえにそのセンサーが敏感になった。それだけ失われる機能の危険を早めに察知する能力を身につけたとも言えよう。

しかし「心」の問題はどうなのか。「心の痛み」という部分である。僕の犬にも微妙な心の動きがある。実はチワワをもう1匹飼っているが、性格はまるで違う。特に12歳の方は頭も格段に良くて、目に意志とか感情がある。拗ねたり、妬んだりする。もう1匹の方を可愛がると明らかに「傷ついて」いる様だ。でも自殺はしないであろう。

動物と人間の境はどこかと考えると、少なくともそのひとつは“心の痛みと生命の関係”がまったく動物のそれとは格段に違うということであろう。脳細胞の80%は使われていない領域だと聞いた。つまり人間の脳の領域のうち80%は“無意識”の領域で、実はそこで起こっていることに支配されていることの方が格段に多くて、そのことと「心の不思議」は関係があるような気がする。さすがにイモリなんかでは距離がありすぎるが、猿なんかではどうなんだろう。その心の部分に非常に興味がある。彼らと一緒に暮らしてみたら、逆に人間のことが良くわかるようになるかもしれない。

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Posted on 2008/01/23 Wed. 09:49    TB: 0    CM: 0

楽器にも人格がある? 

少し前にバイオリンの話をしたばかりなのでどうかと思ったけど、今回も楽器の話になります。

年末にソプラノサックスを買った。今までは大昔にボストンで中古で買ったセルマーのAction80というシリーズのものを使っていた。これは僕の持っているものの中ではもっとも状態が良くないものだったけど、ソプラノというのは今まであまり使う機会がなかったので、そのままにしていた。しかし去年の秋からサックスアンサンブルのグループを新たに始めたところ、ソプラノサックスの使用頻度が格段に上がってしまって、それまで持っていたものではどうも具合が悪くなった。

それで衝動的(だいたい僕の買い物は衝動的に行われるので不評である)にいつも行く楽器屋で試奏して良かったので、そのまま買ってしまった。しかも初めてヤマハの楽器を買った。それは店頭では本当に良い音がして、僕の力でもこれだけの音が出るなら良い楽器だろうと思って決めたんだけど、帰ってきて何時間も吹いているうちに、ちょっと元の楽器とどれだけ音が違うのか確認したいと思うようになったので、前の楽器を取り出して試しに吹いてみたら、これが結構よい音がするのである。ひっかかるところもなく滑らかに出る。これは驚きだった。つまり、問題は僕の吹き方であり、楽器ではなかった可能性がある。そのことに大枚を叩いた後、気づく羽目になるなんて…。

実は普段ほとんどアルトサックスを吹いていて、その合間にアルトを吹く要領でそのままソプラノを吹いていたために上手く音が出ていなかった可能性がある。そしてそれを楽器のせいにしていた。どうせ中古だし、一番安く買ったし・・・という少々馬鹿にした一種の差別意識があったとも言える。ところが今回は新品のものだから、楽器が悪いわけはない、という信頼があって、おそらく良い音を出そうとソプラノ用の吹き方(というのがどこまであるのかも知らないけど)を謙虚にやることができて、結果として元の中古でも良い音がでるようになった、と、そういうことかも知れない。しかもセルマーらしい良い音がする。ヤマハはヤマハで繊細で綺麗な音がするけど、セルマーの厚い音とは違う。今後はクラシック(クラシックのアンサンブルではソプラノは必須)のときにはヤマハを使い、Jazzのときはこの中古のセルマーにしようと・・・、この中古の音もなかなか捨てたもんじゃあない。

結構高い買い物になったけど、やはり楽器を信頼して演奏するかどうかはアマチュアにとって相当大きな問題であることに気づかされた。それと楽器にもある種の“嫉妬”のような感情があるのかもしれない。本当に怖いくらい。僕の場合は楽器で経験したけど、みんな色んなもので同じような経験をしたことはないですか?

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Posted on 2008/01/21 Mon. 09:51    TB: 0    CM: 0

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