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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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春の群れ 

毎日東京駅の八重洲側を南口から日本橋口まで約10分かけて北上しています。日本橋口には贅沢なサイズの広場があっていつもパック旅行の集合場所になっています。

また「旅する人」が増えてきました。春の群れです。季節が旅する人を作りますが、秋の群れが最大の群れです。

若者のパック旅行は見たことがありません。この群れはほとんどが中高年の群れです。

若者は群れる旅する人にはならないのかもしれませんが、こんな風に旅行に行く余裕はないのかもしれません。派遣やパートで結婚もできない人も増えてきています。

生まれてくる時代を選ぶことはできません。
楽な時代と厳しい時代の差は運としか言えないのでしょうか。

この群衆は横切るのが大変なくらい巨大なときもあります。仕事に向かう身を嘆きながらもちょっとキレそうになることもあります。人間ができていない証拠ですが、少々複雑な気持ちを吹っ切るようにオフィースに向かう日は仕事に没頭できる幸せを期待せざるを得ません。

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Posted on 2010/03/17 Wed. 22:17    TB: 0    CM: 0

マンハッタン・トランスファーにみるVoiceの力 

今、コットンクラブのマンハッタン・トランスファーのライブから帰ってきたところです。毎日ライブに行っているみたいですがたまたまです。

今のメンバーになってからもう30年だと言うので如何に長く愛されているのかわかりますが、いろいろあるJazz Vocalグループの中でやはり最高の技術と表現力を持っているグループでしょう。

最初に聴いたのはメンバーがやや違っていたが、学生時代だったと思う。ジャズのあの微妙なハーモニーをあれだけ耳で識別できることに本当に驚いたものです。

ややフュージョンがかっている方が売れるのがこの世界なので、CDで聴くとその感動がやはり少ない。その中でもこのマントラは聴かせてくれてはいました。しかしやはりライブの力は圧倒的でした。

3曲目くらいで、カウントベイシーのコーナーポケットを歌ってくれたあたりで、すでに感動の限界を超えてしまって涙腺がオーバーフロー。背骨に電気が走るあの現象は、最後まで何度も押し寄せてきました。フュージョンやラテンも許すけど、やはりベイシーを4ヴォイスでハモられてしまうと、限界を超えて生理が反応してしまいますね。Tpのアドリブまでそのまま使ってアレンジしたもので、ややテンポが早く、ベイシーのピアノ前奏を短くした小気味の良いものでした。

テンポは遅く切れ味はいまいちながら、別のライブの音を見つけました。



今日精聴(?)してきましたが、管でハモルのとは違って、切れ目のないベントによる移調ができることと、やはり人間の声だけが持っている「人間に訴える力」なんだろうか。鼓童なんかの和太鼓にも同じようなことが言えると思っていたけど、非常にプリミティブに人の生理と共振できる何かの力があるのでしょう。

しかもアカペラではなくしっかりと言葉のある歌なので、英語の内容はよくはわからないまでも、そこに物語性があり、4人がひとつのドラマを音で演じていることが、その表情や動作からも伝わってくる。そこにメッセージがある。そのあたりがライブのエネルギーなのでしょう。

この興奮のまま床につけるだろうか・・・  明日からまた一週間が始まります。

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Posted on 2010/03/14 Sun. 23:11    TB: 0    CM: 0

レベルが高いものはシンプル 

昨夜、Blue Note Tokyoに"Gordon Goodwin's Big Phat Band"を聴きに行ってきました。大好きなEric Marienthal(使っているリードがバンドレン青箱の2半というのを昔知り、目から鱗が落ちたものです)がリードアルトをやっていることもあったけど、最近至るところで「現在世界一のビッグバンド」と言われていたので、この機会に行ってきました。



「act your age」っていうタイトルのCDを買って聴いていたけど、確かに技術は凄いけど、だからって世界一とまでいう理由が・・・と思っていたけど、本当にビックリ。



間違いなく今まで聴いたBigBandで一番だと、感動しました。パーカッションが入っている他は伝統的なTp4、Tb4、Sax5+B,Pf,G,Dの編成だし、何がどう新しいと言っても何もない。結局Big Band Jazzって個々の楽器ではなく”これだけ集まって何をするのか”っていう勝負だってことが改めてよくわかったってことかな・・・・



まずアレンジのレベルが技術的に走りすぎず「楽しく解り易いレベル」に充分”昇華”されていること。”だから”とも言えるが、あまりJazzを聴いて来なかった人をも充分満足させられる明快なjoyfulさ。そして何よりアレンジャーでバンドリーダーであるGordonのキャラとそれによって作られた皆の人間的なエンタ姿勢。このバンドの凄いところは「ライブ」でなければ伝えられない利点(つまり音楽が聴いて・見て・引き込まれるものっていうこと)を充分生かす意図を明確に持っていることだと思いました。五感全部使うっていうか。皮膚で聴くっていうか・・・だから17人も18人もいるんだぞ、ということ。





管とリズムの主張のバランス。TpとTbとSaxの家族的補完関係。譜面とアドリブ間の適切な役割分担。情緒とロジックのダイナミズム・・・こう書くと素朴な感動がどんどん弱まっていく。そう感じるような音でした。



とにかく一晩中ご機嫌だった。サウンドが難しくないのにユニーク。ファンキーなのに軽くない。伝統的な素材なのに変化に富んで飽きさせない編曲。技術を見せつけない味のあるハイテクニック。ブルースでブギでモーダルではないんですね、最近の音としては。そう、語りつくせないというか表現力の貧弱さを感じてきた。



圧倒的な音のうねりと切れ味のよい「音楽」に満席の会場はグルーブしっぱなし。久しぶりに”文句のつけようのない”「音に征服される快感」を味わいました。レベルの高いものはやはりシンプルだった。

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Posted on 2010/03/13 Sat. 17:55    TB: 0    CM: 0

喫煙に見る快楽と長生き 

年度末のせいかとにかく多忙です。今日も客先で夕方7時からミーティング。氷雨がみぞれに変わって寒い寒い。粘り気もなくなってきて、しばらく行っていない温泉が恋しくなっています。


それと実は現在禁煙中。生理的に少々忍耐力も弱っているのでしょう。


禁煙は何度もしました。建設会社でアメリカの子会社の社長をやっているとき、喫煙者は社長の僕と、一番下の労務者たち。トップと下が強い絆で結びついている妙な会社になっていました。2年くらいしてさすがに禁煙しました。どこもかしこも禁煙の張り紙。屋外でも駄目な場所だらけ。とにかく参ってしまった。アメリカの煙嫌いは相当なもんです。でも日本に帰ってきたらまた始めました。精神衛生上はすこぶる健全になりました。


次はオランダ系の会社に入ったとき。これも世界中の社長さんが皆優等生で、肩身の狭い思いをしました。しかしそれも国際的規模での買収劇で堪忍袋の緒が切れて、また復活。


今度は、そういう外的要因が特にないのに始めた禁煙です。まだ3カ月なので恐る恐る宣言中です。理由はどうも風邪が治らず、組織も小さくなって自分の健康の重要さ(?)をより一層感じられるようになったから。


それと「チャンピックス」の効果を聞きつけたからです。いわゆる禁煙外来です。”誓約書を書いて保険を使おう”というやや罪悪感のある行為です。今まであった禁煙パイプ・禁煙ガム・禁煙パッチというようなものとは本質的にメカニズムの違うものが登場し、しかも保険が適用になるというからで、好奇心の成せる技でした。


これは、アドレナリンとかセラトニンとかいう脳内物質を薬で放出させて、煙草を吸った時に感じる快感を先に感じさせてくれる、という魔法の薬なのです。なんと魅力的で退廃的な理屈なのでしょう。


”脳内物質と薬”というのは心療内科的発想であり、仕事柄興味を掻き立てる部分があるのかもしれません。


まだ「治療中」でありまして、達成証明書(そういうのがもらえるそうです)ももらっていないので、勝利宣言はできませんし、大いにまだ危険性があることを自覚していますが、今までの数々の禁煙活動の中では、確かに楽なプロセスを経ています。さすがに”脳内物質”です。


”精神の健康と体の健康”というテーマで語ると、喫煙というのは酒と同じく、人間の文化的世界に大きな足跡を残しています。”快楽と長生き”というようなテーマに語るとほとんど文学の奥深い世界になります。


まあ愛煙家を弁護する言葉には枚挙のいとまがありませんが、まだ負け惜しみになっていないことで誇りを売り渡さずに済んでいる、ってところだと思います。


今日のように寒いと煙草じゃあなくてもマッチが恋しくなりますがね・・・



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Posted on 2010/03/09 Tue. 22:51    TB: 0    CM: 2

やさしい気持ちの作り方 

受験シーズンも終わって、これから卒業・転勤などの別れと入学・入社などのスタートの季節を迎えますね。絵になるのは何と言っても別れの方でしょう。映画にするにも文学にするにもそちらの方がより大きくこころを揺さぶられるからでしょうか。


もう使わなくなった子供のランドセルから記念のミニランドセルを作っている人がいます。かなり前にニュースで取り上げていたので知っていましたが、先日TVでまた紹介していました。


ランドセルは小学生の象徴です。中学生と違って小学生の時期は親にとって本当に可愛い時期だと思います。それを象徴するのがランドセル。一人では何もできない幼稚園児から生意気な中学生に育つまでの6年間は本当に目を見張る大きな変化を遂げます。その子供の成長とその想い出を語るにランドセルほどぴったりくるものは確かにないと思いました。


このランドセルは子供より親にとって大きな意味を持っています。どちらにとっても懐かしいものでしょうが、親にとってそれは格別でしょう。子供にとってはこれから自分が親になっていく人生のスタートですが、親にとってはそのランドセルは想い出の詰まった「その時」との別れの象徴だからです。そして若かったときの自分の想い出が詰まったタイムカプセルでもあるからだと思います。ランドセルは子供の背中のシンボルです。これから育って自分の手から離れていく子供のシンボルでもあります。


そのミニランドセルの制作を頼んだ家族は、親も子供もとてもとても「素敵な顔」をしていました。その職人さんの顔もよい顔でした。自分が使ったランドセルを親がミニランドセルにしてくれて、今度は親になった自分が子供のランドセルをミニランドセルにした3代続いた家族も紹介していました。


このランドセルは、”子育て”にまつわる家族の物語を象徴している存在です。そして使わなくなったランドセルをそういう形で残したいと思った親と子供の関係がとても素敵です。


最近はやりの言葉にアーカイブというのがありますが、このランドセルは幸せだった家族と、今も幸せな家族のアーカイブなんだと思います。


育てて、そして育てられて、”やさしい気持ち”が残る家族と家庭。そんな優しさの時間の連続を象徴している品物であり、エピソードであるような気がします。


この番組の後で、子供を餓死させた親の事件が流れていました。


やさしい気持ちはどうやって作られ、どうやって引き継がれて行くものなのでしょうか。


ミニランドセルを残してもらった子供と餓死させられた子供に想いを寄せ、暗い気持ちになってしまいました。

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Posted on 2010/03/07 Sun. 23:17    TB: 0    CM: 0

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