大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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”地方”の生き方 

最近は少々健全になっているのかもしれないけど、夜疲れて眠くて仕方がない。

やることが多くて疲れているからだと思うが、そうでないより良いに決まっている。

前回「睡眠」について書いたが、こういう時は動物のように美しく死ねるかもしれ

ない。


ブログ書くのも中毒にならなければ続けられないもんだと思う。でも中毒になる

には動機が強くなければならない。忙しいとその動機が薄くなるのかもしれない。


まあゴタゴタ言っていますが、どうしても深夜遅くこうやってキーを叩くことに

なっています。


昨日までちょっと出張していた。山口県です。なかなか仕事でもなければ行か

ないところです。昔、萩に行ったとき妙に感心したことがある。長州の香りに

感心したんだと思うが、そのなんとなく遠いその距離感と、その風土に独特の

主張があることと無関係でないような気がしていた。薩摩・長州が遠いところ

だったことと、革命の中心になったエネルギーの大きさには関係がないとは

言えないということか。総理大臣の輩出率No.1というのも理解できる。


まあそれはどうでも良いのだけど、日本の地方というもののあり方が今とても

難しい問題になっている。工場がなくなったときの自立イメージがなかなか

つかめない。工場はどんどん海外に出ていくので、これから何で飯を食うのか・・

帰りにちょっと尾道に寄った。両親もいい歳なので機会があれば顔を見せようと

思ってだが、東京に帰る方が圧倒的に近かった。工場がなくなるとどうなるのか

は、尾道も一緒。観光資源というのも言うのは簡単だがそれで飯を食っていける

ところはほとんどない。尾道も周りの市町村と合併して、今やどこまでが尾道

かわからなくなってしまった。島だらけである。初めて「しまなみ海道」なる橋で

つないだ島々を車で通った。みな同じような斜張橋である。長さや高さを自慢

すること明石大橋に同じである。あの寅さんに出てくるような風景は相当破壊

されていた。便利になって人々は足早に駆け抜ける。お金は落ちないであろう。

お金=豊かさという概念を変えるのは容易ではないし、観光資源=文化的財産

というのも力のない人々の負け惜しみであろう。ちょっと眠くて答えが出ないが

そこに住んでいる人の多数派と、たまに外から訪れる人の価値観には大きな

隔たりがあるとつくづく思った。






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Posted on 2009/10/29 Thu. 22:30    TB: 0    CM: 0

睡眠は死の予行演習 

今起きました。僕はそもそも相当の低血圧で夜は強いが朝は弱い。

低血圧型の人は怒りっぽくなくて気が短くないように思うのだけど、

僕の場合は気は短い方なので当たってない。一番端的に現れるのは

睡眠とか起きる時間の差ではないかと思う。


基本的に僕にとって昔から「夜は長い」。量的にも質的にも。

ここ5年くらいはさすがにこの両方ともダウンしてきたが、子供の

頃から寝るのは大好きだった。寝る前のあの”すぐ寝られない”感覚

とか、朝なかなか起きられない感覚は嫌いじゃなかった。そういうとき

は妄想がたくさんできる。右脳と左脳の間に脳があって、”理屈に

あっている非常識な考え”に取りつかれることが多かった。


かなり前からよく人にも言うようになったのだけど、「睡眠は死の予行

演習」だと思っている。少々気持ち悪い発想ではあるけど、何度も

そう思うことがある。理由は簡単で、寝るとき、絶対に起きられるという

保証があるかというとない。にもかかわらず皆毎日安心して(?)睡眠

に入る。朝当たり前のように起きる。同じ事を何十年も繰り返している。

病気(心の病気も含め)とかの理由で「生と死」を考えている人は

”今度は起きられないかもしれない”とどこかで思っていて、だから

眠られなくなったり寝ても浅い眠りになる。


でも、大往生と言われるような良い死に方(?)があるとすれば、それは、

何の不安もないまま睡眠に入ってそのままずっと睡眠状態にあるような

死を指すのではないかと思うのである。ここがポイントである。

健康に疲れていて、健全に悩みがある程度の人は、実は毎日、この

大往生型の睡眠がとれている人なのである。ゆえに、健全な死という

ものがあるとすると、それは健康な睡眠に限りなく近い。


うちの犬を見ていると、寝ているときでも耳を立てている。寝ていても

脳が音をキャッチする機能を持続しているのではないかと思う。

オオカミであったときからの”身の安全””群れの危険予知”機能だろう。

人類も数百万年前は同じだったはずだ。今聴きながら寝ている人はいない

から、今いかに安全な環境で人間をやっているかわかる。


安心して眠れることは、安心して死ねること。睡眠って深いと思いません?


これからバンドの練習です。耳の機能がとても大切。音を外す時は脳が

まだ寝ているのでしょう。


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Posted on 2009/10/25 Sun. 11:20    TB: 0    CM: 0

気候と本と音楽と 

今日は本当に久振りにイベントのない週末で、朝からどんよりと雲が

海まで落ちていて、木更津が見えない。部屋にいてこの秋初めて

「肌寒い」と感じられる土曜日です。こういう日は好きです。

昔ならロシアンティーとブラームスという組み合わせだったけど、

そこまで寒くはない。


朝から「全脳思考」という本を読み出したら少々疲れてブログに手を

伸ばしました。どうもこういうビジネス書は、ヒントになるものが多いけど

もともと文体が肌に合わないのか、週末に読んでいるからか、外が曇って

いるからか・・とにかく休憩です。さっきまで大好きなフィルウッズの

チャーリーパーカーのトリビュートアルバムを聞いていたこととも関係する

かもしれない。要するに気候と音楽と本の相性が大切で、左脳型の本と

音楽に右脳刺激型の気候が合わないのではと気づいた次第。


ドビッシーに変えてみると少し気持が落ち着いた。僕はだいたい大学に

入ってからはもっぱらJazzをメインにしているけど、それまではクラッシック

しか知らなかった。Jazz好みも長調派と短調派があるように思う。

全く根拠のない妄想だけど、minor調がどっちかというと好きな人は

クラシックの中でもバッハ系、ドビッシー・ラベル系などが好きな可能性

が高い。その分major系とかファンキィー系(例えばメイシオパーカー

とかスタンレータレンタインみたいな)の人はワーグナーとかが好きだったり

するのではないかと。僕の場合、演奏していてもマイナーブルースや歌もの

なんかの方がアドリブメロディーがたくさん浮かんでくるし(もちろんうまい

かどうかはまったく別物だけど)、CDを聞くときも引き込まれる度合が高い。

その意味ではJazzバラードも総じて自分の期待した反応をしてくれる。


僕が入っている会のひとつに「尾道サポーターの会」という何とも身も

蓋もない名称の会があって、先日の集まりで「好きな尾道を一言で表す

と?」というアンケートがあって「雨の似合うまち」と書いたら賞をとった。

「え?」っていうアンチョコな結果に唖然としたけど、まあ確かに郷里の

尾道も雨の日が好きだった。


そう言えば浪人時代から学生時代はよくもこれだけ、というくらいJazz漬け

の日々を過ごしていて、新大久保のぼろアパートの壁の上の桟(っていうのか

なあ)にJazz喫茶のマッチを置いていてそれが部屋を一周していた。あれは

一体どこにいっちゃんたんだろう。今ごろ思い出しても遅いけど。


Jazz喫茶っていうのはまだあるんだろうか?暗くて、自慢の3ウェイのスピーカー

とアンプの組合せで如何に本物の音かを競っていた。しゃべると怒られたし、

学校のクラスのような席配置で、かならず手に入らない海賊版などの自慢の

レコードがあった。生演奏を聴く機会は少なかったし、あっても高かった。

「あのJazz喫茶」というのはたぶん日本にしかない文化なんだろう。

煙草と難しい顔が似合う不思議な空間だった。

(同じ意味で言えばクラシック喫茶や歌声喫茶というのもありましたね?)


ドビッシーが終わったので読書にもどることにします。次のCDは何をかけ

ようか・・Jazz喫茶のことを思い出したら急にヘレンメリルのYou'd so nice

to come home toを突然聞きたくなったけどCDが見つからない。

一昨年まで参加していた社会人BigBnadのオハコで、この曲でよくアドリブを

やらせてもらった。気持ちの良いマイナーのコード進行です。


でもこういう路線になったら本を変える必要がありますね。


何を書いているのかわからなくなりましたが、まあボーっとしている一日

ということです。






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Posted on 2009/10/24 Sat. 14:34    TB: 0    CM: 2

深夜のイアリング 

ここのところ会食が続いて少々バテ気味です。連続すると結構蓄積疲労が

残るようになってきて、いつまでも若くないんだと体に教えられています。


今、会食や客先訪問などがない限り朝晩通勤で20分くらい歩いています。

結構なれてきて、「歩く」ことの健全さと効用を享受しています。

オランダの会社の日本法人に居た時は自動車で通っていましたが、いまさら

ながら、歩くことで結構新たな発見や発想があって人間、やはり”地に足つ

けて生きる”のは大切だと思っている次第。


昨夜のことです。小さい感動があったんです。11時過ぎていたので少々

足早に歩いていたら、突然青年が後ろから肩をたたいた。そして「あの・・、

何か落としましたよ」と。振り返ってみたけど、酔っぱらった僕に見つけられる

ような大きなものはなかった。「え?」って感じで10mくらい戻ったかもしれない。

驚くことに彼も一緒に戻ってくれた。そこにあったのは小さなイアリング。

そのリングには小さな石が両側に6個ずつ、そのうちふたつは黒い石、4つは

ベージュの石で、黒い石が両側から挟んでいる。


こんなものは元々身に付けているわけでもないし、もちろん残念ながら彼女に

プレゼントしようと思って持っていたわけでもない。でもうまく言えないけど、

その若者の言葉と、一緒に探してくれた姿がうれしかった。

思わず「これ僕んじゃあない。でもありがとう」と言っていた。

彼は「ああ、そうですか」と言って足早に去っていった。周りにはもう誰もいなかった。


今、そのイアリングが机の上にある。片方のイアリングはどこかの女性が

身に付けているに違いない。困っていると思う。でも探しようもなかった。


このイアリングは、昨夜のさわやかな青年の笑顔を記憶するイアリングに

なっている。くだらない小さな話だけど、小さなイベントがあったことを

小さかったので覚えています。


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Posted on 2009/10/21 Wed. 18:39    TB: 0    CM: 0

職業と尊厳 

いまさら何をと言われそうですが、遅ればせながら

「おくりびと」を見ました。



民放でやっていたのを録画していたのを思い出してこの前の

連休に見たんだけど、一応あれだけ評判になっていたもの

見ていないというのもちょっと、という感じで好奇心優先で

の鑑賞のつもりが痛く感じ入ってしまった。

いろんなことを思った。例えば:


・死を向こう岸のものとは捉えないで、生と不連続ではない

 生き物として当たり前な”自然”な営みとしてニヒルに描写

 している姿勢

・動物のそれではなく、動物でありながらそれだけではない

 「何か」を浮かび上がらせようとしている点。

・所作を儀式化することによって深くなるその行為の意味。

・死に携わる仕事への侮蔑は“他人の死”へ侮蔑であるが、

 家族の死に遭遇したときその意味が大きく変わる。

 それはきっと自分の死へのいとおしさに変わるからだ。

・死は“動”から“静”へのダイナミックな転換。

・死に囲まれたときに起こる性への衝動。性は生への渇望

 につながっている。


見ながら感じたことを羅列するとこんなところになるのだ

ろうか。


でも、最後に浮かんできた言葉は、職業柄かもしれないが、

「職業と尊厳」と言う言葉でした。死に関わる職業でも、

と言うべきかもしれないけど、むしろ死に関わる職業だから

その「尊厳」というメッセージがうまく出ていたのかも

しれない。


昔3Kという言葉があった。汚くて・きつくて・危険な仕事

のことだった(最近は「きつい」「帰れない」「給料が安い」)

という意味にもなっているらしいが)。そういうものが

持っている何か深い示唆みたいなものも考えた。


本木雅弘も良かった。「能弁ではない人間の生き方をもっ

とも輝かせる究極の職業」という感覚が伝わってきた。


この映画を見て、7月に亡くなった愛犬の葬儀を思い出した。

その火葬場に本当に寡黙な青年がいた。小さな犬の小さな骨

を本当に丁寧に丁寧に拾って、ひとつ残らず綺麗に並べて、

骨の人体標本(犬体標本?)を作ってくれていた。

今にも動き出しそうであるがゆえに、逆に二度と動き出さ

ない静謐で悲しい事実を伝えていた。きっと毎日黙々と

同じ作業を続けているのであろうその姿に妙に感動した


またチベットの鳥葬のことも思い浮かんだ。死の持つおおらか

で静かなやさしさと自然の力が持っている残酷さ。

必ず全ての人に訪れる「死」という儀式。太古の昔に繋がる

生きる”もの”の宿命。


静止画面をたくさん使っていたこともテーマを浮き上がらせて

いたし、チェロという楽器から伝わってくる“人の体温”も

よかった。後の余韻の素晴らしかった。

















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Posted on 2009/10/18 Sun. 22:45    TB: 0    CM: 0

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