大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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豚インフルエンザ 

この前「パンデミック」の話をブログで書いたところに、メキシコでの

豚インフルエンザのニュースが舞い込んできた。このインフルエンザは

間違いなく”人から人”に感染している。ただ、H1N1という弱毒性のタイプで、

またタミフルも結構効く、との報道。従って”人から人への感染力”をもつ

ように変異した鳥インフルエンザに比べたら、致死率という意味では警戒度

は低いのであろう。しかし、海外で発生した人インフルエンザが日本に上陸

するのをどう防げばよいのか、そして万が一日本に入っていた時、結構

日本人に免疫のあるこのウイルスをどう食い止められるのか、という

ことでは良い先行例になるのかもしれない。

(まん延を期待している訳ではないが、これが豚で良かったと言いたい

のである)


でもタイミングがよいなあ、と思う。同じように変異した鳥インフルエンザ

が発生して上陸したら、本当に大変な被害が出そうだ。今回、国が企業が、

そして国民がどこまで対応できるのか、非常に関心を持ってみている。


普通の日本人はペット以外では、家畜と生活を共にしていない。だから

海外から侵入してくるリスクに対応することが基本でよいのであろう。

幸いに海に囲まれているから。空港と港を管理することがかなり有効

である。鎖国ができるということは江戸の昔から悪いことばかりでは

ないのである。


WHOの警戒レベルは4になるのだろうか?その時、日本人の本件への

警戒心とか体制はどの程度のことになるのであろう。しかし、老人や

子供はハイリスクと言う。できることをすべてやってみる必要がありそう

である。あまり過剰に報道してもパニックになるので、そのことも心配

であるが。とにかく正確な情報は流して欲しいと思う。

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Posted on 2009/04/27 Mon. 20:36    TB: 0    CM: 0

タレントとプロと人間と 

今日はブログ書く時間がないかなあ、と思っていたらSMAPの草薙剛

(「なぎ」という字が違うみたいだけど)のニュースが飛び込んできた。

EAPとかメンタルヘルスを営んでいるわが社としては、少々気になる

ニュースで、ブログを書きたくなった。


このニュースを聞いて、最初に浮かんだことが、最近イチローが胃潰瘍

になって故障者リストに入ったとき、「彼もやっぱり人間なんだ」と言う

コメントがあったこと。スポーツ選手とタレントは多くの相違点があるが、

「有名人」であること、他人が自分のスケジュールをコントロールして

いること、しかも病気などでその通りできないという事態が発生したとき

の影響が普通の人とはケタ違いに大きいこと、などは共通している。


でもここで強調したいことは、たとえば長く俳優を続けていると、同じような

性格とか人間の類型を当てはめられてしまっていて、どんなにそれが

自分に近くても、決して自分自身ではない、ということ。

世間の見る「ブランド」のようなものが生じて、それを使った「商品」になって

しまって、結局その枠に入らない「自分」が時間をかけて”こぼれ落ちて”

行って、それがだんだん溜まっていくのではないかと。


人間というのは複雑で、自分でも気づかない自分が自分の中に住んでいる。

人生経験をどんなに積んでもそれが無くなることはない。


彼の顔を見ていると、優しくて、清潔で、柔らかくて、控え目で、相手の

気持ちに寄り添うことができる、とても柔軟な人物を想像する。

でもそういう面は大きくても、彼の中にもその反対の部分が間違いなく

存在しているのである。そして彼のような性格は周りを傷つけたくないので

それを自分の深い所に隠ぺいする習慣があるのではないかと思う。

みんなそういう部分を持っているから、それをどう発散させたり、どう整合

するかに悩んでいるのである。


でも彼みたいに「私人」になることが難しい人、そして表では「与えられた

自分のイメージ」を演じなければ契約違反になってしまう人の場合、

そしてそれが”自己主張”型ではない人物というブランドである場合、

ああ言った泥酔という形で現れてしまうことは十分理解できる。


プロである以上、もう少しうまくそういう部分と折り合いを付けながら仕事

をすべきだし、発散とか調整とかも”合法的”に”迷惑をかけないで”する

義務がある。でもそれが下手な人だったんだろうな?。


どこか愛すべき純真な人のような気がする。でも職業がもっと彼を鍛えて

欲しいとも思う。 僕たちと同じように時としてそれをコントロールできなくなる。

でも有名人過ぎた。そして方法が少しまずかった。


でも”彼もやっぱり人間だったんだ”!  はやく復帰してほしいと思う。

少し大きくなって帰ってきて欲しい。


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Posted on 2009/04/24 Fri. 14:04    TB: 0    CM: 0

パンデミック 

昨日、保険会社主催のパンデミックのセミナーに参加してきた。

当社も協賛していることもあり、主催者側や他の協賛企業の方々に

ご挨拶するためでもありましたが、内容は非常に役に立ちました。


H5N1という鳥インフルエンザウイルスが、人から人に大量感染を起こす

遺伝子変異を進行させていて、爆発的な人どうしの感染がいつ起こって

もおかしくない状況になっている、ということです。


中国やインドネシアの過去の事例や、鳥の対内にいるウイルスの変異

状態を定期的にチェックしている結果から言って、爆発的感染が今年中

に起こる可能性は90%あると。致死率も非常に高く、日本での死者は

200万人以上というすごい予想もあるそうな。


東京直下型の地震もいつ来てもおかしくない、ということであるが、この

パンデミックは「確実に起こる」そうである。その割には世間に知られて

おらず、何の対策も講じていない企業や個人が多く存在しているのでは

ないかと思う。まあ、これが本当であれば大変なことであり、準備をしないと

いうことは自殺行為を意味している。厚労省などもあまり国民に広報して

いるとも思えないことが気になる。特にここのところ静かではないか・・


わが社の行っている企業向けメンタルヘルスも一種の危機管理の

ツールであるが、パンデミックということに対してポストベンション

(起こった後に生き残った社員向けの職場でのケアー)はある程度

可能であるが、その前とかその最中に何かできることがあるか、と

悩んでしまった。地震が予知されたとしてメンタルヘルスで何ができる

のであろうか、と言うのと同じ課題である。


これはウイルスとの戦争と言ってもよいもので、準備ができるのに

しないということは、人類が戦争に突入するのを見過ごしている、と

いうことと同じである。戦争の前にメンタルヘルスとして何ができる

だろうか。(協賛していながら)少々無力感を抱いて帰ってきた。


しかし、行政とか政治が動かなければ意味のないこと、その究極の

役割は何か、と問われれば、「国と国民を守る」ということである。

「国を守る」ことと「国民を守る」ということは、ちょっと意味としては別

のことではあるが、国民が居なくなった国というものは存在しないので、

パンデミックに関して言えば、明らかに「国民の生命を守る」ということ

そのものになるであろう。


国民を豊かにするとか幸せにする、などという役割よりもっと根源的な

ことが要求されているわけである。そもそも豊かになるとか幸せに

になるというのは、どこまで国の仕事なのか疑わしいが、国防・治安・

この種の疫病というのは、経済・GDP・雇用などとは質の違う問題

である。何せ直接的に命そのものに関わっていることだからである。


わが社の社員やその家族のために何かしなければと思ったのは

もちろんであるが、同時にわが社のサービスの無力さのようなものも

感じたセミナーでした。さあ、何から手をつけましょうか・・・


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Posted on 2009/04/23 Thu. 19:47    TB: 0    CM: 0

キャリーバッグと皆の自由 

最近キャリーバッグを持って移動する人がとみに増えてきたような気が

しません?流行と言えばそれまでであるが、どうもはた迷惑な情景に結構

遭遇する。


僕の理解が違うかもしれないが、元来旅行時に動きやすいようにああ言った

ものが考え出され、皆が使い始めたような気がする。さらに飛行機への持ち

込みができるサイズであれば空港で結構動くにも楽だし、着いた先で待たず

に済む。僕も良く使う。


しかし、今、普通に東京の電車の中でも見るし、路上でもよく見かける。

中には手で持っても良さそうな小振りの(中身が大した量とは思えない)ものも

結構ある。確かに持って歩くには楽であろう。力も少なくて済む。長い距離を

歩ける。人気の高級バッグもあって、見た目にもおしゃれでもある。


しかし、あれは歩いているとほぼ2人分の場所をとる。後ろにもう一人

くっついて歩いているようなものである。特に混雑したところでは、本人は

あまり気づいていないのであろうが、後ろについて歩くとその迷惑さを実感

する。急に右左折なんかされた時なんかはつまずいてしまう。


人間、後ろには目がないので”自分の分身”感覚はないのであろう。


こういう話をすると、公共の場で騒ぐ子供を注意しない親とか、電車の中で

化粧する女性とか、物を食べる子供(大人もいるけど)だとか・・・

いわゆる「公共道徳」(死語に近そうだけど)というか、”迷惑をかけない”

というか、もっと言えば公衆の面前でみっともないことをしたくないという

美意識というか・・・まあ規則というより日本の伝統文化としてあったものは

相当風化してしまったということであろう。家庭教育という概念すら無くなった

とまで言いたくなる。


まあ、子供の例なんかは近くの大人が注意すべきだと思うのだが、下手を

すれば親と口論になってしまう。そうするともうお手上げである。法律だの

権利だのという話になるに決まっていて、そうすると越権行為と言われて

しまう。


いつものテーマみたいになってしまうが、これも個人の自由と皆の自由は

永遠に矛盾する、という話になる。キャリーバックは個人の自由が他の人

の自由を制約する道具になっている。


キャリーバッグを売っている会社はどこまで考えているんだろうか・・・

ちょっと気になるテーマです。話が小さいか・・・?

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Posted on 2009/04/20 Mon. 17:55    TB: 0    CM: 0

沈黙は金、雄弁は銀 

最近、土日が忙しい。2つ音楽のグループをやっていて、土日がその

練習日で埋まることが多くなった。それで、ブログは仕事の合間に

書くことが多くなって、ちょっとそれはそれで問題では、と思っている。


今日は珍しく練習のない日でパソコンに向かったところ。


実は2匹飼っている犬のうちの古い方(最初に飼い始めた方という意味で

あるが年齢的にも確かに古い方でもう13歳)が心臓と肝臓に問題があるようで、

寝てばかり。結構しんどいのであろう。肩で息をしたりする。


チワワは頭の構造から、発作(てんかんみたいな)を起こし易いのだ

そうだが、とりわけこのAが昔からその傾向がある。非常に頭もよく、

飼い主を騙す。目を見ても心を映しているような会話目線をするし、

こっちの気持ちを察していると感じさせるような電波を出す。


もう一匹の”新しい”方もチワワだけど全然タイプが違う。頭文字から

するとBということになるが、彼は単純・快活・チアフルで憂いのない顔。

嘘もないし物事にストレートに対処する無垢な天使のような犬。

欲望にも直球で反応するし、Aへの配慮などかけらもない、と思っていた。


ところがこの1年前当たりからAが夜中に発作を起こしたりするように

なって、そんなときこのB君が激しく吠えて我々に知らせようとする。

気難しいAは、チャイムがなってもよく吠える犬であるが、それを一生懸命、

あたかも「吠えるな」と言っているようにAに向かって”吠える”。

実はそっちの方がうるさいくらいで笑ってしまうのであるが、そういう少々

人間的な行動をするようになった。Bだけのときは何があろうが吠えない

ので、一種の牽制をしているのは間違いない。


Bはロングヘアー(Aはスムースヘアー)なので寒さにはAより強い。

それとソファーが大好きで、ヒーターのあるケージよりそっちを好んで、夜

そこで寝るという選択をすることがある。それをこっちも許すようになって

しまった。ところが、冬の夜などそっちが寒くなり過ぎたからだと思うが、

ケージのところまで降りて来て、入れて欲しそうにすることがあるようなのだ。

そうすると、今度は中でぬくぬくと寝ているAが吠えて我々を起こそうとする。

どうも「入れてやってくれ」と言っているようなのだ。ちなみにケージには

鍵をかけている。Aは未だに見ていないと悪戯をするので。ちなみにBは

こっちを困らせるようなことはまずしない。するほど”お利口”ではない?


面白いのは、言葉で会話していない犬でも相当細かいコミュニケーション

を取っていると思われることである。互いの表情とかしぐさで相当それぞれ

の意思を伝え合っているようなのである。しかも不必要というか無駄なことは

しない。かなり厳選されたケースのみ意思表示をするようで。あとは知らん顔

をしている。くっつくのもあまり本質的には好きではないようで、ちょっといつも

距離を保っている。それでいてその存在を認めて、「理解している」風である。


彼らの行動を見ていると、人間が言葉を持ったことで明らかに失った能力

があるのではないかと思うことがある。どう言ったらいいか・・・そう、何でも伝え

あえるという錯覚とか、なんか驕りというか・・ 逆にできないこともあるということ

を素直に理解しないというか・・・うまく言えないけど、人間社会にもやはり

自分ができることの限界というのがあるのに、技術の発達だの、カウンセリング

だの、コミュニケーションの研修だのという(わが社も反省しなければばらない

けど)「なんとかすれば出来ることがどんどん多くなる」というような信仰が

まかり通っているのではないかと思うのである。


もう少し謙虚というか、沈黙でなければ表現できないこととか、生まれも

育った環境も、性別も年齢も違う他人に伝達することなんかできない

物事とか考えとか感情というものはやはり存在するんだ、ということに

気づく必要もあるのではないかというようなことである。


そういうことを我が家のAとBの関係を見ていて学ばせてもらって

いるような気がする。彼らが自分で「幸せ」というような感覚を持っている

のかどうかはわからない。でも想像とか情報とかが作りだす、幸せへの

欲求というものはないであろう。どうであれ「今」が「全て」なのであって、

比較して悲しんだり羨んだりはしていなさうである。そういう方が幸せ

かもしれない。仏教とかの教えもこういうことに近いことを確かに言って

いる。犬は自殺しない。今生きていることに多くの意味を求めないから

なんだろう。どっちが幸せなのか、この大不況の中でまた考えさせられ

るものがある。


「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉がなかったっけ?

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Posted on 2009/04/18 Sat. 14:33    TB: 0    CM: 0

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