大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

01« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.»03
 

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カテゴリ: スポンサー広告

[edit]

Posted on --/--/-- --. --:--    TB: --    CM: --

“懐かしい”ということ 

先週初めて東急池上線に乗った。なぜか今まで縁がなくて乗ることが

なかった。昔、英語教室の先生をやっていたアメリカ人の友人がこの

沿線に住んでいて、非常に気に入っていると言っていたことを思い

出した。どこがそんなに気に入っていたのか話したような気もするが

思い出せない。そのこともこの電車に乗って思い出した。街のことは

よくわからない。先方の会社に行くのにたまたま乗っただけだし、沿線

の街を散策したわけでもないから。でも降りた駅「雪ヶ谷大塚」の

商店街にはこの路線と同じ独特の香りがあった。結構都心に近いのに

どこか忘れられているような、でも保存しようというような肩に力が入っ

た様子もない。適当に時代に任せて近代化してきたが、全然近代的

ではないというような感じのスポットである。距離の短い路線だから

許されているのかもしれない。昔経堂に住んでたとき時々乗った東急

世田谷線も同じ香りがある。その香りがなんなのかちょっと考えた。

旗の台で大井町線から乗り換えたときガツーンときた。そう、まず高架

になっていない。だから昔の匂いが残ったんだと。乗り換えたとき、

池上線のホームが大井町線のホームとは全然違うことに気が付いた。

くっついているのにこの違いはなんなんだと!

沿線が長くて利用者の多い路線はどんどん高架になっていく。

高架になるとなぜかどの駅も同じ顔になっていく。日本全国、国道に

バイパスが出来ると皆同じ顔の町になっていくように。


池上線には戦前の駄菓子屋のような匂いがある。昭和30年代あたり

まで日本のあちこちにあった匂いである。アメリカ人なんかでに日本

に住みたくなる人に共通しているのは、こういう香りが”彼らが好きな

日本”という点である。雨なんか降っているともう最高である。


池上線に、”便利にする必要がないこと”の幸せを見たような気がする。

自分でも忘れていた自分の中にある”懐かしさ”にちょっと立ち止まった

一日でした。

スポンサーサイト

カテゴリ: 未分類

[edit]

Posted on 2009/02/15 Sun. 14:03    TB: 0    CM: 0

BGMとしてのクラシック?メトネル 

注文していたメトネルのCDがやっと届いた。

ラフマニノフとほぼ同時代のロシアの作曲家で、最近その存在を

知った。ピアノ曲がほとんどで日本ではあまり有名な作曲家ではない。

HMVにCDを注文したらイギリスから取り寄せたようである。

これがなかなか良い。刺激されたのでブログにしています。


メトネルの曲は、ちょっとドビッシーとかシベリウスとかのピアノ曲に

感じが似ているが、メロディーラインが勝っていない分、作品による

違いが少ないように思う。20世紀の匂いがしつつ古典的である。

こういうのは本を読んだり、ものを書いたりするときのBGMとして

最高である。Jazzで言えばキースジャレットのピアノソロ(たとえば

ケルンコンサート)である。最近こういう感じの音楽を求めている

自分がいる。力を入れて聞くのではなく、”耳に障らない普遍の香り”

といったような音楽に惹かれる。オーソドックスであり一貫性を持って

いるもの、つまり「古典」と言いたくなるもの。


話は飛ぶが、舘野泉のフィンランド人作曲家を集めたピアノの

小品集が好きで最近よく聞いていた。彼は今「左手のピアニスト」

として有名になった。脳梗塞でピアノを諦めかけたけど動く左手

だけで演奏できる曲に出会って一段と奥深い演奏ができるように

なった。大変な努力であったと思う。でも両手の演奏で才能を

発揮することより易しいかもしれない。それだけ才能があり、それが

証明されたとも言える。ハンディキャップというものの効用、という

誤解されそうな言い方だけど深いものの感じ方を教えてもらった。

ハンディキャップというのは、その人の力量が本当にどのくらいか

を残酷に教えてくれる試練である。しかもその人自身にしかそれは

わからない。(こころの健康障害の場合にも一部当てはまるような

気がする。すごく孤独だけど、超えたとき自分にわかる強さを残して

くれるように思う。)


実はバッハなんかを聞いていると、この「古典」ということを考え

させてくれる。極端な考え方だとは思うが、古典というのは長い

時間を経て残っているある種普遍な価値で、一見地味であるが

(いや、地味だから)大きなものを伝える力を持っている。

舘野さんの左手のピアノから感じるのは、曲としての古典ではなく

人間の中にある古典である。雨の日なんかに聞くと一層それを

感じる。


ここのところ風は強いがよい天気が続いている。メトネルを

聞いていると、ちょっと雨の日曜日が待ち遠しくなりました。

カテゴリ: 未分類

[edit]

Posted on 2009/02/08 Sun. 14:38    TB: 0    CM: 0

心の健康(雑感#4) ?オーガニックであることの効用? 

最近、仕事でお客様と話すとき、「オーガニックなものの考え方」

の効用というか、その力に触れることが多い。

コンピューターの世界は1か0の2進法である。つまりOnかOffか

のどちらかで表現する。「デジタル」な世界というのはそういう

世界である。この二元論で行うと、計算のスピードも格段に

速くなる。音もシャープになる。つまりノイズのないCDの音である。

実際の自然の音とはまったく次元の違う人工的にシンプル化した

”物理的な意味”での音である。耳というのはアナログ信号しか

理解できない。だからスピーカーというのはデジタル信号をアナログ

な「音」に変える機能を受け持っている。まあこのコンピューターの

技術で世の中は格段に便利になった。


問題はこの耳である。耳は体の一部であるのでそれ自体有機物で

ある。心の話を続けているが、医学的に言えば心は脳であるが、

未知のメカニズムに満ちているので「脳」という表現では無意味

なので「心」と言っているんだと言うことにも触れた。

人間の心の動きは不可思議であり、YesでもNoでもない感情

に満ちている。


ちょっと論理が飛躍するかもしれないけど、今あたかも空気のように

当たり前の存在になったコンピューター技術に囲まれて生活して

いる僕たちは、何でもYesかNoかで割り切らなければ認められない

と無意識に強制される世界の中にいるということはないだろうか。

”うつ”という心の病気は、人間がオーガニックであってはならない

と強制されている世の中への警鐘ではないかという考え方もある

のではないか。うつの人にには「がんばれ」と言ってはいけない

と専門家は言う。もう充分頑張っているからだと。


実際の自然界の音は「ノイズ」に満ちているし、デジタル的に言えば

邪魔な、あるいは無駄な音がほとんどである。もっと言えば一見

役に立たない雑音に満ちている。心の動きもそうである。OnとOff

ではない多くの無限のあいまいな感情で満ち溢れている。人を

好きになるとか嫌いになるとか、綺麗とか汚いとか、そんな生身

の心の動きは「そのどちらですか?」と聞かれること自体、その

どちらかに決めなければならないこと自体が”ストレス”なので

ある。


僕は、やはりこれら一見無駄のもの、あいまいなもの、邪魔に見える

もの達の中にすごくすごく大切なものがあるのではないかと

思うのである。そう思っていいのである。心を健康に保つには

生身の人間として「自然」であること。”それでいいんだ”と許して

あげることがとても大切なことなんだと思う。


生活をし、人と交わり、会社で仕事をし、一定の成果を挙げ評価

される。集団とか社会の中ではMajorityであることは安心で

あろう。でもそういうことの中にも”そのどちらでもない”ことが

無数に存在する。心はとても私的で、とてもナイーブで、とても

非合理なものである。有機的であり、美醜を併せ持つ。それが

”人間的”なのである。今そういったオーガニックなものの価値

が見直されている。それは極論を言えば、無駄と言われたもの

の”復権”なのではなかろうか?社会に役立つことというの意味は

白か黒ではないのである。


カテゴリ: 未分類

[edit]

Posted on 2009/02/04 Wed. 23:12    TB: 0    CM: 1

心の健康(雑感#3) 

立て続けに更新している自分が少々不思議です。

心の健康(雑感)シリーズ(?)をちょっと続けます。


前回、人間のタイプの話に触れたところで終わっていた。僕の考え

ですが、生まれつき持っている性格(脳のタイプ)という要素が乱暴に

言えば50%くらいあるのではないかと思う。例えば、”気がよくつく”

というのは一つのタイプであり、遺伝する部分も大きい。その分他人

の評価が気になると言うことにも通じる。感受性が強いとも言え、

他人が何を考えているかというのも比較的わかる。カウンセラー

なんかに向いている性格であろう。でも敏感な分だけ、ストレスに

弱い。この逆は、わが道を行くタイプで自己主張が強い。感受性は

相対的に少なく、鈍感な部分かもしれない。その分ストレスには強い。


あとの50%は後天的に作られるのではないかという感じがする。

育った環境とか、友達の影響とか、遭遇する経験による学習とか。

でも元々の性格によって、この後天的な環境からの影響が違ってくる。

だからこの組み合わせは無限にある。


心の健康というのは結局のところ、脳のメカニズムが健全かどうかと

いうことである。前も書いたかも知れないが、心を日本人はハートという

英語で表現するが、ハートは心臓であって心ではない。アメリカにいた

時。このことで恥をかいた経験がある。もちろん脳はブレインであって

これも心ではない。英語で近い言葉はマインドとかメンタルとかエモー

ションとかいうようなものであろう。いずれにしても医学的には脳の分野

の話であるが、日本語でも英語でも心臓でも脳でもない言葉を当て

はめる。それは脳のメカニズムが医学的に解析されていない部分が

相当あるからである。潜在脳というか、脳の未知の部分の働きから影響

を受ける部分を心と呼んでいる。その部分が脳のほとんどを占めている。

宗教なんかの力もそれゆえである。喜怒哀楽なんかも未知の領域の部分

である。なぜ涙が今でるんだろう。そう思ったことは誰でもあると思う。


そう考えると、結局心の健康というのは脳が喜ぶことをするということであろう。

でもこれはなかなか難しい。だから、心理学者なんかは、自分の心の在り方

をある程度コントロールする習慣を勧める。たとえば認知行動療法(CBT)など

はその例である。物事の見方を一方向からだけしない。できるだけポジティブ

な見方を習慣付ける。自己暗示のスキルの一種である。でもこれが結構バカ

にならない。特に習慣化できるとそれは後天的に自分の元来の性格を変える

ことにつながる。結局、後天的な部分をどうコントロールするかで、自分の性格

は変えられる。それによって周りの人間も自分への見方が変わる。それが

好循環を生じさせて、さらに自分も変わる。これが最近はやっている

「引き寄せの法則」である。


つまり、自分を客観的に見る力を養うこと。そして脳が喜ぶ思考習慣

を身に付けると「自然な自分」に変化を与えられ、それが習慣化すると

”自分が変わる”という論理である。

人間は変えられるのかというテーマがある。その意味では「変えられる」

と考える。でも時間がかかる。あるいは常に成功するわけではない。

結局、ある種の信仰というか、信じる力が必要であり、その一つの典型が

宗教である。


自分を変えたいと思う人はすでに変えた方が良い人です。

あなたはどっちのタイプですか?

カテゴリ: 未分類

[edit]

Posted on 2009/02/01 Sun. 13:35    TB: 0    CM: 0

プロフィール

カテゴリ

カレンダー

リンク

検索フォーム

最新記事

月別アーカイブ

QRコード

RSSリンクの表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。