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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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英語の前に国語ではないか(前編) 

たまたま、先日ブログで書いた教会の件をかぶってしまうが、最近東京のカトリック教会で感じたことである。

僕はめったに教会には行かない(自慢することではないが・・)。
最大の理由は、日曜の用事が多くてなかなか時間がとれない。しかし、それだけではない。

そのひとつに、ミサの中身の問題がある。僕が子供のころには、司祭が唱える祈りの多くはラテン語だった。もちろん意味も殆どわからなかったが、結構丸覚えをしていて、それが口について出てくることに快感があった(なぜ快感があるかということは、結構恥ずかしいことだったかもしれないが)。それが何年かして、ラテン語と日本語の混在型になった。しかし日本語と言ってもいわゆる口語調ではなく、普段使わない文語体が中心であった。それから時代が下るごとに、何度かの改革(?)を通じて、ラテン語は姿を消し、次に文語体も姿を消し、最近はまったくの口語体になった。殆ど会話に近い香りのない言葉になってしまった。

確かに意味がわかることは重要であろう。しかし、意味がわかること以外の役割があることが完全に無視されていることに、少々憤りを覚えている。

世の中には“わからない大切さ”というものが確かにある。言葉とか文字文化に限って言ったとしても、例えば杜甫の漢詩だとか、旧かな使いの明治時代の本とか、残念ながら僕にも全部内容がわかるものではない。でも、それを声に出したときに感じる“音の美しさ”というものがあるのである。

変な話であるが、最近のラップミュージックを聞いていると、文末に韻が踏まれていて、妙に心地よい。それは伝えたい言葉の意味とは別の耳で感じる音としての美しさが計算されているからである。
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カテゴリ: 社長ブログ

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Posted on 2008/05/19 Mon. 11:58    TB: 0    CM: 0

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