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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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瀬戸内海とハヤブサ 

尾道北高の同級生で因島に住んでいる友人から写真が届きました。隼が鳩(たぶん)をとらえたところに偶然出くわしてシャッターを切ったとか。場所は因島大橋の上です。
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ハヤブサというのもなかなかレアーな写真ですが、東京の喧騒の中にいるとこの橋の向こうに見える島々に目が行きます。


酷暑の中、この海に飛び込みたい衝動すら覚えます。


郷里の海が懐かしく、一瞬時間が止まったような気になりました。


僕は高いところが苦手で、この足元を見る勇気はありません。


この橋は歩いて渡れます。彼は橋の上の歩道を散歩していたときのようです。



一緒に歩いているような潮風を感じます。


今度遊びに行って一晩酒を酌み交わしたいなあ・・・ヒューマニーズ社長ブログ

瀬戸内の凪の静けさが恋しいです。

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Posted on 2010/08/16 Mon. 23:53    TB: 0    CM: 1

8月15日 

夏の暑い日に終戦を迎えたのは偶然なのだろうが、お盆で渋滞のひどくなった高速道路のニュースと、次から次へと繰り出される第二次世界大戦関連の番組の組み合わせには正直違和感を覚えます。終戦の時期がたまたまお盆の民族移動と重なる時期になったことも偶然だが、戦争を考えるタイミングとしては皆忙しいことです。


もちろん僕も戦後生まれですが、父親は特攻の生き残り。すぐ近くにそれを体験したその人が肉親として生きているので、多少なりともこの戦争を自分の中で手に触れる距離感でとらえることができるような気がしています。自分の中にある継続されたDNAの中で戦争を感じることができるような気がするのでしょうか。


戦後65年が経ち、実感としての戦争はもう社会の中には存在しません。どんなにこの時期にこれでもかと戦争番組を繰り返し放送しても、それは歴史の一知識にしかならないのかも知れません。他の国で戦争が続いているのに、それもひとつのニュースに過ぎません。


報道は”この記憶を風化させてはいけません”という声をいつも強調します。しかし残念ながら人間は自分の経験したことしか”本能的に”は反応できません。理性的には知識や決意も力を持つので、教育が無意味とは思いません。でも、人間が「戦争をしない」というのは、その自分体験を通じてその衝動が本能化した人にしか無理なのではないかと思うのです。しかも、その体験には「恨み」とか「憎しみ」の感情が付着しています。「悲惨さ」を回避したい本能と「仕返し」をしたい怒りの本能のどちらが優越するかは、一概には言えません。いろんな体験といろんな人の組み合わせがあるからです。


「もう2度とあのような戦争は繰り返してはいけません」という気持ちに反対の感情を持つ人はいないでしょう。しかしながら、体験した当の本人ですらそのことは確実とは思えないのに、それを体験していない後世の人間にとって、その決意が非常に危ういものであることを歴史は何度も証明しています。パレスチナとイスラエルの問題はこの事を証明する同時並行で今起こっている現実です。


話は変わりますが、12日のJALの事故のニュースをマレーシアのクアラルンプールのオフィースで開いた日経新聞で知ったときの情景を思い出します。ちょうど前日に義理の父が日本から到着したところで、ひとごとではありませんでした。あのニューズを見て背筋がぞっとしたあの感覚と、郷里で8月6日の原爆投下の日にTVの慰霊祭を見て黙とうしていた小学生のころの自分が何故か重なります。


自分の心の中にある痛みと、それなりに作り上げている不戦の決意と、人間や国家というものの危うさを無視できない自分が、TVから流れてくるニュースや番組を見ながら一層自分を不安にしています。


暑い盆休みが今年も終わります。


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Posted on 2010/08/15 Sun. 15:04    TB: 0    CM: 0

禁断の楽器 

最近は”マエケン”が投げる時しかカープの放送は見ないのに、今日はマエケンで負けてしまいました。彼も人間なんだと、自分のエゴイズムを批判してTVを消しました。


今お盆休みです。友人の会社でも一斉休業というのは少なくなっているみたいで、社員が交代で休んでいるケースの方が増えているのかもしれませんね。やや寂しい気もします。またひとつの文化がなくなって行くようで。


昨日は風が強くてとても外出する気にならなかったし、明日はまた灼熱の夏が戻ってきそうで気が萎えてしまいます。今日は比較的過ごし易かったのですがそれでも外は暑そうでした。


それで今回は、「静的」日々を送っています。読書に編曲に少しの仕事・・・


本は、マイケル・シーゲルって言うサックスを吹くジャーナリストの書いた「サキソフォン物語」という本を読んでいます。結構分厚い本なのと、今一つ脈略がない読み物で、やや根気を必要としています。でもこの「魔性の楽器」が発明されて、これだけ世界中で演奏される人気の楽器になるまでのあらゆるエピソードが満載で、好奇心は充分刺激されています。未だにクラシックの人々から一段低く見られている理由もわかる気がします。禁断の楽器ですね。中毒になり、品性を無くし、他を圧倒してしまう物理的な野蛮さを併せ持つ、どうしようもない魅力を持っています。


あとは、コンサート用の編曲を2?3曲仕上げようと、これはテンション高めてやっています。でも所詮インスピレーションという名の音符が空から降りて来ないと作れないので、時間と量と質に何の相関関係もない現実を突き付けられています。


明日は、ちょっとアルトの調子が悪いので高田馬場の行きつけの修理屋さんに行きます。お盆でもやっているようなので。1950年製の団塊世代のアメリカンセルマーなんで、さすがにいろいろガタが来ています。でもいい顔していて大好きです。顔だけじゃあないけど。
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このケースもオリジナルです。この写真あまりよくなくて見えないのですが、ベルのところの彫物はなかなかのものなんです。

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Posted on 2010/08/13 Fri. 23:18    TB: 0    CM: 0

自分でしている事など100%ない世界 ~動物行動学というメンタルヘルスに効く薬~ 

今日「女は男の指を見る」という本を読み終わりました。あまりに面白く、一気に読みました。竹内久美子さんという動物行動学者の本です。


人間も動物だし、今の遺伝子が出来あがるのに600万年とか700万年かかっています。ついこの前まで自然のものを採って食べる以外に方法がなかった訳だし、それが証拠に飢餓を一番怖がる体のメカニズムが糖尿病の原因です。


従って、人間を(人間以外の)動物の行動パターンから理解するという学問は非常に科学的です。邪魔な倫理観やイデオロギーというようなフィルターを通さない分だけ、差別と言われようが無理解と言われようが、正しいのです。


全ての人間は、”自分の遺伝子を如何に効率良く次の世代に残すか”ということに反する行動は絶対に取らないし、一見どんな目的に見えようが100%それに反する行動はない、という事をいろんな事例で書いている本です。


「目から鱗」です。しかもわかりやすい。何度も腹を抱えて笑いました。


薬指は人差し指に比べて長い男性。美しいシンメトリーに近い外見を持つ男性。彼らは胎児の頃、たくさんのテストステロンにより外敵に強い免疫を獲得したのだそうです。そのことから全ての人間の営みを説明しています。例外なしにです。


すっきりすること請け合いです。ああ、人は何て馬鹿げたことで悩んでいるのでしょう。”自分で何とかしている事など本当はなーんにも無い”のに・・・・ この本はメンタルヘルスに効く最高の薬かもしれません。



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Posted on 2010/08/09 Mon. 00:07    TB: 0    CM: 0

「橋田壽賀子」から「宮部みゆき」へ 

しばらく筆がとまっていました。あまりの暑さ(熱さ)につい友人とのビール談義を毎晩繰り返していたからです。




その間、気になるニュースが耳に入ってきました。100歳以上のお年寄りの所在不明や、何十年も前に死亡していたのに、その人に年金等が長く支払われていたとか。しかも調査を始めたら幾らでも同じような事が見つかっていると。このまま行けばギネスの記録も根拠がなかったり、ひょっとしたら日本人の平均寿命まで違っていたりしたらどうするのか、と心配になってきました。




いつものようにメディアは行政の怠慢を非難するかと思いきや、どうもこの前の年金の不始末のような状況では捉えられていない。これはひとえに、誰も想像していなかったあっと驚く現象だったからではないかと思う次第。




多くの制度は戦後、「性悪説」を根拠にする制度に代わって行って、あたかもその方が文化的にも進化したというような浅薄な価値観が横行していました。人事制度なんかもそうだし、税制などもそのひとつ。不況になったせいか、急にロハスだとかスローとかが新しい価値観のように言われ、貧しいことの美化と本当に貧しいことの区別ができなくなっていることに危機感を覚えていました。




そこにこの事件です。あれだけDVの問題や子供の虐待死があっても、さすがに死亡届を意識的に出さないで、年金を着服することを当たり前にするほどの”確立された悪意”はないと思っていたからです。もちろん今回のことはまだアウトラインが見えてきていません。そこまでの問題とは認識されていないように思います。




むしろ問題は、何ていうのか・・死生観の風化とか希薄化と言おうか。反対の価値観に行くのではなく、単にそのことが生活の中から欠落していく家族感とでも言うべきか。そういう喪失感自体が、もっとパラダイム的な変化というか・・・  宮部みゆきの小説みたいな世界。




橋田壽賀子がドラマの前提にしているステレオタイプで浅薄な”どこにでもあるに違いない”というその楽観的な家族価値観が昔から人工的で厭だったけど、この事件はそのことを皮肉たっぷりに示していると思う。




コメントのしようのない虚脱感溢れるニュースだと思いません?これで少し背筋が寒くなること、まるで幽霊屋敷のようです。立秋過ぎて残暑お見舞いですか・・・











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Posted on 2010/08/08 Sun. 23:34    TB: 0    CM: 0

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