大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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今度生まれたら演出家 

3夜連続で会食が続いて、相当寝不足です。そして今日は珍しく予定のない土曜日で、溜め込んでいた録画を見ています。龍馬伝も2回目以降見ていなかったのでまとめて4回まで見ました。こういう歴史物は、いつも思うのだけど、どこまでが史実として記録がある部分なのかということを考えてしまいます。遠い昔であれば記録として残っているものも少ないでしょうが、龍馬は多くの記録があるだろうし、写真まである。でもドラマの中で生き返らせるとなるとそれでも相当想像力を必要とする。妥当な想像範囲というのはどこまでなんだろう、そんなことを考えました。

しかし我々が持っている龍馬のイメージと確かに福山雅治のイメージは遠くない。彼を起用したことで若い人、特に女性の視聴率は高いのでしょうね。しかし歌手や作曲家としては才能を感じていましたが、役者としても大したものだと感心します。やはり芸能の才というのは底辺に共通した才能があるのでしょうね。自分というものを掴んでそれをどう見せるとか、相手の気持ちに対して自分の距離をとるとか、そういう力を駆使して、台本や演出家が意図した空気感を作って行くというような才能なのでしょう。

学生時代に短い期間でしたがTBSでアルバイトをしていたことがあります。大橋巨泉の「お笑い頭の体操」なんかのADみたいなこと(弁当運んだりする本当の雑用でしたが)をしていました。あの頃は演出家なんかに憧れていて、シナリオが期待しているであろう世界を役者と台詞で作り上げるような世界に身を置きたいと思っていました。でも現場の雰囲気にうまく合わせることができず、気持ちが離れていったことを覚えています。そこで働いている人たちの作り出す世界がどうも好きになれなかったというあの違和感を覚えています。あの自由な雰囲気というか、柔軟すぎる考え方というか、当時は本当に田舎から出て来たばかりのような状態で、一種のカルチャーショックのような現象だったのではないかという気がします。

でも今でも番組なんかの制作には興味がありますし、演出とかそういうことは好きだと思います。今度生まれ変わったら是非チャレンジしてみたい世界です。
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Posted on 2010/01/30 Sat. 16:42    TB: 0    CM: 0

魔性の黒 

先週のある日、すこしオフィースを抜け出して、すぐ近くの三井美術記念館でやっている「柴田是真 特別展」を覗いてきました。彼は江戸の後期から明治前期に活躍した絵師でかつ漆工芸作家です。以前テレビで海外のコレクションが紹介されていたときから興味を持っていたのですが、このたびアメリカのエドソンコレクションが日本に来て、この展覧会になったということで、近いこともあり行ってきたと言う訳です。


僕は絵画にはあまり詳しくなく、好きな絵はだれの絵であれ好きだし、あまり好きになれないものはそれがどんな大家の絵でも関心がなくなってしまう人間です。絵より、どちらかと言うと陶磁器、特に磁器が好きかも知れません。


柴田是真は本当にジャンルとしては幅の広い作品を残しています。ユーモアのある題材も多くてその作風も好きで、絵で言えば画帖(小さく折りたたんだ紙に絵が描いてあり、めくりながら見られるようになっている)なんかたまらなく好きです。でもやはり蒔絵なんかの漆の作品が絶品です。特に多くあった印籠の作品はどれも素晴らしかった。


柴田是真のことを書きたかったわけではありません。漆のことを書きたかったのです。そもそも絵画より陶磁器が好きな理由は、よくはわからないけどたぶん立体であると言うことがありそうです。漆も漆絵なんかも含めやや立体性があります。蒔絵なんかはそもそも重箱なんかに描かれているものが多く、立体の作品です。


でもやはりあの色とか艶ですかね。好きなところは。特にあの黒の色は漆独特の色で、国際的に本当に自慢できる奥深い”日本の色”ですね。他に出しようのない色というか、それ自体が”色の芸術”です。非常に工程が複雑で技術的にも相当長い期間の修練が必要です。技術ありきの色です。黒という色は非常に哲学的な色です。そして幅のある色です。だから表現力に富んでいる。吸いこまれそいうな魔性を持っている。だからたぶんその質に敏感になってしまうかもしれません。


会場はウィークデイであるにもかかわらず、結構込んでいてなかなかゆっくり見られなかった。でも本物はやはりすごいと思いました。彼は、誤解を恐れずに言えば、偉大なる職人ですね。技術を磨くこと、人よりすぐれた作品を作ろうとする職人としてのプロ意識。そういうものが積み重なってああ言うすばらしい芸術として残ったんだと思います。久しぶりに「職人」の技、いや「名人」の技に触れられた幸せな時間でした。やっぱり芸術家より”名人”の方が好きですね。

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Posted on 2010/01/26 Tue. 12:16    TB: 0    CM: 0

悲しいこと 

今日少し早く帰宅してTVのニュースを見ていたら、江戸川区で7歳の男の子が虐待で亡くなったという事件の話をしていました。僕は社員の自殺の防止を目指す仕事をしている会社を経営しているわけですが、以前から自殺の問題とは別に堪え難い気持ちになる”人の悲劇”が2つあると思っていました。

ひとつは中国残留孤児の問題。時代の大きなうねりの犠牲者と言えばそれまでですが、歴史に翻弄されて失ってしまい、二度と取り戻す事のできない青春を祖国を知らずに異国で送った子供達。居たたまれなくなってしまいます。

もうひとつは児童虐待。これはすぐ隣に自分の親に愛されながら育つ子供がいるのに、愛されないで短い命を断たれた子供。しかも自分を生んだ実の親に殺されるということの深い闇。

いずれも、子供であること、子供の力と知識では乗り超えられない不可抗力であること、という共通点があると思っています。でももっとも堪えられないことだと思うのは、実は大人の力とか政治の力とか教育の力で、それは避け得た可能性があると言う事です。

大人には子供を育てるというとても大切な責任があると思います。長い長い歴史の中で、子孫を残すことを最大の役目としていたから人類の今日があるとすれば、それは子供を育てることによってつながった命なのだと思うのです。

育てるということは、まず体の成長を助ける義務。次に心の成長を助ける義務を形にした姿。

残留孤児の問題は大きすぎる。戦争の犠牲者ではないかというところまで行く。しかしこの虐待の問題やDVの問題は実に身近な問題です。自分の中にもその加害者になる危険を孕んでいる問題です。そして同時にこれは隣人の問題なのです。

実は自殺の増加とこのDVの増加は大きくみると共通原因があることではないかと思われる節があります。自分を大切にできないということに通じているからです。自分を大切にできる人は子供も大切にするからです。難しい深い問題です。自分で命を絶った人も子供を虐待した親も犠牲者であるとも言えるかもしれないません。負の連鎖という側面を持っているからです。

いろんな悲劇の中で、やはりこの悲劇は”大人達”の責任で何とかしなければならない問題です。


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Posted on 2010/01/25 Mon. 21:37    TB: 0    CM: 0

同級生という名の友達 

昨夜は1年に一度の我が尾道北高校の東京近辺在住者の同窓会がありました。いつも夕方5時から始まって10時9分の電車に間に合うようにお開きになります。場所は柴又の「かなん亭」という同級生のお店で、これもいつもの決まりです。去年は出席できなかったので2年振りでした。

最初に集まったのは15年くらい前のような気がします。場所と時期が固定されて定期的に集まるようになってからは6?7年でしょうか。毎年皆に連絡をとり、段取りをする幹事は大変ですが、いつも決まった同級生がやってくれています。彼がいなかったら続いていないでしょう。

卒業して本当に長い月日が流れました。最初会ったときは止まったままの過去の時間を共有した仲間でしかありませんでした。卒業して、大学に行って、就職して、結婚して、子供を育て、、、皆ある期間それぞれの人生をそれぞれ歩んできてまた会った。定期的に会い始めると、また一緒の時間が流れ始めました。卒業以来の空白期間の情報を交換するのに何回が会う必要がありますが、そのうち共有できた情報の上にその後の時間を共に積み上げて行けるようになるのです。

高校生の頃の自分と何十年も生きて来た今の自分は違います。だから、高校時代にはなかった新たな関係がその数だけ出来上がって行きます。確かに皆オトナになっています。それを無言で認め合っています。心地よい時間が流れます。

もう四捨五入するといわゆる”アラカン”(あまり良い響きの音ではないですね)の僕たちです。でも皆少年と少女だった頃を知っています。そのことに照れがあります。でもそれからまた新しい関係を作ってきました。そのギャップであったり、その違いから生まれてくる「厚み」を楽しんでいます。

同級生に”そば打ち”のプロがいます。いつも全員分のそばを打って担いできてくれます。今度臨時同窓会をやって彼の”そば”を徹底的に味わおうと言う話になりました。

高校生には打てなかった”そば”に、高校生には見つけられなかった味を見い出す。同窓会と言うのは遠くなって霞んでしまった昔の自分を、目を細めてもう一度見る集いであり、それを恥ずかしがりながら味わう会なのかもしれません。それを楽しむにはやはり多くの時間もまた必要なのでしょう。また楽しみがひとつ増えました。


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Posted on 2010/01/24 Sun. 20:12    TB: 0    CM: 0

?周りに起こることはその人自身に似ている? 

国会が始まり、連日小沢関連のニュースがかまびすしいですね。事実がどうであるかということより、彼の周りにこの手のことが何回も起こりすぎること。それ自体が彼を表していると思うのです。そういう「彼」は少なくとも今回の選挙でみんなが票を入れた「民主党」的ではない。そのことが一番目につく事実だと思います。


事実と違法性とはまた違う話だし、道義的におかしい、と言っても主観の域をでない。そう考えていくと、”何でこういう次元の話”で予算審議が遅れてしまうのかという事実の方にイライするし、正義がどっちにあるかとか、悪いことをしたかどうか、という議論自体に怒りを感じてしまいます。


”周りに起こることは、その人自身に似ている”という言葉があります。だから小沢さんの周りに起こることは、小沢さん自身なのです。


そういう風に言うと鳩山さんの周りに起こることも鳩山さん自身を立体的に、かつ的確に表していると言ってよいでしょう。


でも何でこう真逆な人が政権のトップと次席(もちろんどっちがトップかという議論はイライラするのでやめます)にいるのでしょうか?2人の共通点を探すのは実に難しい。今の現状は、今までの日本の政治でもっとも滑稽な様相を呈しています。”そうは思いませんか?皆さん”というのは鳩山さんの十八番ですね。はい、本当にそう思います。


さあ、この劇場の次の場面はどうなるのでしょう。観劇している余裕があればこれほど無邪気に楽しめるものもないように思いますが、幸いなことにそんな余裕は与えてくれないですね。


さすがに愚痴を言いたくなる今日この頃です。



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Posted on 2010/01/22 Fri. 19:18    TB: 0    CM: 0

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