今度生まれたら演出家
3夜連続で会食が続いて、相当寝不足です。そして今日は珍しく予定のない土曜日で、溜め込んでいた録画を見ています。龍馬伝も2回目以降見ていなかったのでまとめて4回まで見ました。こういう歴史物は、いつも思うのだけど、どこまでが史実として記録がある部分なのかということを考えてしまいます。遠い昔であれば記録として残っているものも少ないでしょうが、龍馬は多くの記録があるだろうし、写真まである。でもドラマの中で生き返らせるとなるとそれでも相当想像力を必要とする。妥当な想像範囲というのはどこまでなんだろう、そんなことを考えました。
しかし我々が持っている龍馬のイメージと確かに福山雅治のイメージは遠くない。彼を起用したことで若い人、特に女性の視聴率は高いのでしょうね。しかし歌手や作曲家としては才能を感じていましたが、役者としても大したものだと感心します。やはり芸能の才というのは底辺に共通した才能があるのでしょうね。自分というものを掴んでそれをどう見せるとか、相手の気持ちに対して自分の距離をとるとか、そういう力を駆使して、台本や演出家が意図した空気感を作って行くというような才能なのでしょう。
学生時代に短い期間でしたがTBSでアルバイトをしていたことがあります。大橋巨泉の「お笑い頭の体操」なんかのADみたいなこと(弁当運んだりする本当の雑用でしたが)をしていました。あの頃は演出家なんかに憧れていて、シナリオが期待しているであろう世界を役者と台詞で作り上げるような世界に身を置きたいと思っていました。でも現場の雰囲気にうまく合わせることができず、気持ちが離れていったことを覚えています。そこで働いている人たちの作り出す世界がどうも好きになれなかったというあの違和感を覚えています。あの自由な雰囲気というか、柔軟すぎる考え方というか、当時は本当に田舎から出て来たばかりのような状態で、一種のカルチャーショックのような現象だったのではないかという気がします。
でも今でも番組なんかの制作には興味がありますし、演出とかそういうことは好きだと思います。今度生まれ変わったら是非チャレンジしてみたい世界です。
しかし我々が持っている龍馬のイメージと確かに福山雅治のイメージは遠くない。彼を起用したことで若い人、特に女性の視聴率は高いのでしょうね。しかし歌手や作曲家としては才能を感じていましたが、役者としても大したものだと感心します。やはり芸能の才というのは底辺に共通した才能があるのでしょうね。自分というものを掴んでそれをどう見せるとか、相手の気持ちに対して自分の距離をとるとか、そういう力を駆使して、台本や演出家が意図した空気感を作って行くというような才能なのでしょう。
学生時代に短い期間でしたがTBSでアルバイトをしていたことがあります。大橋巨泉の「お笑い頭の体操」なんかのADみたいなこと(弁当運んだりする本当の雑用でしたが)をしていました。あの頃は演出家なんかに憧れていて、シナリオが期待しているであろう世界を役者と台詞で作り上げるような世界に身を置きたいと思っていました。でも現場の雰囲気にうまく合わせることができず、気持ちが離れていったことを覚えています。そこで働いている人たちの作り出す世界がどうも好きになれなかったというあの違和感を覚えています。あの自由な雰囲気というか、柔軟すぎる考え方というか、当時は本当に田舎から出て来たばかりのような状態で、一種のカルチャーショックのような現象だったのではないかという気がします。
でも今でも番組なんかの制作には興味がありますし、演出とかそういうことは好きだと思います。今度生まれ変わったら是非チャレンジしてみたい世界です。
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