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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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生存しない権利? 

昨年の交通事故の死者が5000人を下回ったそうですね。57年振りだとか。それに比べて自殺者は3万4千人ほどで、なんと7倍近くになります。1日90人以上という数字です。海外でもこんな数字の国はありません。ちょっとすごいことだと思いませんか?


人の死を区別してはいけませんが、技術の発達やルールの強化という文明的に減らせる死と、幸せとか生甲斐というような「こころ環境」を原因とする死の違いは大きいと思います。自殺はどうやったら減らせるのでしょう。いくら交通事故死が減っても自殺が増えていくようなことになっているとしたら、それってどういう事なんだろうと。


教師をやっている友人が、「死ぬ自由」があっても良い、というようなことを生徒に言われたと言っていたことを思い出しました。「報道の自由」とか「知る権利」というようなことがこれだけ言われているのだから「死ぬ自由」とか「死ぬ権利」というものがどうして許されないのかと。憲法に「生存権」が謳われているのに、「非生存権(?)」がないのはおかしいって?


確かに難しい質問ですよね。


 「死にたくない人でも病気や事故で死ぬことがあって、そのときそれを悲しむ人がいる。自分で死んでも悲しむ人がいるはずだ。」「仕方のない死と避けることのできる死があるとすれば、避けられるのに避けない死というのは、やっぱり誰かを傷つけている。すくなくともその誰かの心を」 「他人を傷つけるのは犯罪で、従って自殺は犯罪だ」 ・・・ そんなことを言った記憶があります。


でも、自殺を考えるようになっている「その人」にとってはそれが犯罪だって言われても何の意味も効果もないんです。そんなことを自覚しても死へのモチベーションから逃げることは簡単ではないと思うのです。


そう考えると、自ら死を選択する行為を止めるのは、”それがつまらない”と思う以外にないのですよね。きっと。

それには、生きていることを肯定し、死んで欲しくない人が周りに必要で、それに気づいてもらうこと以外に止める方法はなにのではないかと思うのです。


昨夜NHKで、自分でカメラを回しながら無酸素でエベレスト単独登頂をしている人の番組をやっていました。結局あと1千メートルくらいのところから引き返すのだけれど、くやしくて絞り出すような嗚咽をもらしていた。極限まで自分を追い込んでいながら引き返す勇気の格好良さということかもしれないけど、その自分の姿がインターネットでオンタイムに世界中に配信されていて、多くの人から励ましのメッセージが入っていることも紹介されていた。


彼の姿を見て、生きる望みとか意味とかを再発見して自殺を思いとどまる人もいるようでした。こういう形で影響を与えると言うこともあるのでしょうね。


今年もデフレ不況が続きそうですが、是非とも鳩山首相には、交通事故による死と同じように、自死を減らす方法の”開発”に予算を割り当てて頂きたい。それともそれも事業仕分けの対象になるのでしょうか?

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Posted on 2010/01/05 Tue. 13:18    TB: 0    CM: 0

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