大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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静止した時の会話 

T教授とT取締役と半年に1回飲んでいます。今日がその日でした。いずれもマレーシア時代に知り合った友人です。T教授はあと数日で還暦です。行く末と来し方を話題にしながら相変わらず照れながら互いを自慢し合う酒席です。

人は変わるのか、それとも変わらないのか。たぶんどっちも同じ事を言っています。でもその会話の質がどの程度同質かは重要です。互いにその質を確かめ合っています。

日本の国家的虚弱化を肯定するのか、否定するのか。
グローバル化を避けられない現象としつつも、その功罪を論じます。
人の幸せの個体差を論じます。

赤道直下で論じた話を、今還暦近い仲間が同じように論じています。答えがないことに安心して。

少しずつ変わっているのに、共に変わると互いにそれが分かりません。馬鹿みたいに分からないのです。
相対性理論だからです。

酔うために忘れることが、意識の中で酔いを妨げます。それが分かっているのに今日もそれを繰り返しました。

7月も終わりに近いですね。光陰矢の如し。

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Posted on 2010/07/29 Thu. 23:49    TB: 0    CM: 0

認知症の現場で考えたこと 

今日は用があって知人がやっている春日部の認知症専門の病院に出かけてきました。


埼玉は東京より暑し。


しかし、今日は暑いということをしばし忘れてしまうシリアスな体験をしました。そして帰りのバスの中の沈黙。路上の陽炎のごとく深く考え、迷ってしまいました。


人の尊厳とか命の在り方を考えるとき、認知症のように次第に「自分」のアイデンティティーが失われて行く脳の病気の意味をです。


そこで起こること、自分だけではなく家族に起こる変化のこと、希望ということ、人が生きるということ・・・


多くは高齢者でしたが、若年の認知症患者のことにも接しました。老境に至る前の自分の変化は、家族の人生をも巻き込み、もっと激しく変えてしまう。それを悲しみ悔やむ力さえ日々奪われて行く壮絶を思うと、人の、そして医の無力をも思わずには居られなかった。


医療の現場の「現実」に対して、行政はどこまで真剣に役割を果たそうとしているのか、政治の中での優先順位は何なのかというようなことも考えました。そして答えが如何に難しいのかを。


認知症の周辺に起こることは、同じ脳の問題と言っても、「うつ」の問題よりはるかに巨大でシンプルな暴力を感じます。誤魔化しようのない残酷な力を見せつけられます。


それと対比してわが社が取り組んでいるメンタル不調の問題を改めて考えました。おぼろげながら次の課題が浮かんできているように思います。静かに起こっていること。そしてはっきりと想像しなければならないこと。そして誤魔化さないで直視しなければならないことを。


今日は同じ猛暑日でも大いに違った灼熱の一日でした。



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Posted on 2010/07/23 Fri. 00:06    TB: 0    CM: 1

溶ける暑さの中でも日本人 

暑い時に”暑い暑い”というのはルール違反だと思いつつ、流石に溶けてしまいそうな暑さにナメクジのような自己消滅感を味わっています。このまま暑い日が続くと、きっと夏文化が変わるような気がします。

クールビズなどという余裕発想ではなく、ネクタイやジャケットは医学的に見て健康を確実に害するタバコのような存在になるのではないかと思います。しかもそれを身につけている人のみならず、それを見せられている周辺の人のメンタルへルスに直接害を及ぼします。まるで受動喫煙のように。

今日は新木場で乗り換え23時09分という電車に乗りました。ホームに立っているときこの時間でもクラクラしていました。実は反対のホームにも全く同じ時間に東京行きが入ってくるダイヤになっていて、本当にまったく同じタイミングで反対からホームに入ってきて、まったく同じタイミングでドアが開いた。乗客の数が違うのでさすがにドアが閉まるタイミングは違ったが、本当に驚きました。

まったく日本人というのは何て言う人種なんだろう。このうだるような暑さの中でもまだ日本人でいるなんて! 妙なことに感動してまた暑くなってしまいました。

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Posted on 2010/07/21 Wed. 23:52    TB: 0    CM: 0

知的生活と熱中症 進化が止まる人間? 

3連休が終わろうとしています。

仕事をしない時間はあっという間に過ぎて行くのに、仕事をしている時間はゆったり流れると思うこともあるけど、その逆になることもあります。楽しいことは早く終わり辛い事はなかなか終わらない。仕事も楽しい仕事と辛い仕事があり、休みの日も楽しみが多い時とそうでない時がある。人生という時間自体、そういうものなのかも知れませんね。

しかし毎日暑い。今年は特にそう思う。熱帯夜の日数は30年前の倍になっているそうだ。
温暖化なのか大きな地球の変化の一部なのか知らないが、体温より高い気温の中にいると熱中症にも罹りやすいことでしょう。

学生の頃、渡部昇一先生が、”学生はアルバイトをして車なんか買うくらいならクーラーを買うべし。それだけ本が読める。”と「知的生活の方法」という本に書いていた。当時はクーラーをそこまで必要と思うほど本を読まなかったからか、クーラーの価値をそこまでとは思わなかった。

しかし、この夏の気温なんかを見ていると、今こそクーラーと本の相関関係は注目に値すると思われてきます。動物の進化の過程で能力を飛躍的に発展させて地球の支配者になった人間は、他の動物から身を守る唯一の方法「脳の発達」だったとNHKスペシャルでやっていました。それだけ弱い動物だったのです。でもおそらく寒さという、命を脅かす試練も重要だったように思います。

こういう夏が続くようになると、ますます本を読まなくなって「脳の発達」が止まり、寒さの脅威もなくなると、工夫の必要のない緩んだ人生になるのかもしれない。

そうか、熱中症という別の脅威が今までと違う進化をもたらすかもしれない?





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Posted on 2010/07/19 Mon. 22:02    TB: 0    CM: 0

社内公用語が英語の会社 

この3連休は両親がある研修(?)に参加するとかで上京。朝早く出て夜遅く帰ってきて我が家に泊っています。

もう80歳を超えた年齢なのに元気なもんです。目的を持って生きている人のエネルギーは尽きることがないのではないかと感心しつつ、我身に置き換えてみて自信を喪失している今日この頃です。


それはそうと、昨日のニュースで、楽天が社内公用語(?)を全て英語にしたという話題を紹介していました。ついにそこまで来たかという印象です。英語ができないと昇進しないとか。そういう会社は結構増えているようです。昔の、英語ができるとキャリアが広がる、というような悠長なものではなくなってきているようです。


しかし、です。やはり私の意見としては”ちょっと待った”というのがあります。それは最近の国語力の低下とか、言語文化に対する国家的手抜きというような風潮を憂いていたからです。


英語はとにかくコミュニケーションの道具でしかありません。問題は、何をしゃべるか、何をアピールするか、自分の意見は何か、その人と自分の違いは何か・・・  そういうコンテンツが少ない人の上手い英語というのは実際かえって軽薄に見えてしまうと思うからです。上手い英語かもしれないけど大人の英語ではない可能性があります。そういう経験を何度もしたし、そういうテーマで散々外人と話したこともあります。


英語公用語化というのを「グローバル」と勘違いしている人がいます。多くのことがいわゆるグローバルな視点で理解しなければならない時代になっていることは事実です。しかし言語とグローバルは何の関係もないのではないかと言うのが私の持論です。地球が小さくなって、すぐどこにでも行けてどんな情報でもすぐ入る時代だからこそ、「日本人」とか「日本の文化」が大切になってくるし、その基盤の希薄な人はそもそもまともな外人さんには相手にされません。


「世界人」のような人はいないし、そんなものが存在できるようなら戦争はとっくになくなっているでしょう。


英語を情報の入手手段や、情報発信手段として習得するのは大切なことです。日本の英語力が世界の中でも相当下のほうに位置することは憂慮すべき事態ではあります。しかし、それはそもそも日本語や日本文化が一定の深度をともなったものであり、人口も多く国内市場も大きいことと無縁ではないような気がします。


GDPや人口の大きさでトップ10の国で公用語を英語(アングロサクソンは別として)にしている国はないでしょう。

国家が一定の見解をしっかり持っていないからこういう”グローバル企業”がどんどん増えてくると思うのです。


一企業の問題ではないやっかいな問題、という気がします。


言語と文化の問題はちゃんと教育・政治の場で改めて議論しなければ、そのうちどこの国の誰か自分でもわからない国民が英語力が上がったと言って自慢するような国になるのではないかと心配しています。



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Posted on 2010/07/18 Sun. 16:44    TB: 0    CM: 0

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