大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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ドナルド・キーンの帰化に思うこと 

今日から連休。海外に行く友人も何人かいます。例の原発や続く余震のことを考えると、日本の地をしばし離れ枕を高くして寝たくなるという潜在願望(潜在ではない人も大勢いるけど)があると思います。しかし昨夜は久しぶりにゆっくりと長い睡眠をとることができました。日本に居るのに。

ディズニーシーも昨日からオープン。まだ花火はないみたいだけど、駅の活気が全然違います。
新幹線も青森まで開通して、もう一度震災前にリセットですね。
少しずつ前に向いた話題が出るようになって、復興のスタートが切れたような気がします。

ここ数日で一番気になった話題はドナルド・キーンの日本への帰化と永住の話です。年齢のことや、今回の震災が決断の切っ掛けにはなったのかも知れませんが、人生の最後にもっとも好きな世界に身を置きたいという、「心の中の終の棲家」が日本と日本文化と日本人だったことへ少し誇りを感じます。でも同時にある種の落胆に似た気持ちも持ちました。

落胆というのは、今の日本人の中に彼のような日本文化への深い理解と愛情を持っている人がどれだけいるのか、と思ったこと。日本人でないがゆえにその価値が解るのかも知れませんが、戦後の教育による”教養を求める心の破壊”ということを思います。

三島由紀夫が市ヶ谷で割腹自殺したのは、深い教養を持つ”日本文化の内にいる日本人”が、失われていく日本人の理解力と感性に耐えられなかった”強烈なプライド”の実力行使であったとすれば、このドナルド・キーンの帰化は、同種の教養レベルを持つが外国人が、(外国人であるがゆえに行った)まったく逆の穏健な形を取った、同じような強烈なプライドの実力行使であるように思うのです。彼が88歳という年齢まで穏健であり得たこととは、やはり”日本文化の外にいる日本人”であったからかもしれません。

言ってみれば、外国人が持っていてくれていた”日本のタイムカプセル”が今開かれたような、そんな感じでしょうか。

うまく言えませんね。でも日本人がこの震災で失ったものは、外から日本を本当に理解している人から見たら、実は大切なものではなく、昔から日本人が持っていた別のものは寧ろ今からその姿を現すことができるのかも知れない、そんなメッセージのような気もします。

今日の日経の春秋に、彼と中尊寺の桜の話が出ていましたが、良い話ですね。日本人が共通項として持っていたある種の波長を感じます。

彼に刺激され、源氏物語でもしっかりと読みたくなりました。
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Posted on 2011/04/30 Sat. 00:23    TB: 0    CM: 0

人はどこまで知りたがり、どこまで知られたがるものか 

久しぶりにブログを開けました。震災後多くの企業の中身が慌ただしくなり、従業員の相談に乗ったりいろんなケアニーズが高まっています。提案をしたり打合せの時間が多くなっています。世の中が騒がしく、また未来が不透明になっていますね。こういう時間は人に「大切なもの」を考え易くしますが、その考えの質も時間の流れで変わってきます。予想できない変わり方もするでしょうね。それ自体が新しい不安を増幅しているかもしれません。

今日は昨日とはうって変わって穏やかな一日になりました。そして今日はキリスト教で言うイースター(復活祭)であり、また選挙の日でもありました。

朝、年に何度も行かない教会に行って、帰りがけに投票をしました。そのあと取り掛かっていた編曲を完成させたら結局一日が終わってしまいました。

夜になって郷里の尾道で高等の同級生である平谷市長が2選を果たしたニュースが入ってきて、お祝いの電話をしようと思っていたら友人から長電話が入ってきて、結局こんな時間になってしまった。

そう言えばこの前の震災のとき、Twitterが一番情報入手に役だったので、その後少し凝って使っていますが、思っていた以上に凄い力を持った情報発信及び入手ツールだということに驚いています。

心配していたデマとか倫理の問題とか、そういった問題も少なさそうで、若い人から学者などまで本当に万遍に利用されていて、ツールとしての社会的認知も高いく、大きな存在になっていると言う実感を持った。内容も本当に軽いものから情報価値として非常に知的レベルの高いものまである。

明らかに自分を表現する手段を一部の知名度の高い人が独占する時代が終わりつつあると言う実感を持ちます。結果としてメディアがコントロールできることが相対的に少なくなってきていますね。互いに双方向で意見を交換でき、反応し合え、集団オピニオンを形成している。あれだけの情報を配信し、蓄積できるハードやソフトの力にも驚愕します。

政治やビジネスの在り方にも大きな影響を与えています。選挙の手段にも影響を与えるのも時間の問題だと思います。

しかし、少し凝って見ていると疲れも感じます。自分の考えを発信すること自体が持っている妙な疲れもありますね。自分が今どこで何をしているかさらけ出してしまう習慣の持つ疲れみたいなものかもしれません。主張したり影響されたり反発を覚えるというような感情の発露と言うか、そういうことの中で自分の人間的な部分がどう影響されるのかにも考えが及びます。

その意味ではまだまだ過渡期であり、人間が最終的に受容するものがどんなものなのか、注意深く見て行く必要も感じます。デジタル文明の功罪という一般論では語れない奥の深さも思います。人はどれだけ知れば満足し、どれだけ自分を露出したがるのか・・・ 新たな実験が世界規模で行なわれています。

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Posted on 2011/04/24 Sun. 23:46    TB: 0    CM: 1

自然の営みとしてのTrue Colors 

チェルノブイリと同じレベルになってしまった日本。多くの外国人が逃げ出している日本。本当に壊れてしまうのではないかと思うような余震が連日続く日本。

でも今日は暑いくらいの日差しの東京でした。自然はあの仕打ちをしたことをさっぱり忘れて次の時間を謳歌している見たいです。通勤途中にある花畑からちょっと”トゥルーカラーズ”のショットです。(シンディーローパー好きです)。
DSCF5559_convert_20110414001700.jpg DSCF5548_convert_20110414004548.jpg DSCF5557_convert_20110414003833.jpg

津波の中でも生き残った桜の話を聞きました。ひとつだけ残った松の話も聞きました。勇気付けられます。

破壊も存続も再生も・・・自然の営み。

人間の足は後ろに向かって歩くようには作られていませんね。目も後ろには付いていない。人間も自然が作った自然の一部。それも効率を追求した進化の収斂。
後ろに目は付いていない。

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Posted on 2011/04/14 Thu. 00:18    TB: 0    CM: 1

石原さんが選ばれた意味 

このたびの統一地方選、民主党の大敗北に終わりましたね。別に自民党の勝利という訳でもないのですが、”非常時”が時の政権には追い風になる、というのが多くの歴史の教えるところでも、今回はそうならなかった。

石原さんのぶっちぎり勝利というのは、”「強さ」の為には何を犠牲にしても良い”という非常時に動物がとる依存行動の結果とも言えますが、民主党の敗北と石原の選択と言うのは完全に相関関係にあると思います。

石原さんが、当選インタビューで、パチンコと自動販売機を止めれば節電が不要であるかのような話をNHKにして、それに正面から反応できなかったNHKというのを見て、その話の本質を理解した気持ちになりました。

”平和ボケ”という言葉がひと昔前に流行りました。でもその時のボケは今にして思えば”ボケが分かる”程度にしか”ボケていなかった”ような気がします。

今度の震災の時、ツイッターが活躍しました。今まで”つぶやく”程度の媒体を軽んじていましたが、別の用途として見直し、結局iPhone(まあ別にツイッターを使うのにスマートフォンを買う必要も、ましてやiPhoneである必要もなかったのですが、潜在的に願望があったことは認めます)を買ってしまいました。ある種の敗北感がありますが”背に腹はかえられない”ということです。それ以来このテクノロジーの面白さを発見してしまっているのですが、今回ツイッターに見る石原発言に対する賛否両論は確かに凄まじいものがありました。

しかし、百歩譲っても非難している人達の物事への理解度の方が平均的には低いと言わざるを得ません。それは、今回の原発の問題によって、風力発電などのrenewable energyへの代替への正当性がより支持されたとは言え、そのことと原発を完全否定することを同一視しなければいけないという幼稚さに似ています。

飛行機事故が起きたから飛行機は不要であるということにはなりません。技術的に克服しなければならない問題のレベルが一段上がったことを学んだだけであり、飛行機の利便性を同じレベルで否定する必要なないのです。

実はパチンコの話も、電気という問題の裏にある文化的な貧しさ(彼はこれを我欲と言う言葉で表現したと思いますが)を今回の節電によってシンボリックに表現したということに過ぎないのでしょう。

まあともかく、賛否両論あれど、本当に久しぶりに太い政治家を見た気がしました。小泉総理以来ですかね、そういう気持ちを思い出させてくれたのは。

浦安は結局千葉県議の選挙はボイコットしました。これも前代未聞、空前絶後な現象でした。どっちが大人なのか、どっちも大人ではないのか、それはわかりませんが、そのことも含め、液状化の中で感じた「躍動」でした。

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Posted on 2011/04/12 Tue. 00:06    TB: 0    CM: 0

花に希望を 

桜の季節ですね。日本があんなに破壊され、放射能はじめ巷に不安が満ちているのに、自然は何事もなかったように花を咲かせ、春を迎えています。

正確にそして正直に生を謳歌する花も、一瞬にして全てを何の感情もなく破壊してしまうあの津波も、どちらも自然そのものであることに恐ろしさを覚えます。人間という存在の希薄さを思います。

でも、この満開の桜に勇気づけられ、そこに希望を感じる我々も、また人間のもう一つの確かさなのかもしれません。

一昨年、ヒューマニーズがヴェディオールから独立して事務所をオープンしたときに頂いた蘭の花が、その後の怠慢で死にかけていました。自宅に持ち帰って株を分けて水をやって日に当ててやっていたら、見事花を咲かせるようになりました。今年も桜の開花に合わせるように花を咲かせ始めました。

photo.jpg

自然の素晴らしいところは、意思を持たないことです。そして正直なことです。そして意味のないことはしないと言う事です。

これらの花も自らの未来を確実に作るために、その華やかさを競い、虫たちを誘うのです。そういう自然の営みに勇気づけられ、また同時に裏切られる。

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しかし、どうせ人間にコントロールできないものなら、希望に繋がるように付き合い方しかないのでしょう。そしてそういうことができるのが人間なんだと思います。

この花のように、明日に向かって、面を上げて笑顔で乗り越えて行きたいと思います。

明日は、東京都知事選の結果が出ます。都民が強くて誠実な人、耳障りが悪くても真剣に責任ある言葉とそれを行動に移せる人を選ぶことに希望を持っています。



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Posted on 2011/04/10 Sun. 02:35    TB: 0    CM: 0

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