大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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世界経済の現状 

今世界経済が大きな危機に面している。

今までも何度も不況を経験しているが今回のものは今までのものと本質的に異なっているように思う。金融のことは専門外であるが、どうもこのサブプライム・ローンの問題というのは、一種のイリュージョン経済と実態経済が違うことを皆忘れてしまったままで、国も国民も経済活動をしていたことが原因ではないかと思うのである。
しかもその中身がわかっていなかったという点が、日本のバブルなんかとも少し違うような気がするのである。リスクも細分化されて、ほんの少しずつ非常に多くの金融商品の中に紛れ込んでしまえば、電子顕微鏡でも持ってこなければ、どこにそれがあるのかもわからない、というような現象のような気がする。

製造業というのは目に見えるものを作るビジネスである。そしてそれを買う便益は、手に入れて利用することによって、目に見える形で感じ取ることができる。

しかし、今回の金融商品は一種の「債権」で、“条件がどうなったら互いに何かをする”というような約束を権利とか義務のようなものにして、それを売買している商売ではないか、というようなイメージを持っている。そうすると、約束が果たせないということが起こったとしても、それを強制する手段がない。物の売買であれば代金を払わないとか、その物を返すとか、なんらかの現状回復が可能である。

サービス業なんかはその中間かもしれないが、とにかく金融商品というのはもっと本質的に違うような気がする。

そう考えていくと、お金儲けとか利益とかのあり方を考えさせられてしまう。豊かさが何か、というようなことにも通じていく。派手や便利でもないし、急にお金持ちになることもない。でも急に全てを失うこともないのではないか?

また、今回のものは、世界がこの経済原理の下ではひとつになってしまっていることもわかる。この種の商品は「輸送」する必要がなく、あっと言う間に世界の金融細胞のようなものの中にウイルスのように侵食している。だから国ごとでの対策では、解決しない問題でもある。

今後もどんな商品が出てくるかわからない。でも、それを考える仕組みとか、何かそういうものを扱う会社とか、よく考えて見なければならない。

しかし、どうも根本的な何かを忘れている社会があるような気がする。

ところで、長々とブログを続けてきましたが、この回で少し中断させてもらえればと思っています。
ちょっと大学院に入り、勉強を続けようと決心しまして、仕事をしながら、趣味もしながら・・・ということになるかどうか。いずれにしても当分新しいチャレンジ生活に突入すると思います。
また新たな生活のリズムが出来たところで始めさせて頂きたいと思っています。
勉強のテーマは、恥ずかしいので言いませんが、今後日本の社会で必要となる分野のひとつではないかと思っています。
また再開するときは、宜しくお願い致します。

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カテゴリ: 社長ブログ

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Posted on 2008/10/27 Mon. 12:40    TB: 0    CM: 0

現代コミュニケーション 

最近の若者の行動パターンで驚くことがある。うちの愚息もそのひとりであるが、“コミュニケーション能力がどうのこうの”という話を良く聞くが、どうしてどうして。

実は、広島カープのファンクラブの交流をミクシーなどのSNSを使ってやっているようで、試合観戦なども互いに交代で並んで切符を入手したり、休みの日はファンがそれぞれ自分の贔屓の選手のユニフォームを着て、互いに連絡を取り合って試合をしている。まったくそれまで知らなかった同士が、インターネットを介して知り合いになり、ひとつの完全な仲間を形成している。

最近は中高年でもSNSを利用し、同好の士がひとつのグループを作って、行動するとも聞く。しかし、若い人のそのスピードの速さと言うか、信頼(?)の強さと言おうか。とにかくその行動力には感嘆する。もちろん人によって性格もいろいろあって、入ってみると難しいこともあるのかもしれないが、表面的にはあっという間に親しくなっているように見える。

また、愚息は熱帯魚の趣味も持っているが、しょっちゅうインターネットなんかで互いに欲しい魚を交換して手に入れている。ほとんどついていけない世界を感じる。

コンピューターの発達は凄まじい。どんなに離れていても意思の疎通が出来るし、相手の顔も知らないでメールでやり取りしている。中にはよからぬ人物もいて、いろいろ事故というか、騙されたりすることもあるんだろうし、例の自殺を意図して仲間が集まるなどという、反社会的な役割もこなすので両刃の剣なのだろう。

ひとつの仕組みが、確実に人と人の関係を変えていっているのを目の当たりにすると、あと10年もすると今度は何が起こるのかと、大いに不安を掻き立てられる。

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Posted on 2008/10/22 Wed. 15:27    TB: 0    CM: 0

祝!日本人4氏がノーベル賞受賞 

4人の日本人ノーベル賞受賞者の話題で持ちきりである。

本来明るい話題なんだけど、政治で落ち着かず、世界経済の状況などで、なかなかゆっくり味わえる環境ではなさそうである。でも4人というのは快挙である。

いろんなことを考えた。

今回いずれもが「基礎科学分野」での功績であったこと。その理論を基にして“役に立つ”具体的な技術が開発され、いろんな分野で役立っているらしい。どっちかと言えば“応用・実用”に強いといわれてきた日本としては少し溜飲を下げたこと。

それから、それらの理論や発見が随分前に行なわれ、今回ノーベル賞という形で評価された“時間の長さ”。

また、こう言った研究とか発見というのは、やはり若い時代の寝食を忘れて没頭するような情熱の中で生まれるものなんだろうな、とも思った。

さらに、米国に居たから賞がとれた、というような部分。アメリカのこういう部分での底の深さということも改めて感じた。

ノーベル賞の受賞者選びが、どうやってなされるのかは良く知らない。平和賞なんかは政治的な要素がありそうであるが、それ以外はどうなのだろう。トップクラスの学者の世界は、結構狭いのであろうから、その功績の価値なども常識的に事前に序列が決まっているのかもしれない。審査の透明性とか妥当性なんかがどうなのか、興味があるところである。

とにかく研究者が一生かけて取り組んできたことがこういう賞が取れたかどうかで、世間的には圧倒的にその評価に差がつく。

僅差で賞が取れなかった人などの心境に、少し思いを馳せてしまうが・・・。

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Posted on 2008/10/20 Mon. 15:43    TB: 0    CM: 0

広島カープへの期待 

今年のプロ野球は終わりましたね。

もちろん、上位3チームにはクライマックスシリーズや日本シリーズがあるわけだけど、我が広島カープの今シーズンは終わってしまった。

しかし、ここ何年振りかで、最後まで期待を持たせてくれた試合をしてくれて、それは正直に感謝している。結果的には、残念ながら何となく安心できる“よく知っているカープ”に帳尻を合わせてくれたとしても。

特に今年は、現在の広島球場での最後のシーズンで、試合数が進むに従って、その試合の意味が変わっていった。観客も選手もそのことを強く感じていたに違いない。そして、それが今年の強さのひとつの要素であったかもしれない。

選手も昨年までと違っていた。黒田や新井が抜けたということが、ネガティブな要素にはなっていなかった。代わりの外人選手や若手も台頭してきた。だから、来年以降は球場も新しくなって、同時にカープも新しく生まれ変わったイメージを出してくれそうな気もする。

できればAクラスのカープイメージを生み出して欲しいと強く願った、今期のカープであった。

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Posted on 2008/10/17 Fri. 15:02    TB: 0    CM: 0

パラリンピックの輝き 

先日床屋に行った。

もう5年くらいは同じ人にやってもらっている。半年前くらいにその人が同じ系列で距離もそんなに遠くない別の店に移ったときも、その店に変えた。別に特別な髪型でもないし、仕様変更などないので、ほとんど口を聞く必要もないくらいで、うたたねをしていることも多い。そういうパターンと言うか、僕の好みとかもわかってくれていて、しゃべらなくても良いのである。

ところが先日は少し違った。その理容師さんが、ちょっと熱意を込めてしゃべってきたのである。ちょうど北京パラリンピックが行なわれていた頃で、「最近理由もなく刃物を振り回して、見ず知らずの他人を殺傷する事件多いけど、五体満足な人がそういうことをするニュースを見ると、パラリンピックなんかで、体が不自由な人があんなに努力して、しかも顔を輝かせているのを見るとちょっと考えてしまいますね。何かおかしいと思いません?」というようなことを言ってきた。

寡黙な人が力説するのに驚いたが、パラリンピックと、最近のその種の事件を結びつけて考えたことがなかったので新鮮に聞こえた。

僕は職業柄、ああ言った事件を起こす人に心の病を見て取り、非難だけでは済まされない、かすかな同情も同時に感じる。でもどこまでが病気なのかはわからない。体と違って、そもそも心の病気というのは、どういう風にとらえたらよいのか未だにわからない。

パラリンピックに出ている人たちは確かにハンデを背負っている。落ち込んだり、自暴自棄になったこともあるに違いない。今でもそういうことに晒される可能性は、健常者よりきっと多いに違いない。でもあのような輝きを持つために努力したその動機というか、そうさせたものは何なんだろうと思う。ハンデがあるから出来たとまで言って良いのか。逆に事件を起こした人は、体は不自由でなくても心が弱かったり、育った環境なんかで長く傷ついてきた人かもしれない。それもハンデと呼べるかもしれない。そして輝く方向に向かわず、事件を起こす方向に向かってしまった。

「周りの人たちのお陰です。」という言葉がメダリストの口から良く出る。でも周りの力というものより、自分で自分を導く力の方がはるかに重要で、また結果につながる要素としては大きいはずである。答えは簡単ではないが、そんなことを考えながら、彼に曖昧な答えをし、またうたたねを始めてしまった。

応えるには奥が深い問題であった。

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Posted on 2008/10/15 Wed. 15:27    TB: 0    CM: 0

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