大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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揺れない建物に何故しない! 

僕は、アメリカに駐在していたサラリーマン時代、免震とか制震の技術パテントを日本に持ってきたり、海外の免震のメーカーと販売権とか施工権の契約を取りまとめる仕事をしていたことがあります。

免震というのは鉛の板の入った積層ゴムを地面と柱の間に入れて建物を土地から浮かす(分離する)技術です。あまり高い建物や柔らかい構造の建物には向きません。一方、制震というのはスラブとスラブの間にダンパー(揺れの緩衝ディバイス)を入れたり、カウンターウエイトをコンピューター制御して、建物の揺れを相殺するような部分的なムーブメントを生む技術や設計のことを指していて、高層ビルや柔構造のものでも使えます。

当時は、当然もっとそういう技術をどの建物でも導入する時代が来ると信じていましたが、未だに殆どの建物は”つぶれない強い建物”の方向には行っていても、”揺れない建物”の方向には行っていません。強い建物を耐震と言いますが。

もちろん免震や制震の建物が増えていることも事実ですが、全体の中から言えば未だに圧倒的に少数派でしょう。

この原因はやはりコストです。最初から組み込んだ場合20%くらい高くなるでしょうか?出来上がった建物に新規にこれらを施工することも出来ますが結構コストがかかります。もっとも当時の話なので今は違うかもしれません。

しかし、今回の地震を自分でも経験をすると、この免震や制震の建物にどうしても住みたくなります。もちろん一戸建てでも可能です。安心というのは、結果が大丈夫だ、という頭で理解することからではなく、”揺れない”(実際は”あまり揺れない”というべきですが)現象からこそもたらされるからだと思うからです。

うちの犬が揺れると吠えます。大きな地震の場合は揺れる前から吠えます。得体の知れないものへの恐怖だと思います。人間もまずは動物なんだから、例えつぶれない建物だと頭で考えていても、揺れること自体とても怖いことであるはずです。もちろんその前に潰れる(耐震性の弱い)建物であってなならないことが根本ですが。

前にも書いたけど、地震は予知しても駄目です。来なくすることは不可能だし、どんなに技術が進歩しても予知確率には一定の限界があると思うからです。そもそも30秒後に来ます、などと気味の悪い警報が鳴る携帯なんか何の意味もありません。どうしろというのでしょう?火を消す? まあそんなところでしょう。

それより、地震が来ても揺れない建物にする方が絶対に良いと思います。予知にかけている国の予算を補助金に使うべきです。なんで未だにそうならないのでしょう。地震保険も全然安くなるはずですし、そのくらいのところにお金をかけても安心(と安全)を買うべきです。

今回の地震でその話をだれもしないことを不思議に思い、できればそれを促進するNPOでも立ち上げて啓発運動を起こしたいくらいです。今この時にもしないならいつするのでしょうか? さらに言えば、震災の時にその熱が盛んになっても、残念ながら「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということで、また熱が冷めてしまうのでしょうけど。

みなさんどう思いますか?
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Posted on 2011/03/29 Tue. 23:44    TB: 0    CM: 0

報道の偏りが示す日本の幼稚性 

非常に気になることがあります。それは何十カ国もの国がこんなにこの混迷の日本の支援をしているのに、そんな各国の様子があまりにもメディアに取り上げられていないことです。

TVをそんなに見ている訳ではないけれど、どう控えめに見てもフォーカスされてなさ過ぎる気がします。

例えば米国の支援を報道しない政治的配慮があるのかもしれないし、海外に頼っていることを見せたくない行政のプライドもあるのかもしれない。原発技術の優位性で世界でビジネスしようとこの前まで思っていたメーカーや東電はもっともだとしても、それを後押ししていたからと言って、日本のメディアや行政や政治まで一緒であったとそう簡単に思わせないで欲しい。せめて海外のメディアが日本のモラルや秩序を誉めていることを認めることだけでも報道すれば良いのにと思う。

また、自衛隊や消防という公務員の努力をもう少し愛情を持って報道しても良いのではないかとも思っています。公務員だから当然という狭量さを国民がそれほど持っているとも思えない。被災の現場ではもっと素朴にヒューマンな感謝があると思います。

原発の問題も、海外がどういう数値を補足し、どういう状況分析をしているのか、もっと報道すべきです。日本の国境をとっくに超えて放射性物質は拡散しているし、そもそも風が運ぶ訳だから、あんな同心円でその危険を一律に計る事自体ナンセンスです。その内日本の国土以上に被害を受けている他国が出てきてもおかしくないのです。少なくとも「公海」の汚染はそうとう進んでいるのではないかと思います。

放射能の問題は人類が人工的にかつ恣意的に作った技術のひとつの負の副産物であり、そのことにもっと謙虚になる良い機会を与えてくれています。石原都知事は、表現に対する配慮が欠けていたとしても、大切なことを勇気を持って発言したと思う。

また地球という同じ船に世界が乗っていて、一旦浸水し始めると結局船が沈没してしまうことも、今回のことで分かりやすくなったと思います。温暖化の問題をもっと生命の危機として明確に示してくれていると言っても良いでしょう。

クジラの問題よりもっと利己的でかつ本能的に礼賛される行為なのに、何故グリーンピースは原子力では大人しいのでしょうか。

最近社民党がおとなし過ぎますね。米軍の問題と今回の米軍の援助というのをどう整合しているのでしょう。民主党も自衛隊の存在に対してどう整合するのでしょう。

何事も一方向から見ただけでその正しさや間違いを語るのは恥ずかしいことだと思います。そして普段自分が発言していることに責任を持つという品性が問われています。

日本のメディアの質の低さを恥ずかしく思います。それを政治から独立していないだけだと言えるのであればむしろ救いなのかも知れませんが。もう少し大人になって欲しい。その事を今世界が見ているような気がします。

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Posted on 2011/03/29 Tue. 00:00    TB: 0    CM: 0

卒業式と止まらない時の流れ 

稼働していない工場が多いせいか、海ほたるの向こうに浦賀水道が、羽田空港の向こうに横浜ランドマークタワーが見えています。空気の透明度が増して”遥かでそして穏やかな”景色が見られます。そして、これは今、夜になると光が少なくなって闇に沈む景色になっています。

停電や節電で、今この辺りの夜は、何十年も前の、まだ”本当に”貧しかったころの日本と変わらない明るさになっているのかもしれません。豊かになった建物や道路が見えにくくなるからでもあるでしょう。でも東北の被災地では本当に何もなくなってしまって恐怖を伴う闇になっているのでしょう。それを思うと心が痛みます。

浦安が災害援助法の適用を受けることになったそうです。まだ水やガスが来ていない地区もあり、この近くにも未だ稼働している3か所の給水所があります。これで今後は計画停電の対象から外れるそうです。

”余りにも足らないこと”に遭遇して初めて豊かさの意味を知る。でも「過ぎたるは及ばざるがごとし」と感じるのことは難しいのでしょうね。

今卒業式と入学式の季節です。特に卒業式には「別れ」があって、心をギュッと掴まれるような痛みがありますね。そしてそのことが卒業式を重くて意味のあるイベントにします。「時の流れ」が止まらないことの「残酷さ」と、だから味わい深くなる人生を考えさせられます。

被災地の卒業式に胸が痛みます。普通の別れよりもっともっと多くの別れと痛みを感じる卒業式になっているのでしょう。「時の流れ」が元に戻れない慟哭が聞こえてきます。そう、”喪失の中の卒業式”。

でもきっと乗り越えてくれると思います。時は止まらなくて流れ続けるからです。

入学式をキャンセルしたり延期する学校がたくさんあるそうですね。式が無くても新しい道を歩み始めるように時は流れていきます。若者はまた成長し、老人はまたひとつ歳をとります。

遥か昔の自分の卒業式を目を細めて思い出しながら、遠い房総半島を見ています。



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Posted on 2011/03/27 Sun. 17:10    TB: 0    CM: 0

共生する国民 

もっとも首都に近い被災地と言われ、未だに多くの地区でライフラインが止まっている浦安ですが、お陰様でやっと我が家に水がきました。銭湯通いもとりあえず必要なくなりホッとしました。結構並びましたが近くのスタンドでガソリンも入れる事ができました。生活の土台が揺らいで、いろんな友人にお世話になった10日間が終わりました。長く忘れていた「不自由」と「友情の有難さ」を思い出させてくれた一週間でした。

僕は学生時代に水害で育った家を無くしています。僕と弟はそれぞれ東京と広島の大学に通っていたので、尾道の家には両親しか居ませんでした。両親は助かりました。相当長く入院していましたが命があったのは奇跡です。実家は跡形もなくなくなっていて、飼っていた犬も猫も最後まで見つかりませんでした。周りの数軒も同じように跡形もなくなっていました。子供の時の写真も壁の落書きも何ひとつ出てきませんでした。もう自分の心の中にしか過去が残っていないことを実感したものです。

今回の東北の現場を見ていてあの時の事を思い出します。神戸の震災もそうでしょうが、日本中で同じような体験をした人々が、皆同じように自分の体験を思い出していることでしょう。そういう連鎖を広範囲に起こしている”戦後最大の震災”ですね。今、静かにあの頃の自分の気持ちに触れようとしている自分がいるようです。

「国難」という言い方をしている人がいます。確かに規模においてもそうでしょうし、質においてもそうかもしれません。放射線の問題はまだまだこれから試練が来るかも知れません。

でも、今回非常に印象的だったのは、首都圏の人々も一緒にあの大きな揺れを体験し、帰宅難民になったことでしょう。日本の中心を巻き込んだという意味でも戦後初の大震災だったのです。そして僕も電気・水・ガスの大切さを身を持って体験しました。(未だに余震と電車が動かないかも知れないという恐怖を体験していますが・・)

海外から注目が集まっています。共生というか、助け合いの文化が末端まで存在する社会。本当に驚かれています。自信を失っていた日本人が忘れていた財産が今その価値を発揮しています。日本が最も外に対して誇れるものが何かを、我々も今気付いているのかもしれません。勤勉とか忍耐強いなどと言う評価は定着していましたが、必ずしも尊敬される能力として扱われていませんでした。でも今回の論評には一段レベルの違う畏敬の念を感じます。確実に驚きをともなっています。(もっともここのところは、CNNなども、もっぱら放射線の方に関心が移ってしまっていますが・・・)

人の親切や食べ物や普段当たり前と思っていたことに感謝するという気持ちが如何に自分を癒すか。そんな感情に自然に巡り合えるチャンスはなかなか無かったように思います。そんな現象が今国中を覆っているように思います。国を挙げて気持がひとつになることなど、本当に長くなかった日本です。「国難」って言う呼び方が決して大げさではない気持ちになれるところが「国難」なのでしょう。

これから長い長い復興の道のりが待っています。その分、不謹慎かもしれませんが、この気持を忘れないで済みます。自分も国民のひとりとして、何か大切な精神に軸を取り戻せたような気がします。

お亡くなりになった方々、心より冥福をお祈り致します。家族を亡くされた方々、喪失の痛みというのは、ただただ沈黙して寄り添うしかないのかもしれません。人の無力を感じます。でも時間が少しずつ前に向いて歩いて行く自分を呼び戻してくれると思います。陳腐な言葉ですが、頑張ってください。

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Posted on 2011/03/21 Mon. 17:58    TB: 0    CM: 0

原発事故の夢で気付いたこと 

災害が起こってから、ほとんど何故か外資系の顧客企業ですが、従業員の特別メンタルサポートの相談が寄せられることが多くなっています。未経験の恐怖から来るショック、喪失体験、PTSD・・ ヒューマニーズの仕事が医者や弁護士と同じように、人に不幸が襲ってきている時に発生するニーズに対応する仕事だと言う事がよく分かります。普段奇麗ごとを言っていますが至って分かりやすい現象が起きています。

昨夜、ある夢を見ました。若い自衛隊員が「僕には妻も子もいません。是非あの原発の中へ入って行ってホースをプールの奥深くに固定してきます。うまく言ったら親が誇ってくれます。英雄になれます。」と言って志願します。でも周りの上司も同僚も沈黙を守ります。でもそれを聞いた政治家が、「若い将来のある若者を行かせるのは苦渋の決断であり断腸の思いではあるが、国民を代表して君の栄誉を讃えたいと思う。政治家冥利に尽きる。」と言って送りだそうとします。

何かとても気分が悪くなって目が覚めてしまいました。

どこにどう気分が悪くなったのか自分でもよくわかりません。誤解を恐れずに言うと、たぶん志願した人が若かったこと。「もう十分行きたので・・・」と言って老人が言った方が自然だったし、周りの人の沈黙の偽善も嫌だった。そして最後の政治家が当たり前だけど一番滑稽なほど白け、腹がっ立った。

今日は、空と陸から放水作戦。60年安保時代の官憲の武器が今役立っているという皮肉と、こういう子供の戦争ごっこに出てくるようなシーンを今頃始めているということが、あの技術力の頂点のような原発で起こりうるとは。東電は何に逡巡していたんだろう?何に手間取っていてここまでになったのだろう。とにかく行為の単純さとそのタイミングの遅さに驚く。

多くの海外のメディアが、略奪も起こさず整然として耐える日本人のポスト・クライシス・リアクションに深い美徳を見ているようです。キリスト教で言う「犠牲」とか「殉教」という”理念”がなくても、沈黙の涙で乗り切る力を示す日本人。諦観できるその観念の高さ。そういうものに畏敬の念を抱いているような気持ちがします。

この大変な災難の中で皮肉にも示すことになった日本人の素晴らしさを誇らしく思います。あの戦争から立ち直った力を今まざまざと再現していると言っても過言ではないでしょう。

我が家もまだ水が出ません。液状化現象で上下水道のシステムが破壊されているのです。今日も当たり前のことの有り難さを身にしみて感じています。

今、被災地にいる若者。きっと君たちは今最高の教育を受けている。喪失の中から将来とてつもない価値を持つ大きなものを得ていると信じています。頑張って欲しい。

ところで、明日は是非、自慢のロボットで消火活動をする情景を見せて欲しいと思って、また眠りにつきたいと思います。


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Posted on 2011/03/18 Fri. 00:10    TB: 0    CM: 0

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