大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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血のリビア革命と日本の遠い関係 

この前、インターネットがもたらした「無血革命」というようなテーマでエジプトのことを書きましたが、リビアは”血の革命”になってしまいましたね。

カダフィと言う男、今まであまり情報がなく、日本ではメジャーではなかったと思います。でも久しぶりにリアリティーのある”今の狂気”を垣間みる思いがします。

革命を起こせる人は普通の価値基準の世界に住んでいる人ではないし、「狂気」とも呼ぶべき”突き動かされる衝動”が無ければ革命は達成できることではないと思います。でも多くは、革命の「成就」とその後の長い安定と権力の中で、牙がなくなって丸くなり、「革命家」から「政治家」になる。そして「普通の人」になる。

その意味でカダフィは、「大佐」という肩書きからも解るように、今だに普通の人にはなっていない”本物の狂気の人”であったことを今回のことで思い知らされました。

平たい意味でのヒューマニズムから単に武器の使用を非難する論調が多い中、映像に映る”緑のない土埃舞うあのどこまで続く乾いた大地”に思いを馳せしまいます。

昔ドバイに出張したときに見た、あの果てしなく続く荒涼とした「土漠」を思い出します。住民の怒りの激しさとあの景色に相関関係があると思います。街を一歩出たらもう一片の緑もないのです。

カダフィのあの闘争心と権力の意思とあの景色は関係があります。

アラブの緑の無い世界と、日本の”癒しの水風景”を対峙して考えます。リビアの民衆の徹底した怒りという衝動と、妥協の利益を長く文化として持ち近年虚弱体質になった日本人をつい比較してしまいます。

今日の日経の夕刊に、日米中韓の高校生対象に実施したアンケート調査で、日本の高校生の自己評価が突出して低いという結果が出たという記事がありました。同じ感覚をインドの人や、中国の国民と比較しても感じたことがありますが、逆に、日本の風土が育てた”デリカシー”が、今国際的に大きな曲がり角に差し掛かっているような気がします。

有血革命を礼賛できる訳はないけど、事はそんなに奇麗ごとでは済まないのです。国民と革命家の両者に見る、死しても我慢したくないエネルギーや、そこまで蓄積された怒りの存在や、それを作った文化や、それを強要したあの緑のない”妥協を拒絶した風景”を思います。

イラク戦争の時にも思ったけど、今リビアで起こっていることをストーブに当たりながら実況中継で観戦している僕たちの「新しい形の原罪」に、どこか沈黙せざるを得ない自分を見ています。

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Posted on 2011/02/26 Sat. 23:56    TB: 0    CM: 0

ブログサイトの引っ越し 

ブログのサイトの引っ越しをしました。会社のスタッフの提案です。

実はヒューマニーズが新しく個人向けのメンタルサポートを3月1日から始めることになったのですが、これも社員の提案からです。ブログを書いている本人はサイトの違いがよくわかっていないのですが、420回達成(意味不明だけど)記念にこの引っ越しに同意しました。

社員の提案というのは経営者にとってとてもうれしいものです。そして社員一丸となってそれぞれのできることでそれに参加し、言うだけではなく自分で頭を使って手を動かして、当事者として目に見える形に自分でしてくれる。その過程に参加できる社員はプロセスの中で新しい一体感や仲間意識を感じているように思います。見ている僕も幸せな気持ちになります。

まあ、とにかくそういう訳で、今までの企業向けのメンタルヘルスに加えて、個人向けの”メンタルサポート”を始めます。B2Bに加えてB2Cもやる、って事です。自分のことでも、家族のことでも、恋人のことでも・・・そして別に心の悩みに限りません。キャリアや転職で悩んでいる人でも対応します。私が社長をしていて、兄弟会社である「株式会社コア(CORE)」(http://www.core-jp.com)というキャリアのプロ集団もついています。うちの社員は本当に手を抜きません。久しぶりにヒューマニーズのHP(http://www.humaneeds.co.jp)を覗いてみてください。

そう言えば、4月からもうひとつの新企画を準備中です。今年はヒューマニーズが独立して3年目に入り、社員みんなでどんどん新しいことにチャレンジする年になります。できるだけこのブログでも紹介しますので皆さん宜しくお願いします。

そう、話を戻します。このサイトへの引っ越しもスタッフが推薦したものです。「社長のブログの内容にはこれが合っている」って言うのです。今まで長くブログを書いていましたが、そういう提案は初めてでした。僕のブログの個性と今までのサイトが合っていない、と言うことのようですが、社員が自分で意見を言い、どんどん進めてくれた結果です。

これで421回目になりますが、何とか自分らしいブログとして続けて行ければと思います。こっちに移っても変わらず宜しくお願い致します。

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Posted on 2011/02/25 Fri. 23:58    TB: 0    CM: 0

花粉症から学ぶ自己愛と自己嫌悪 

先週の金曜あたりから、本当に久しぶりに体が重くて、鼻がむずむずしていたら、どうも花粉症らしい。


医者いわく、”境界線付近ですね”と。いくらか反応が出ているけど、本物の花粉症というまでの数値ではないと言う事らしいです。去年もそう言われて「花粉症っぽい」症状がしばらく続きました。


アレルギーというのは太古の昔にはなかったらしいです。自分の免疫システムが過剰反応して自分を攻撃しているということで、劇症肝炎とかと同じメカニズムらしいです。


自分が自分を攻撃するタイプの病は厄介です。自分自身の中に敵が居る訳だからややこしい。ガンなんかもその類の話です。


”悪魔は元々天使だった”と習ったとき、とても深淵な話だと感じた記憶がありますが、その感覚がよみがえってきます。”そりゃ大層強力だ”っていう感じがします。


”ブルータスお前もか”現象というか、 ”キリストを裏切ったユダ”みたいな存在と言うか、社員に情報漏えいされた会社(?)と言うか・・・  とにかく味方と思って安心していたら敵だった、というタチの悪い話です。


やはり一番怖いのは自分自身なんですね。安心の裏に存在する恐怖と言うか・・・


良いものと悪いものは元々同じものから生まれる。表裏一体言っても良いかも知れません。食べ物や自然の物もそういう性質を本来持っているように思います。


上手く出来ていると言うか、人生奥が深いですね。自然も奥が深い。何せ人類700万年の歴史を持っているのです。


自己愛と自己嫌悪の狭間に身を置いて、鼻水に哲学を感じていた今日一日でした。



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Posted on 2011/02/21 Mon. 22:35    TB: 0    CM: 0

一周遅れで現れた本物の歌手 

僕の高校の同級生に三田君という人がいます。スーパーボーイというコマーシャルの制作会社で、同時にCDのレーベルを持っている会社のオーナーで、最近は音楽プロデューサーとして才能を発揮しています。

彼の招待で、先日新宿のピット・インであった「ギラ・ジルカ」という歌手のコンサートに行ってきました。感動しました。お父さんがイスラエル人でお母さんが日本人のバークリーでジャズを勉強した神戸生まれの女性。「JUMP WORLD」という彼のレーベルに所属する歌手です。
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ギラ・ジルカ all Me

女性のJazz歌手は大勢いますが、本当に久しぶりの大物シンガーだと思いました。大きなエンジンを持った車であるが故にできる、繊細で大胆で突き破る疾走感、とでも言いますか。このCDはライブとは少し違いますが、CDとして本当に良く出来ています。今井美樹のカバーから本格的なJazzまでまったく手抜きのない洗練された音の連続です。

ライブでは、チックコリアの「スペイン」をスキャットも交えて完全なインストルメンタルなヴォイスに昇華していました。本当に久しぶりにシンプルに感動できる音楽パフォーマンスの爽快感・・・
今僕が一押しのギターリスト、竹中俊二がサポートして抜群の音を作り上げていました。

10年前の日本では受けなかったタイプだと思います。飾りのない身近で等身大の力をそのまま受け入れさせてくれるようなミュージシャンですかね・・そう、一周遅れの大物歌手。

忘れていたプリミティブな原風景に触れたときの、あの”しなやか”な感性の飛翔とでも言いますか。是非、聴いてみてください。友人だから推薦するのではありません。きっと本当に大物歌手になります。



ギターの竹中俊二とのデュオの動画があったので掲載させてもらいます。飾っていない生の音です。
ギラ・ジルカの情報は、下記サイトで見られます。ちょっと宣伝させてください。

SUPERBOY Jumpworld

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Posted on 2011/02/17 Thu. 23:44    TB: 0    CM: 0

無縁社会という言葉に思う 

先日NHKで「無縁社会」というタイトルの番組をやっていました。本能的に嫌な言葉だと思いながらもつい見てしまいました。

無縁という言葉に非常に大げさに何かを表現する嫌らしさを感じます。そしてどこか”何もしてくれない”という受け身の贅沢さを連想します。

本当に無縁というような存在があるでしょうか?ロビンソンクルーソーですら動物と対話したりしていたと思います。本当に一人になるにはレベルの高い意思が必要だと思うのです。「孤高」と言えばまた大げさになりますが、無縁になるには修行が必要かもしれないと思うほどです。

誰か、何かによって生まれた自分です。意思を持たない、受け身なのは生まれた時だけかもしれませんが、それゆえにそこにも縁があります。

何事も単純に言い切るものには必ず嘘が含まれていると思っています。そんな種類の言葉の浅薄な暴力を感じました。

メンタルヘルスのビジネスをしていると、「人」を深く考えます。自己存在の偽善とプリミティブな力の大切さを思います。”社会的動物”である人間の弱さと、そして強さを感じます。自殺によって表現される”したたか”な存在を思います。だから不毛感を感じるのです。

あまり誇張すること自体何かを誤摩化そうとしている自分を感じるので、この文章自体が矛盾していますが、でも、最近、こう言った分かりやすそうで多くをショートカットしてしまう危険な風潮がないですか?

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Posted on 2011/02/15 Tue. 23:20    TB: 0    CM: 0

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