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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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飲むのに理由が必要? 

日曜から連続の飲み会がやっと一息つきました。

マラソン飲み会の場合は、最初短距離のペースでやると続きません。

でも最後は短距離でも良いのにもう体力が残っていません。

しかし”酔うため”に飲むわけだから、毎回そういう計算が崩れて

しまうのも当たり前。途中から短距離走になって、いつも後悔します。


しかし、日本人はどうしてこうも飲み会が好きなのだろうかと良く思います。

特に12月になると忘年会をしたくなってソワソワします。1年会ってない

友でも”忘年会”で飲んで、また1年会わないことがあるくらい。


それと、年の変わり目を大事にしますね。昔と比べれば店も休まないし、

家庭でも行事は行わなくなったけどけれど、それでも全体がソワソワしますね。


たぶん「リセット」という感覚があるんだと思います。PCでいうリセットの感覚に

似ているかもしれない。厭な1年でもまた新たな年を迎えて、ゼロから始められる。

そういう「許し」を祝っているのかもしれませんね。


外国には、僕の知る限りこういう熱い感覚はない。中国の正月には多少

似たものがあるかもしれないけど。どうも日本を理解するには必要な要素の

ひとつって気がします。


まあ、とにかく理由があるのは有難い。確立した飲むことへの免罪符?

正月もまたこれが許される。


日本人は”許される”機会を、たぶんいろんなところで探す民族なのかも

知れないですね。


この週末は休肝します。また来週マラソンが始まるので。小リセットですね。




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Posted on 2009/12/18 Fri. 00:26    TB: 0    CM: 0

漆黒の闇に降り注ぐ流星たち 

さすがに師走ですね。毎日遅い日が続いています。「うこんの力」の”力”

もいつまで続くやら。


昨夜帰宅したら、家族が”ふたご座流星群”の話をしていて、酔った勢いで

寒空を見上げてしまいました。空はそこそこ明るくて、また、とてもじゃあ

ないが、いつ来るかもわからない流星を気長く待つには気温が低く、

さっさと諦めて家の中に入ってしまいました。

夢もロマンも状況次第?


流れ星と言えば、アメリカの「デスバレー」を思い出します。

まだ40歳前だったと思います。

「この地球上で車で行けるもっとも低い場所」というキャッチコピーに

惹かれて、サンフランシスコから延々と何時間もかけて車を飛ばして

行ったものです。


また「真夏のデスバレーは気絶するほど暑い」というのにも惹かれました。

怖いもの見たさというやつです。車のボンネットで目玉焼きができる、という

触れ込みでした。


行ってみて驚きました。とにかく暑い(いや熱い)。地平線まで岩塩しかない

真っ白な塩湖や、草ひとつない岩肌の山、さすがに名前だけはある。

窓が開けられないほどの暑さです。


外に出ると、まるでドライヤーの風を至近距離から当てられているような

強風。頭の中までベトベトになるような潮風ではなく塩風。炎天下でかつ

純白な不思議な世界。サングラスがなければ目も開けられない。


ところが、夜はなかなかの世界でした。気温が下がって、過ごし易いこと

この上ない。まあ、昼の苛酷さあってのオアシス感覚なんだろうけど。

但し、ひとつしかないホテル以外、人の気配はなく、とにかく真っ暗闇。



そう、この環境が最も生きてくるのが、星観察です。それに気付いて、

真っ暗な道路をしばらく走って、野っぱらに車を止める。

シートを倒してサンルーフを開け、満天の星空を心行くまで味わいました。


こんなに星があるのか!というくらい空を埋め尽くす星々たち。

そして、ビュンビュンと流れ星が、それこそ1分に1個くらいな感じで

流れては消えていく幻想的な世界がそこにありました。


極限の世界には、そこでしか味わえない美しい風景もまたあるもの

なのでしょう。


地上の星の方が多い東京で、あの漆黒の闇に絶え間なく降りそそぐ流星を

思い出してしまいました。

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Posted on 2009/12/15 Tue. 23:10    TB: 0    CM: 0

つながった蘭の命 

この秋、会社で死にかけていた蘭の鉢を3つばかり自宅に持ち帰りました。

植物を育てるのは実に不得意で、いままでなかなか成功したこともなかった

ので迷ったのですが、このまま会社においていてもきっと駄目になるだろう

と思い、思い切って持って帰ってきました。


それがですね、花の咲いていたところから上の節を全部切って、水をやって

いたら、この1か月くらいで、どの鉢も新しい命が芽生えてきたのです。

すでに立派な堂々たる花が咲いているものもあります。


マレーシアに居た時、蘭の栽培をしている業者がたくさんありました。

皆、椰子の実をくりぬいて作った苗床のようなものから、芽が出ているもの、

少し成長した根付いた花、出荷を待っている背丈の高い立派な花・・・

成長に合わせて、別の棚で栽培していました。蝶が飛び交って、あの高温

多湿な環境の中で、皆生き生きと、誇らしげに命を謳歌している景色を覚えて

います。


東京のような日照時間の少ない冬のあるような場所に、その光景は実に

似つかわしくないと思っていたし、ましてや自宅でその命をつなげるとは

思っていなかったので、少々感動してしまいました。しかも僕のような植物

音痴に手に負えるのかと思っていたので余計に驚きました。


植物というのは実に健気なもんですね。命をつなぐその姿勢が実に謙虚で、

ちゃんと分をわきまえている。自然の法則に則って種の保存を継続している。

そしてちゃんと世話をしてやれば、実に正直にそれに応えてくれる。


その物言わぬ気高さに深く考えさせられるものがあります。


今年のクリスマスは、自画自賛というリボンがくっついているけど、最高の

プレゼントをもらったような気がしています。



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Posted on 2009/12/14 Mon. 18:22    TB: 0    CM: 1

自己愛とヒロイズム 

少しずつ我慢するのが辛くなってきました。

それは我らの(?)民主党のことです。2つ理由があります。


ひとつは、鳩山さんがたぶん「誰からも嫌われたくない症候群」に陥っている

こと。


元来彼はそういう衝突回避型の人だったとは思うけど、権力者になったことで、

その被害者が増えているのに、誰からも好かれたい、という秋葉的人格に

なってしまってしまっていること。また、でもそれに気付かない素質が遺憾なく

発揮されてしまっていること。


もうひとつは、僕の嫌いな小沢さんがついに油断し始めて、独裁者欲求を

表に出しても恥ずかしくないと油断し始めたこと。


中国相手にその溜飲を下げているのは良いが、それで自分が売り渡している

ものの大きさ、損失の大きさに気付く聡明さをついに失い始めていること。

一種のヒロイズムという彼にもっとも似つかわしくない姿を自分で許し始めて

いることかな。国会議員を含む600人以上の訪中団。遣唐使の品性もなければ

明治の訪欧使節団の謙虚さもない。


大きな変化は無知の力を借りなければ起こらないのではないかと、覚悟は

していたけど、無知のリスクに配慮せざるを得なくなってきた。


自民党も頼りないけど、初物は所詮初物かと。


すみません、さすがに言いたくなってきてしまっています。


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Posted on 2009/12/12 Sat. 22:36    TB: 0    CM: 0

楽しいことは楽しい 

昨日(もう一昨日になるか)クリスマスの事を書きましたが、クリスマスは

もちろん”誕生”の喜びとか”新たな生命”を祝福する気持ちがベースにな

っています。そして今では宗教の意味からは離れて、万国で広く定着

したお祭りみたいなものになっています。


でもキリスト教では、実は、それよりキリストの復活(いわゆるイースター

です)の方が大切だって言います。誕生は、まあ動物でも人間でも命の

始まりとして必ず存在するイベントだけど、「復活」というのは普通には

あり得ないことだからそっちの意義の方が深い、ということのようです。


まあ、それが史実かどうかという議論は横に置いておくとして、この復活

という概念はとても面白いものの考え方だと前から思っていました。

仏教にも輪廻という考え方があるけれど、「終わり」ということから人を

救済する一種のツールとして象徴的に用いられている考え方だと思う

からです。


また職業柄「自殺」の話になってしまうけど、「自殺」の背景にはこの

”終わり”という感覚を自ら求めている力が存在するように思うのです。


本能的に生物は死を怖がって、その恐怖から逃れようとして宗教を

求めていると言っても言い過ぎではありません。だから多くの宗教は

”死が終わりではない”ことを示すことで、人の心をひきつける力を

持っているのでしょう。


世の中には死に対してもっと覚めた感覚、あるいは特に情緒的にその

ことをとらえない人もいると思います。そのあとは何もなくなると考え

る科学的な考え方で、そういう人を「強い人」と言ってもよいのかどうか

自分の中でもまだ答えが出ていませんが、うらやましいとは思います。


でもそういう人でも、”死にたいという感覚”を持っている訳ではないと

思うんです。


誕生は死に向かって砂時計が時を刻み始めることです。そう考える

ことはとても怖い気がします。でもそういうのは、きっと健全なことなの

でしょう。人が恋しくなったり、美しいものに囲まれていたいと思ったり、

美味しいものを食べたいと思ったり、もっと物を知りたいと思ったり・・・ 

命がある間にできるだけ多くのことをしたいというのは非常に大切で

素敵な力なんだと思います。


自分から「終わり」を求めるのも「力」の一種かもしれないけど、どうし

てもそれが本当のその人の姿ではないと思えることが、日々たくさん

起こります。どうしたら良いんだろう。どこまでして良いんだろう。

そういう葛藤は確かにあります。無力感もあります。


クリスマスに、人の誕生のことを思い、同時に余り考えないように

少し自分を誤魔化しながら、やっぱり「死」のことも考えてしまいます。


まあ、そう四角四面に考えることでもないんですがね。楽しいことは

楽しい。そういうことをいつも探していければ幸せです。クリスマスの

意義はそういうことにあるのだと思います。



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Posted on 2009/12/12 Sat. 01:11    TB: 0    CM: 0

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