大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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事件を通して実感する「敗戦」(前編) 

また“一体どうなってんの?”型殺人事件が起きた。

中学三年生の女の子が父親を刺した事件のことである。しかも一緒に食事を作って、ビデオを見て、就寝中に突然思いついて刺したと言っているらしい。精神的な病気であるならわかるがそうでもないらしい。そうであるならこれぞ「病気」であり、しかも、もっとも暗い闇に存在する「心の病気」であろう。病気を健康でないものと定義することを正面から否定する病気が現れたのかもしれない。

僕はよく、人の心の中には“天使と悪魔の両方が、いつも手を繋いで存在している”と言うことがある。天使と悪魔は川の両側にいるのではないと。おそらく、積もり積もった小さな不満のようなものがあったとか、いろんな解釈はできるのであろうが、やはり一番大切なことは“善人や悪人”を簡単に区別してはいけないということではないかと、改めて思った。

何が言いたいかというと、教育とか人を育てることで一番大切なことは、“自分というものはよくわからないもの”であるから、“制御しなければ何をするかわからない”ということを教えることではないかと思う。そして「制御」には、なんらかのスタンダードというか、それを行なうツールとか基準が必要である。昔はそれを道徳とか倫理とか呼んだし、西洋ではキリスト教などもそのひとつであった。
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Posted on 2008/07/30 Wed. 10:23    TB: 0    CM: 0

台風で思い出すこと 

台風で思い出すのは四国の自転車旅行と、生家が土砂崩れでなくなったことである。今回は生家が無くなったときのことを書こうと思う。

あれは僕が大学3年のときであった。生家のあった尾道は坂の多い町であるが、とりわけ生家が建っていたところは急峻な勾配のところであった。台風の大雨で、山頂から我が家のある中腹まで土砂崩れでスキーのゲレンデのようになってしまった。弟と僕はそれぞれ尾道を離れて大学に通っていて、家には両親しか居なかった。7,8軒程度の家が流されて、8人が亡くなった。長良川が決壊して新幹線が不通になり、東京から帰省するのに何日もかかった。

自分の生家がなくなること、住むところがなくなること、入院した肉親の健康が回復するかどうか分からないこと、幼友達や世話になった周りの人が急に居なくなったこと、一緒に育った犬と猫は土の下になって遺体が見つからなかったこと、自分の成長の思い出であった、例えば壁の落書きとか自分の机とかが跡形も無くなったこと、大好きだったピアノが潰れて無残な形で土の中から出てきたこと・・・そして生家での思い出がすべて目に見えるものとしては無くなってしまったこと、・・・初めて遭遇したことに、苦しんだ事件であった。

自然の力は大きい。事故の起こった夕方7時30分。
薄明かりと土砂降りと柱の下敷きになった両親の状況が、まるで見たように脳裏に刻み込まれている。お陰で両親だけは助かった。奇跡のような話だった。

僕たちが通っていたカトリック教会のシスター達が、作業着を着てモッコを担いで何度も土を運んでくれたこと。命があったたでけも有難いと本当に思えたこと。当たり前のことが当たり前ではなかったということを学んだ。

家も別の場所に新しく建てた。その場所は畑になっているし、そのゲレンデはその爪あとを今もとどめている。

でもニュースで同じような事故を見るたびに、あのときの自分を思い出す。

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Posted on 2008/07/29 Tue. 10:24    TB: 0    CM: 0

「楽しめる」といえる職業とそう言える人(後編) 

このことで思うのは、わが社のこと。

以前にも少し書いたと思うが、わが社の紹介部門というのはまだ立ち上げて3年目。社員の多くはこの仕事(キャリアコンサルタントという,、人の一生に関われる仕事というような表現が多い)につきたいと思い、さまざまな経歴を持ちながら集まってきた。この世界が長い社員はほとんど居なかった。今では在籍3年経過した社員も何人かいるし、さまざまな理由で途中で辞めていった社員もいる。

「人の幸せ」などと言いながらも、結局はビジネスであり、売上を挙げなければならない。かと言って目先の“根拠のない、その場しのぎのアドバイス”ではお客さんは評価してくれない。自分の力も上がって行かない。経験・センス・自信とかによる「余裕」を持ちながらこの仕事ができるようになるには、結構時間がかかる。それだけ奥が深い。でもその前に挫折したり、この仕事の“簡単には成果が出ない”性質ゆえに、自分のモチベーションを維持するのは難しい。

これはある意味では「踏み絵」でもある。

しかし、壁を一度越えた社員は強い。もちろん壁は何度も来るし、その都度違う形をしているし高さも高くなるかもしれないが、“与え続けられる”こと自体が充実感にもなる。つまり“歯ごたえ”のある仕事ということでもある。

それをすることに「幸せ」を感じられるかどうかは、結局、その人の「能力の向き不向き」に関係する。あるいは一種の困難への耐性に関係する。それが持てる自分なのか、自分で勝負する前に土俵を降りる社員もいる。周りの社員や上司と合わないということが、自分の中で大きな意味を持ってしまう社員もいる。組織での仕事でもあるが、個人で管理する仕事の要素が多い。その意味でもすごく本質が見えてしまう仕事である。

伊達が「今なら楽しめる」と感じてまた始めるのと同じような感じ方ができる職業だと、信じている。でも、昔の伊達が居たからそう言える伊達がいる。たぶんどんな仕事にも当てはまることであろうが、それを感じられるための難易度ということでは、仕事によって差があるであろう。わが社におけるキャリアコンサルタントのような、自己管理型の仕事の難易度は決して高くない。それを理解して欲しいといつも思っている。そして伊達のようなさわやかの充実感を感じるまで、頑張って欲しいと思っている。

「今は楽しい」という“今”が来るまで・・・

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Posted on 2008/07/23 Wed. 10:26    TB: 0    CM: 0

「楽しめる」といえる職業とそう言える人(前編) 

テニスの伊達公子が、プロとしてまた活動を再開した。

そもそも彼女の実力や当時の年齢から言って、少し引退が早すぎるのではないかという感じがしていたので、何となく燃焼しきれていなくて、当時の栄光とか充実感が恋しくなって始めたのかなあと漠然と思っていた。

先日NHKで彼女の長い番組をやっていて、つい見てしまったが、少し考えさせられた。
彼女は「今なら楽しめる」と言っていたことが印象に残った。

僕が思っていた理由の全てが外れていたわけではないと思うけど、やはり、子供の頃からやってきたテニスの到達点としてのプロ活動、一定の成果を残すまでやらなければ今までの努力が何だったのかというような気持ち、周囲の期待、プロいうものは厳しくて当たり前・・・そういった当然誰でも遭遇する“職業というものが持つ”「一本の決められた道」を歩んでいたのであろう。それが例えば世界ランキング第4位とか、グラフに有明で勝ったとか、結婚とか、そういうもろもろのもので、一種のburn outもあり「虚脱」したのであろう。
そして活動を再開した。

結婚とか、子供にテニスを教えるとか、そんなことをしている中で、彼女は自然にテニスというスポーツに“余裕を持って”接することができるようになり、それに気づいたのであろう。そしてやはりテニス以上に、自己表現できることが見つからなかったのであろう。

もちろんプロとしてカムバックする、ということはまた「あの勝負の世界」に戻ることなので、前と同様の厳しさとかテンションなんかを覚悟することではあろうが、それがたぶん同じ「一本道」ではあっても、もっと広い道に見えているのではないかと思う。勝負という意味も、同じように広い意味になったのだと思う。

とにかく気負いのない“さわやかさ”があった。

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Posted on 2008/07/22 Tue. 10:29    TB: 0    CM: 0

地球の裏側まで行かなければならなかった日本人 

今年は最初のブラジル移民から数えて百周年の記念の年だそうだ。

実は、僕の大叔父(祖父の弟)はブラジルに移民した。広島にはブラジル移民が多いとも聞いた。子供の頃、時々この大叔父さんから届いたというコーヒーを飲んだことがある。ブラジル百周年で、このことを思い出した。そういえば、もう長くコーヒーは届いていない。祖父も亡くなってしばらく経つので、この大叔父ももうこの世には居ないであろう。その子孫も、日本の親戚のことなんか忘れてしまっているのであろう。だから、僕の中でのブラジル移民は過去のことになっていた。

当時、ブラジルに移民するということの意味を考えたことはなかったが、コーヒーを飲む度に、見知らぬ国ブラジルと、そこに渡って行った大叔父の悲しみを伴った決意の大きさみたいなものを何となく感じていたものだ。その後大叔父はかなり成功したと聞いたが、そう言われれば言われるほど、その裏にある時の過酷さのようなものを同時に感じていたように思う。

例の「おしん」の世界である。調べてみたら、ブラジルには150万人ほどの日系人がいるらしい。世界最大の日系人社会があると。戦後、日本が豊かになって日系企業がブラジルに進出し始めたとき、日系人の評判がよかったので日本へのイメージが随分良くて助けられたようである。今日本では、ブラジルの日系人には無制限に労働ビザが発給されるらしい。それだけブラジル日系人が日本にも増えているのであるが、犯罪なんかで話題になることも多くなった。

日本に生きる場がなくて、希望を抱いてブラジルに渡った一世。今、その何代目かの子孫が豊かになった日本に日系人として渡ってきている。一方、BRICSといわれる国々の仲間入りをして、資源国として発展し始めている現在のブラジル。地盤沈下が始まった日本。この100年の時の流れの重さを思う。

僕の大叔父の時代と、会ったことのない彼の顔を想像する。そして、未来の日本と日系ブラジル人たちの今後に想いを馳せる。

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Posted on 2008/07/18 Fri. 10:30    TB: 0    CM: 0

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