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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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柔道をみて-北京オリンピック 

オリンピックの試合が連日あるので、つい見てしまう。
その中で特に気になったのが、柔道の試合。完全なポイント制でしかも反則ポイントの公平性がどうなのか、ということ。

オリンピックは「スポーツの祭典」というが、スポーツってなんだろう。僕の知っている柔道とはどうも違う。技(ワザ)のレベルとか決まったときの美しさとか、あるいは綺麗に勝つとか、そういったものが殆ど見て取れない。なんか美しくない。ルールはもちろん違うが、レスリングなんかとどう違うのか。とにかく柔「道」ではない、ジュウドウという名のスポーツということを、つくづく感じた。また、審判の質と言うか、今のルールではそのことにより大きく結果が左右されてしまう。そういうルールでよいのか、ということも気になる。

オリンピックの競技に採用されるというのは、多くの国で広く行なわれていることが必要で、その競技発祥の国がその競技の背景として持っている文化などとは切り離されて、国境を越えて行かざるを得ないということなのであろう。他国発祥の競技も同じような要素を持っているのであろうが、日本人の僕にはわからない。でも柔道が美しくて誰が見てもどっちが強いのか、もう少しそのことがわかって、それが勝敗を左右するような「競技」にして欲しいと思った。美しく技を決めようなんで考えていたら、確実に負けると思えることが、どうにも残念である。

それから、谷亮子のことも気になった。結局銅メダルに終わったけど、とにかく暗い顔をしていた。動きもはつらつとしておらず、彼女独特の弾けるような動きが見られなかった。何か体調の問題だったのかも知れないが、母になったこととも関係するような気がした。競技者として必要な闘争心とかそういうものが少なくなってきたのかも知れない。

モチベーションを長く維持するのはそもそも難しい。また彼女の環境も変わった。母親になるということは、家庭とか子供を守る本能が自然に芽生える。母親に戦う競技者としてそれを求めるのは少し難しいかもしれない。「田村でも金、谷でも金」は良い、でも「ママでも金」というのは、かなり違うのかもしれない。

そんなことも、少し思った。

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Posted on 2008/08/18 Mon. 10:08    TB: 0    CM: 0

国家イベントと国民性-北京オリンピック2008(後編) 

また、情報が自由に入手できないので、常に一方向のベクトルに皆が向いているようにも思う。その分チームプレーはあまり得意ではないように思う。しかし、1対1でビジネスの交渉をするとまず押し込まれる。こう言ったら失礼であるが、羞恥心の在り処が違うような気がする。それが日本人に時として沈黙をもたらす。

でも、個人個人は素朴で、仕事(というより”お金“と言うべきか)が絡んでないときには義理人情があり、今の日本人より好きかもしれない。とにかく冷めてない。熱くおせっかいである。人を過剰に疑ったりしないし、ウラオモテがない。そう考えると、個人レベルで感じる中国と、国家の構成員として国民全体として見たときの中国との違いがとても顕著な感じなのである。

このオリンピックは、中国にとっての大きなターニングポイントになることは間違いない。これによって、世界の中心という意味の“中華”というプライドではない、“他を認める”ことが出来るかが試されているように思う。中国選手以外への応援マナーとか、世界には違う考え方もあるんだというようなことへの余裕とか、そんな国になって欲しいと思う。

地方と都会、教育による貧富の差、年配者と若者の意識の違い。個人のあり方と国家との関係、中国は複雑で大きな問題を多く抱えている。このオリンピックを開催したことで何が違ってくるのか。大いに関心を持っている。それと、この北京オリンピックをみていると、東京への誘致にみる日本国民の冷めた感覚が改めて気になる。

どっちが良いとか言いたいわけではないが、考えさせられるものが多い。

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Posted on 2008/08/12 Tue. 10:12    TB: 0    CM: 0

国家イベントと国民性-北京オリンピック2008(前編) 

オリンピックが始まりましたね。

開会式はライブでは見られなかったので録画してみた。期待以上の迫力・アイデアでとにかく圧倒された。「中国四千年の歴史」とか言うが、まさに「中国四千年の悲願」と言っても良いような国民全体で“本気”で作った自慢のイベント、という感じがした。
次から次へと繰り出される、あの一糸乱れず完全に統制された催しは、ちょっと北朝鮮のそれにも似ていたところに違和感もあったが、それだけ中国にとってオリンピック開催の意義の大きさが国家・国民で徹底的に共有されている熱さを感じた。もっともテロのこととか、少数民族のこととかを考えると、このオリンピックは中国の「漢民族」の悲願の達成と言った方が良いのであろうが。

中国は、前職で担当していたことがあり、何度も出張していた時期がある。とにかくいろんな不思議に満ちている。どういったらいいんだろう。世界の国々と自分たちの違いに結構鈍感で、それだけ自信に満ちている。いや、自信に満ち溢れているから、他の国の文化などとの違いに無頓着なのかもしれない。それほど大きな国であり、人口も13億人と桁違いに多い。中国自体が「世界」なのであろう。

自己主張が激しいので、厳しい処罰を伴うルールでコントロールしなければ統制がとれない。喧嘩しているのかと思うほどの激しい音を持っている言葉。特に、南の地方で使われる広東語なんかは本当に怒っているみたいだし、何か交渉をするときも自分で譲歩するという感じはまったくない。

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Posted on 2008/08/11 Mon. 10:16    TB: 0    CM: 0

事件を通して実感する「敗戦」(後編) 

昔、「金八先生」という番組があった(というか今もあるのかもしれないがテレビをあまり見ないので知らない)し、この前「ごくせん」というのを見ていたら、基本的にこの2つには共通したものがある。そう、「人間として守らなければならないもの」を「体を張って」伝えようとしていることである。

教育で一番大切なのは家庭教育。しかも小学校に入る前までの家庭教育だと思う。学校の教育ももちろん大切であるが、それは集団とか組織の中で生きていく為に大切なものを教えることが主眼であるような気がする。その意味では家庭と学校での教育に「大切なものを教える軸」が無くなった。

戦後の敗戦の中で多くのものが「民主的」で「自由」になった。それはアメリカの影響が大きい。日本は物質的には豊かになったかもしれないが、こういう事件に遭遇するたびに、“今本当に戦争に負けたんだなあ”と思う。

殺し合いの戦争だけが戦争ではないと思う。精神とか文化の戦いという部分が見過ごされている。そういう意味で、これらの事件は日本が長く培ってきた「軸」がなくなってしまったことによる。その多くが、先の戦争に負けたことから始まったように思えて仕方がない。

そう、得たものがあれば失ったものもある。でもどちらがより大きいのであろうか。

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Posted on 2008/08/01 Fri. 10:23    TB: 0    CM: 0

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