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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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ドラマにならないオリンピック 

最近は先週はブログ更新をマメにできたのに、今週は突然疎遠になってしまっていました。要するに”ブログ脳”になれる時間と空間が作れない日々が続いていました。


仕事を時間をかければ確実に処理できるタイプのものと、時間にまったく比例しないタイプのものの2種類に分けるとすれば、僕の場合多くのケースで前者のタイプの仕事に忙殺されているとブログが書けない。たぶんブログのタイプによるのかもしれないが、他の人はどうなんだろうと思います。


もうひとつは性格ですかね。僕は少々(ひとに言わせると”かなり”という人もいるが)熱しやすく冷めやすい性格で、気分が乗らないときは義務感が少ないものから捨てて行く。ブログが義務感の優先順位が低いのだろう。


振り返ってみれば、そういうある種のバイオリズムと仕事の流れが共振するようなときが何故か定期的に訪れているようです。まあ結局、しばらく更新していない言い訳ですね。許してください。


オリンピック”たけなわ”ですね。期待通りのメダル獲得になっていない様子で、ストレスフルな関係者が多いことと推察いたします。スピードスケートのメダル2個のニュースなんかは、やはり素直に”やった!”と嬉しくなる。本当に最近は明るい話題が少ないですからね。距離のある話だから余計にハンディー^に喜べる。


オリンピックは、これに人生をかけている多くの人々が集まっている。そのことだけで、さぞ多くのドラマがあるのでしょう。一日中家にいてTVを見ているわけではない勤め人にとっては、なんか新幹線が脇を通り過ぎているような感じで、あっと言う間に終わる。断片的にニュースは入ってくるので、結果やメディアで紹介されたエピソードは入ってくるけど、「ドラマ」は入って来ないって気持ちになります。


映画で言えば、ストーリーを文章で読んでいるような感じと言おうか、とにかくそのドラマの展開をスクリーンで同じ時間をかけて鑑賞したい。そうしなければ映画の意味がない。なんかこのオリンピックというイベントもそんな気がします。別にもったいないとは思わないけど、もっとシンクロしてそのドラマをできればライブで見たいですね。


まだ少々「ブログ脳」になっていない私です。昨日は3時間しか眠れなかった。寝ようとしてちょっとTVをつけたらカーリングのカナダ戦をやっていたこともあります。意志が弱いので最後まで見てしまいました。







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Posted on 2010/02/18 Thu. 19:30    TB: 0    CM: 0

オリンピック雑感 

冬季オリンピックが始まりました。普段日の丸とかが気持ちの中にはない多くの日本人も、このときばかりは日本の選手を応援したくなる。そう言う”天真爛漫さ”が理屈抜きで好きなので、オリンピックは好きです。特に今回のオリンピックは不況でいろいろあるせいか、メディアが大人しかった感じで、そのバランスがちょうど良かった。


今回の開会式は、初めて屋内だったという。そう言われると今まで気付かなかった。


確かに、天井があるということで出来る技をたくさん見せてもらった。特筆すべきは床や空中に垂らした幕をスクリーンにした画像の数々。それとやたらとワイヤーを使った空中人間。デジタルとアナログのバランスは良かったと思います。


しかし開会式というのは、何を誇示したいセレモニーなんでしょうか?前からよくわからない。確かに好奇心は刺激されるけど、競技に比べるとあまり感動したりしない。


むしろ、何年も準備してきた秒刻みの出し物が、大きな失敗もなくちゃんと終わるかということに関心が行ったりして、その裏にいるスタッフの緊張した顔やガッツポーズや笑顔を想像している方が楽しくなります。


カナダの総督がハイチ人というのは知りませんでした。そもそも総督というのも面白いシステムです。元首はエリザベス女王だと思っていたけど、その代理のような存在らしい。それがハイチ人というのは面白い。出てくるダンサーや歌手もいかにも多民族国家を感じさせる。国土が広いということはこういう国を作るんでしょうね。


また、公用語が英語とフランス語の国というのは知っていたけど、全てのアナウンスを仏語(なぜか仏語が先だった)と英語でやっていたところにその徹底ぶりを感じた。コモンウェルスとフランス語の共存というところは他にあっただろうか?歴史の頑固さに少し感動。


シドニーの時も思ったけど、白人が後から乗り込んで作った国で”民主的国家”と自称する国の多くは先住民に罪悪感があるのか、こういうイベントで必ず彼らにスポットライトを当てます。日本人とアイヌの関係を連想したりしたけど、考えすぎですね。


そう思っていたら今日、上村愛子の涙を見て少し素直になれました。勝負した人の涙は理屈を否定させてくれる。笑顔と涙での発言、”なんで一段ずつしか上がっていけないのですかね”というのは爽やかだった。


場に立てた人は無条件にうらやましいと思ったし、むしろメダルを取れなかったことで彼女はもっと大きくなれるような気がしました。






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Posted on 2010/02/14 Sun. 21:36    TB: 0    CM: 0

音楽原始人 

Blue Noteにメイシオ・パーカーが来ているのを知って、急遽行ってきました。しかもキャンディー・ダルファーと共演するって言うので”こりゃなんなんだ”と。


学生時代に一生懸命チャーリー・パーカーやアート・ペッパーやソニー・スティットのコピーをして、正統派プレーヤーを目指していた頃、このメイシオー・パーカーを聴いて、背徳の音楽のように思ったものです。本当に長く記憶から落ちていた音楽を思い出しました。彼はまだ活躍していたんだ・・


ライブは完全に期待を超えた最高のものだった。当時のJazzシーンの中でメイシオは完全に自分のスタイルを持っていた。ファンキーって言ってしまえばそれまでだけど、まったく無駄のない洗練されたファンキーさだった。

でも当時、その良さをここまでは分からなかった。普通のJazzもよくわかっていなかったからだろう。


キャンディー・ダルファーがオランダ人の美人アルト奏者であることは知ってた。オランダ人の上司がやたら誉めていたのでちょっと気にはなっていたけど、どうせフュージョンだろうしし、あれだけ美人だから売れている訳で実力的にはねえ?、って感じで距離を置いて見ていました。そして結局は聴いたことのないプレーヤーでした。


満席だった。予約を取ろうとした段階で結構席がなかったので、金曜という理由だけではなく、キャンディーの美人タレント的人気がその理由と読んで行ったのだけど、現実は違っていた。


2人はほとんど子弟関係にある。同じサウンド親子でもあった。もちろんメイシオは”大御所”なんで、単に才能のある娘が一緒にいたって感じは否めないけど、よく互いの価値(主として経済的な、でも結構個人趣味的な)をよく理解し合った暖かいステージだった。


専門家はなんて解釈するのか知らないけれど、フュージョンとR&Bとゴスペルとラップを全部ごちゃまぜにして、やはりJazzっぽく無駄なく仕上げているって感じだろうか。今の音楽シーンの中だからかえって新鮮な感じがした。


この不況。いま世間は暗い。ヴァレンタインデーがどうのこうのって言ってもいまいち盛り上がらない。そういう意味では、僕にも隣の人にも、そして中央で総立ちになっていた多くのファンにとっても、メイシオは動物的に体が動くっていう音楽を充分体の奥から掻き出してくれた。


若い人の「ライブ」(そう、あのアクセントがどこにもない読み方のライブです)の総立ちと、この中高年の総立ちは一緒なのだろうか。時は戻らないので同じ時間は共有できない。でもそんなことを考えた。


行ったのは1st Stageだったけど、とにかくアンコールが止まらない。客は総立ち。たぶん予定を20分はオーバーしていたと思う。次のステージの客はだいぶ待たされたようです。


本当に期待をぶち壊してくれる”ノウテンキ”音楽でした。久しぶりに涙が出るほどシンプルにかつ原始的に音楽を楽しむことができました。


67歳メイシオ・パーカー。そのエネルギーはどこから来るんだい?キャンディーも充分才能と美貌のあるサックス馬鹿でした。


忘れていた音楽の楽しみ方を引っ張りだされて、少々音楽原始人になった夜でした。


今思い出すと、やはり照れ臭い。







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Posted on 2010/02/13 Sat. 21:03    TB: 0    CM: 0

雪の話 

先日の午後、友人に用があって携帯に電話しました。なかなか出てくれないので切ろうとしたら繋がって、眠そうな声。「今ニューヨークなんだけど・・・」だと。電話代をかけるほどの話でもないのでそそくさと切りました。


ローミングサービスって昔言っていたけど、今はもうどこでもそのままかかってしまう。どうなんでしょうね、この便利なサービス。便利とは?と考えてしまう現象のひとつです。


アメリカの東海岸は大変な雪のようですね。


サンフランシスコにいた時、ヨセミテ国立公園によく行っていました。シェラネバダ山脈の中にあって、冬に行くにはそれなりの覚悟が必要でした。よく話に出たのは、冬に行方不明になってしまって、春の雪解けに車の中で発見される人が後を絶たないって。捜索しようもないほど広大で、車を簡単に隠してしまう雪の量ということでした。


日本も今年は雪が多いですね。でもアメリカみたいな話はあまり聞いたことがありません。発見されないほど広い国土ではない、ということでしょうか。


僕は雪国に住んだことがないので雪の”素敵な部分”にしか目が向かないけれど、毎日降り積もる雪は自主的な行動を妨げ、こころの世界も変えていくのでしょうね。でも春を深く感じられるかもしれません。


何でも両面があって、自分の都合の良いように解釈する本能を人間は持っています。でもこの「都合のよい」というのが実は人によって、また状況によって変わってくるのです。こころの健康とこの部分は密接な関係があります。


自分の利益って何なのか、、、シンプルなことほど人を悩ませる。人間はやっかいで、どうしようもない「動物」ですね。


雪の多い国で、それを楽しむスポーツが生まれて、冬季オリンピックに至った。明日バンクーバー五輪開幕ですね。今度は雪が少ない五輪のようですが。





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Posted on 2010/02/12 Fri. 10:01    TB: 0    CM: 0

災難は忘れてなくてもやってくる 

何をやってもうまく行かないような日があります。意識の問題ですが、今日はそういう日のようです。昨夜飲みすぎたのか、本当に久しぶりに熱っぽい感じで、外も氷雨。だいたい雨は嫌いじゃあないはずなのに、体も重いし外は寒いし、厭な予感で目覚めました。


それでも根が真面目で働き者(?)なんで、意を決して起き上がり始動。


ところが災難はしっかり待っていてくれました。いつもの癖でPCをつけたら立ち上がらない。強制終了して再度やっても駄目。数日前から調子がおかしくて、自分でその事実を認めようとしたくなかった”つけ”が来たのでしょうか。


ヘルプデスクに電話して長いこと待たされて、やっとの思いでつながったら、言語が通じない。ひとつはPC言語、もうひとつは若い女性のマニュアル言語。そうなんです、このPCのヘルプデスクは僕にとって恐怖のデスクなのです。”ヘルプ”どころか、むしろ絶望デスクであることが多い。


デパートが無くなって、インターネット販売が増えて行くと何が始まるかと言うと、”ヘルプ”という言葉が違う意味で使われ始めることです。というより、ヘルプということを敢えて言わなければならないほど「ヘルプしてくれない」現象が独り歩きを始めます。ひどい時にはインド人や中国人が突然ヘルプを名乗り出ます。指名権はないんで仕方ないと諦めますが、日本人がベターとは限らない。その分絶望感を強くしてくれたりして。有難いことに、今日はそういう当たり日でした。


まあ、そういった、前から気付いていたこの新しい”文化的”現象に遭遇した訳であります。氷雨の祭日に。しかも建国記念日。何を建国したんだっけ?


結局、ハードが壊れている可能性があるとの結論で、修理に出す羽目に。買って2か月経たないマッキントッシュ。幸いWindowの方が無事なのでこれを書けていますが、ちょっと、天下のMacにそういうのがあってよいのか! 


最大に落ち込んでいるのは、現在編曲中のサンバの大曲が半分出来ていたのがこれでパーになる可能性があることです。バックアップを取ろうとしたら大容量の外付けのものがMac対応してないことがわかり、ついついそのままにしていたんです。


”災難は保険が切れた後にしか起こらない”という格言を自分で作りました。


今、立ち直って、またゼロからWindows版で編曲を始めましたが、これを書いていたらまたイライラしてきました。

人間が出来ていないのか、あるいは出来すぎているのか・・・


恥ずかしいことに、修理が終わったと言ってPCが届けられる日を今から怖がっている自分が確かにいます。


とにかく折角の休みにとんでもない災難に会って落ち込んでいる寒い寒い一日でした。

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Posted on 2010/02/11 Thu. 19:51    TB: 0    CM: 2

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