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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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痛みを感じる難しさ 

昨日のブログで不法入国のフィリピン人家族への在留許可の話をした。

偽造パスポートでの入国というのは、日本国法に違反したということで

あるが、その一家が15年間日本に居続けられた、ということの背景に

まず興味が行く。その期間が長いことがますます「覆水盆に返らず」

的な問題を発生させたのであろうから。その長い期間に子供が生まれて

日本語しか話せないまま、また日本しか知らないまま中学生になった

のである。アメリカなら完全にアメリカ人である(国籍の取得が出生地主義

だから)。もちろん日本の法律ではそれだけでは国籍は取得できない。

ということは、ますますそういう問題を生じさせないように、早く対応しな

ければならなかったはず。不作為の罪と言ってよい。


全部見ている訳ではないけど、そういう趣旨の報道はなかったように思う。

論点は”人道的ではないではないか”というようなものが多く、もちろん

人道的な処置ではないことはわかる。でも法治国家である以上、残念ながら

人道的でないことをしなければならない結果に至ることは山ほどある。


そういう風に考えると、例えば殺人を犯した側への人道的対応と、殺された

側への人道的対応(人権という言葉の方が多いが、権利という表現は

話をややこしくしてしまうのであまり好きではない)は絶対に両立できない、

というような問題を連想する。「死刑」の是非もこの問題と同根であろう。


法益は個人の利益という視点ではなかなかピンと来ない話であるが、例えば

2人以上の個人(国民)の利益を”公平にかつ恒常的に”守ろうとする考えを

マクロに引き延ばすと「法律」に行きついてしまう。そう考えると、「法律」以外

にみんなを平等にかつ同時に扱う方法はないのではないかと思うのである。

それの方が「人道的」な気がする。


フィリピンの法律だったら、こういうケースでどう人道的に扱うのか、も知りたい

と思った。あの女の子の涙に心が痛んだけど、そういうことを考えるとこの問題

はやはり「社会的」に考えなければならない。


昨日のロボットの戦争の件とこの問題で共通する点は、自分とか自分の痛み

というレベルで考えるべきではない、ということ。もっと言えば”一方だけが

正しいということは決して世の中にはない”ということかもしれない。


他人を非難するのは簡単。社会の批判も簡単。でも自分もほんの少しでも

立場が違ったら非難される側に立つかもしれないのである。殺人者と殺される

側という立場もちょっとしたことで逆転し得る。そういう意味では現実はもっと

怖い。いつも天使である保証などどこにもないのである。戦争も侵略と被侵略

の両面があるし、人間が殺さなければよくても殺された側は人間でない分もっと

傷つくはずだ。


昔の戦争は刀でやった。ひとつ間違えば自分が殺される。だからたぶん武士道

とか騎士道のような”精神的”な規範が発達したんだと思う。それが鉄砲や戦車、

ましてや戦闘機(今や核ミサイルですか)になると、相手との物理的な距離が

離れていくので、殺人感覚というか心の傷つく度合いが違うはず。

ましてやロボットとなると、自分が殺される側に立つ可能性すら意識しなくてもよい

安全圏にいるのである。


戦争を礼賛している訳ではないけど、少なくともどんな行為もそれを受けた側の

心を感じられる状況とか距離とか、その時の自分のリスクにも目を向ける必要が

あると思う。その苦しみを少なくとも代償として背負わない殺人は不純である。


不法入国から話が逸れたが、全体とか相手とかも同じ次元で考えた報道とか、

ニュースの受けて側の理解が必要なのではないかと思った。自分の立場、

法律の立場、相手の立場・・・いろんな視点で物事を考えて欲しい。



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Posted on 2009/04/14 Tue. 18:04    TB: 0    CM: 2

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