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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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母の日とカーネーションの想い出 

今日は母の日ですね(ゴーヤの日でもあるらしいけど)。子供達から花束もらっているカミさんを少し羨ましく、また微笑ましく思う日です。うちの奥さんは、僕と彼女の母親(両方ともお陰様で健在)にもいつも送っているようで、届いたという電話がいつもかかってきます。

花が多い部屋や花の話題が多いと気分も明るくなりますね。でも少し寂しい気持にもなります。花って生きていることの象徴でもあるけど、必ず枯れるという命の短さにも通じているからかもしれません。もちろん、また新たな花が咲くので命の連鎖という意味では良いのですが。

カーネーションの日ですね。確か母の日だったと思いますが、小学生の頃残酷にも授業でカーネーションの話題を出した教師がいました。母親に感謝することを教えるにはとても良いテーマだとは思いましたが、お母さんの居ない子供への配慮が欠けていて、いたたまれなかったその時の気持ちを今でも覚えています。

亡くなったお母さんにあげる「白いカーネーション」のこともその時知ったと思います。僕はカギっ子だったので、自分と少し結びつけたのかもしれませんが、そういう子供が妙に明るくふるまっていたので余計に胸が痛くなったものです。

東北の被災地で白いカーネーションが飛ぶよう売れているみたいです。多くの人が求めるカーネーションは、自分だけの悲しみではないひとつの地域的冠婚葬祭の道具になっているようで少しは救われます。でも赤いカーネーションを贈る子供と白いカーネーションを贈らなければならない子供が友達同士であれば、やはりあまり見たい情景ではないですね。辛いですね。

贈り物という習慣はとても良いことですが、命の有無を色で表す贈り物、しかもそれが花、というのは昔から残酷な習慣のような気がしていました。白いカーネーションに「希望」とかの、負け惜しみではない積極的に善良な意味付けがあれば良いのですけど。そもそもどういう意味でそういう残酷な習慣ができたのだろう・・・

我が家が皆赤いカーネーションであることの有難さを思っていたら、そういう昔の記憶が蘇ってきてしまいました。
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カテゴリ: プライベートブログ

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Posted on 2011/05/08 Sun. 23:39    TB: 0    CM: 0

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