大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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民族固有の言葉には固有の音楽が存在する(後編) 

同じことで、最近の教会の音楽が一段と醜くなった。

確かに日本にある教会だから日本人が勝手に作っても良いし、前回書いたように、祈りの言葉もどんどん「わかりやすい」口語体にすればよい。でもこういうものはビジネス用語じゃああるまいし、言葉の意味が理解できればよいというものではない。易しい単語では表現できないことも、世の中にたくさんあることは「詩」などが存在することから言っても当然のことである。同じことが音楽で起こっているのである。

少なくともカトリックの背景には西洋の文化がある。Chantというのはギリシャ旋法とよばれる音階によっているが、僕はその香りが大好きである。キリスト教の祈りの世界に非常に合っている。(非常に静謐で内面的な世界だと、僕は思う。教会より修道院にその良さが残っているように思う。)でもラテン語が無くなったときそれもなくなればよいのに、実は一部日本語にのせてメロディーだけ残っている。これがおかしい。ある民族の言語とその音楽の一体性ということがわかっていないのである。

ミサの中で今繰り広げられている世界をどうも受け付けなくなってしまっている自分を持て余しているが、別に宗教の世界だけでなく日本全体、特に教育にこの問題は多く存在しているような気がしてならない。一介の市井の民が偉そうにいうのは気が引けるが、どうも今の日本にはディシプリン(discipline)がほとんどなくなった。

先日、白州次郎の本にも彼が終戦直後にそのことを嘆いていたと書いてあったが、今はもうまったく無くなったのじゃあないかと思い暗澹たる気持ちになってしまいます。
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Posted on 2008/05/30 Fri. 11:51    TB: 0    CM: 0

民族固有の言葉には固有の音楽が存在する(前編) 

教会(カトリック教会のこと)と音楽のことを少し書きたいと思う。

少し昔にChant(グレゴリオ聖歌)という、古い修道院なんかで唱えられる祈りの音楽がCDになって結構売れたことがあった。日本でも、例えば伝統的なメロディーは5音階(「ファ」と「シ」がない)で民謡などはこれが主体になっているものが多い。ジャズではこれをペンタトニックという音階になっている。沖縄の典型的な曲も同じ5音階であるが、こんどは「レ」と「ラ」がない5つの音を使っている。

同じように、西洋にも伝統的な音(音階)がある。その中のひとつが、教会音楽のChantである。もっとも、今言ったような日本の音階も“西洋で発達した”平均律の音階解釈論に照らし合わせればそういう解釈になる、ということであって、琴や三味線のように「おたまじゃくし」を使わない楽譜の世界から言えば、べつに5音階などという言い方はそもそもおかしい。

アジアとかアフリカにも同様な民族音楽が“古くから”あり、例えばインドネシアのガムランの音楽なども同様に、西洋の楽譜では表現できない音が多用されているし、アフリカの複雑なリズム(西洋的に言えば4拍子と3拍子が混ざっているようなリズムとでも言おうか、しかもそれが半拍ずれていたりする)なんかも楽譜にするのは大変(というよりそもそも無理)である。

何が言いたいかというと、音楽は民族的に言えばそれ自体固有の文化的背景があり、西洋の記譜法は例えば英語のように「共通語」化されて認知されているが、それで全てを表現するには無理があるということである。よく言う“「グローバル」の限界”である。

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Posted on 2008/05/28 Wed. 11:52    TB: 0    CM: 0

災害・国家・人間(後編) 

ミャンマーのサイクロンの被害もすごい。こちらは、外国の救援隊の入国を拒んでいるようで、結構驚かされる。しかも、その状況下で憲法承認の国民投票を行ったというではないか。投票というのは、一応民主主義のひとつのツールのはずなのに、軍事政権でもそんなことをする、というのは驚いた。しかし、それを大きな被害の救済より優先したことで、それが民主主義制度の下で行うシステムとは、まったく違うものであることが良くわかる。

軍事政権と共産政権は、そもそもイデオロギー的には180度反対なはずなのに、起こる現象はそっくりである。ミャンマーのことは情報が伝わってこないので、それ自体恐怖を感じる。

日中の関係は皮肉にもこの地震でよくなることであろう。命の問題を目の前に突きつけられたとき、人間的な情がナショナリズムとか、“すりこみ”されているもろもろのことを超越してしまう。但し、情報が統制されていない範囲においてであろうが。

昔、向田邦子がエッセイで、台風が来たとき家族が結束する姿が好きである、というようなことを書いていた。僕もそう思ったものであるが、非常時は、人の醜さもすばらしさも赤裸々に表に現れてしまう。起こったことは悲惨であるが、そのことでむしろ救われるような気持ちになる。当事者でないから言えることであるが、当事者であれば余計にその事実に直面することであろう。

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Posted on 2008/05/26 Mon. 11:54    TB: 0    CM: 0

災害・国家・人間(前編) 

先般、このブログで中国の「聖火リレー」のことを書こうとしていたら、四川省の大地震が発生した。
今までいろんな聖火リレーがあったけど、今回のリレーは中国という国を考える上で非常に多くのことを語っていた、というようなことを書こうとしていた矢先に起きた。

今中国と言えば地震であり、被害の大きさと犠牲者への気持ちの前に、それまでに起こっていたチベットのことも、少数民族のことも、情報統制のことも、吹っ飛んでしまった。サッカーの試合のときに見た中国の人の応援マナーとかから、そもそもオリンピック開催というものと今の中国のもろもろのことの間にどうも違和感があったので、そのことも書こうとしたが、同時に吹っ飛んだ。

それでとにかく地震のことを書くことにした。

最初に思ったのは火事の話がないこと。レンガ中心の建築文化では火事が脅威になるのではなく、建物の倒壊自体が被害の主たる原因であることを示している。木造も倒壊リスクはあるが、火事が発生しない場合はレンガの建物より致死率は低いように思う。
しかし、唐山地震のときも思ったが、その被害人数の多さの桁が違う。行政や法律と民衆の関係が、日本とは全然違うということもよくわかった。手抜き工事の問題と公共施設に被害が少ない、という根本的な不平等の存在にも目が行った。

貧富の差が権力への影響力の差を生み、それが生活便益の差につながり、その結果より貧富の差を拡大する。今回そのことが最終的には命の価値の差に繋がっていることまで証明したように思う。

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Posted on 2008/05/23 Fri. 11:56    TB: 0    CM: 0

英語の前に国語ではないか(後編) 

”わからないことの大切さ”というのは実は新人が仕事を覚えるときにもある。わからなくても繰り返して行ううちに、頭で先にわかるより大切なことを学べる例は多い。職人の世界などにはもっと多い。

まあ、今そのことを述べたいわけではない。とにかく、祈りの言葉に品がなくなったことを言いたいのである。

「理解できる」というのは、一体誰を対象に言っているのであろうか。これは「教育」の問題に通じる。また話は飛ぶが、英語教育が小学校から始まるそうである。僕は反対である。英語を学ぶことに反対しているのではなく、国語をしっかり教えることを全てに優先して欲しい、というのが僕の考えである。

英語で伝えたい内容は国語力で決まる。それが貧困なままで使う英語は、機械的な英語になり、香りがなくなる。そうすると英語を母国語にしている人からみて、下手な、というより香りのない英語になる。とにかく国語力の衰退はひどい。その上に英語をやるというのは、下半身を鍛えないで上半身ばかり鍛える野球選手のようなもので、かならず壁に当る。

教会にあまり行かない理由にしてはちょっと言いすぎであるが、あのミサの空間が、祈りの言葉と音楽(実はこれもどんどん貧困になっている)の劣化によって、ますます醜いものになっていっていることに、どうも我慢がいかないのである。そういう意味では、お寺のお経が口語体になっていないことは、大いに誇ってよいと思うのである。

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Posted on 2008/05/21 Wed. 11:57    TB: 0    CM: 0

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