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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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偽善と無差別殺人(前編) 

秋葉原でまた“通り魔殺傷事件”があった。最近この種の事件が多いが、こういう事件が起こるといつも持って行き場のない苛立ちを覚える。そもそもこの「通り魔」という表現も気になる。

「殺人」というのは残念ながらいつも起こる。私個人としてそれを容認している訳では決してないが、事実上法律的に罪に問われない“合法的”な「殺人」とも言える戦争とか死刑執行というのはともかく、そもそも“通常”(?)の殺人というのは普通(というか歴史的には)相手とかグループが特定されているケースがほとんどであったし、具体的な対価(物を入手するとか・・)が存在するものが多かったわけである。

しかし、この「通り魔」とか「無差別」という冠のつく「殺人」というのは、自分以外のもの(組織・人・親)への恨みがその基本にあるように思える。だいたい、身の回りに起こることを“自分に原因がない”と考える人には、ろくな人間がいない。仕事をしても成果は出ないし、決して人から尊敬されないので、友人もできない。だからさらに「被害者意識」が亢進する。

秋葉原の歩行者天国をやめるとか、防犯カメラを増やすとか、メールを事前に調べる、などの話がでているようであるが、そんなことをしても“根っこ”の問題は何も解決しない。この種の事件を減らすことができるとはとても思えない。余計にその意味のない「怒り」が増し、それをかいくぐる方法を考える熱意を高めるだけのような気がする。

なんどもブログで書いたことであるが、その犯人が赤ん坊から成長していく段階でその身近にいた人の責任は重いと思う。とりわけ親の責任は重い。教育の現場での責任も重い。ジャーナリズムや政治家の責任も重い。僕は、世にはびこっている一種の「偽善者」の責任であると思う。自分の見栄とか、エゴが本来の理由であることに気づいているのにそれに気づかないフリをして、本人に正面から接してこなかったこと、その心である。

人の成長という時間軸で考えると、火事と一緒で、煙のときに消さなければ後からの消火は至難の技である。性犯罪なんかもそうであるが、せいぜい出来るのは「隔離」である。またそうすると加害者の「人権」というお化けが闊歩し始める。
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カテゴリ: 社長ブログ

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Posted on 2008/06/18 Wed. 11:28    TB: 0    CM: 0

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