大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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国家の評価も他国がすること、人と同じ。 

マレーシアに長く住んでいたので、このところの気候であの頃の思い出が蘇ってきます。まったく熱帯モンスーン気候ですね。しかし向こうにはヤシの木や砂浜もあってまあリゾートと隣り合わせの生活という感じなんで、それがサマになっていました。でも東京は、単に蒸し暑いだけ。どうもフェアーでない。

マレーシアでは木綿のろうけつ染めで、バティックという名の長袖のシャツ一枚で正装になりました。これからの日本の夏はもう熱帯だと考え、赤道直下の文化に学び、クールビズなどと言わず、もっと画期的な発想転換をして欲しいもんです。

そんな中、連日酒の会が続いていて、酒の勢いか、寝入りは良いのですが、暑さのせいか早朝に目が覚める日が続いています。昼間暑さで体力を消耗するので、寝不足はきつい。

こういう状況の中、少しムッとくるニュースが中国の新幹線のことです。気分が悪くなるニュースが余りにも多いので、鈍感になっていますが、ちょっと小骨がのどに引っかかるような、微妙な気分の悪さです。

殆ど国産の技術だというあの誇らしげなコメントのことです。日本人なら誰でも知っている日本の技術がその基礎にあるアレです。羞恥心のない自慢話に反応するのは大人げないことですが、さすがに聞いている方が恥ずかしくなります。

人間もそうだと思いますが、評価は自分の知らないところで出来上がっていきます。それと自己評価にギャッップがあることは惨めなことです。国家の評価も同じだと思います。

尖閣諸島の時にも感じた、あのあっけらかんとした厚顔で無礼な態度です。大変な大国が現れたもんだと思います。しかもすぐ隣に。国の力を質で表現するのは難しいく、そういう尺度を日本人も失って長い気がします。

隣国の日本はどんどん自信を喪失しています。政治家もプライドがないのみならず国益に反した態度で接しています。実に嘆かわしく悔しい思いがしています。

ところでNHKはなんども中国新幹線のニュースを流し、「中国独自の技術と言っています」とまでは報道するのに、「日本の技術を基礎にしています」とは言わない。じゃあなぜそういう報道をするのでしょう。政治の圧力を疑うのは僕だけでしょうか・・・

ますます蒸し暑い夜になりそうです。
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Posted on 2011/06/30 Thu. 23:45    TB: 0    CM: 0

美空ひばりと言う歌手がいましたね 

今日はカープが勝ちました。バンドの練習があったので今日試合があるのを忘れていました。忘れていると勝つようです。奥が深いですね。

ところでNHKで美空ひばりの昭和63年の東京ドームでの復活コンサートをやっていました。僕の人生に美空の歌はあまり関わっていませんが、今こうして聴いてみると心に染みるものがあります。

去年12月の我がバンドのコンサートをしたとき、ジャズナンバーの中に美空ひばりのメドレーを入れました。
ギャップを狙ったこともありますが、バンドの持っている幅というものを少し出したいと言う欲もあったかもしれません。でも確かに良い曲が多いのです。

6月24日で23回忌だそうです。早いものですね。時の経つのは。

こうしてしみじみと美空ひばりの歌を聴いているといろんなことに気付かされます。

彼女の歌を聴いていると、日本語の美しさ、それを生かすことを大前提に作られた歌謡曲という歌のジャンル。人生の晴れ間と曇りと雨日和、そしてそれを味わえる気持ちの深さ。

今の薄い世の中と比べると、20世紀という時代がを如何に健全で危うくなかった時代であったかと言うことを想います。戦争があったのにです。あったからだとは言いたくないけど・・・

復活コンサート。テーマは不死鳥。でもその言葉でむしろ強調されるのは病み上がりで神々しいまでの顔。凄みすら感じます。この翌年の平成元年の6月に亡くなっています。

若いときの彼女は天才の奢りととてつもない才能故の荒さがあったように思います。その力強さに勇気と明るさと希望をもらった多くの昭和の人々が居ました。

でも人生のピークを超えて、体力が弱って、そして初めて解る事がある。そんな苦悩の味というのでしょうか。表現したくてたまらない溢れる気持ちを歌に託して詠っていると言ったらよいか。しんみりと味のある番組でした。

昭和は遠くなりにけり・・・

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Posted on 2011/06/26 Sun. 21:45    TB: 0    CM: 0

いのちと放射能 

分子生物学者の柳澤桂子の「いのちと放射能」という本を昨日から読み始めたのですが、薄い本なのでもうほとんど読み終えました。
この本はチェルノブイリの事故(1986年)の2年後に、その事故を教訓にして柳澤が書いたものをタイトルを変えて、あとがきを加筆して2007年に初版として出したものです。
当然今の福島原発の前に書かれています。その警鐘が今まさに現実のことになっています。

まるで予言したように。

僕は、短期的には原発を維持すべきであると考えていましたが、この本を読んで考えを変えました。
無知であったことを認めます。やはり原子力は人類の歴史の中でも特別なものであり、決別すべきものであると考えるに至りました。
柳澤は先天性異常の研究を放射性物質を使ってしていた学者です。それだけに説得力が違います。
自らも難病に長く苦しんでいました。

■胎児・子供への影響は大人とはまるで違う。(言ってみれば出版のときの版下に傷をつけるのと同じ)
■それは子孫に代々禍根を残す。(一度付いたDNAの傷が何代もコピーされていく)
■食物連鎖による濃縮の怖さ。(放射能は結局口から入る)
■何万年もの後まで廃棄物が地球を汚す。(プルトニューム239などは半減期ですら2万4000年)

主な内容はこのようなことですが、中身は濃いです。特に印象に残るのは「これ以上エネルギーはいらない」
という言葉です。

経済活動に支障が出るけど、

それが何か?

という感じです。節電を勧めていますが、今実際にそうせざるを得なくなっています。

ついこの前まで世界中でやっていた核実験で地上に降った放射能はチェルノブイリの10~20倍だそうです。今世界中の原発からおびただしい廃棄物が毎日で続けています。何万年も維持できる安全な保管方法が存在するとは思えないのに。

2007年の時点で日本での事故や公表しなかった原発関連の不正は89件もあったそうです。
メディアに出た話は本当にその一部なんですね。

エネルギーの問題もこころの問題。
科学の発達で可能になることの負の部分に焦点を当ててそれを制御するのは人間のこころだと。

放射能は分かりにくいですね。一度開けてしまったら大変なことになる悪魔の箱のようです。

この本を読んで、もっと事態をシリアスに考えるようになりました。

人間の業のこと。

後世に残す地球の姿とそれに対する我々の責任。

本は一部やはり分かりにくいところもありますが、短い時間で読めます。今起こっていることを理解するには是非お勧めの一冊です。積極的に贅沢を避け、謙虚な経済構造を目指すようになると思います。不便の快感ですかね。
そして、きっと全力を挙げて再生エネルギーの開発と普及に日本全体が邁進するような気がします。


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Posted on 2011/06/21 Tue. 19:47    TB: 0    CM: 0

 

毎日蒸し暑い日が続いていますね。我が家もエアコンを28度に設定して来る真夏への耐性を強めようとしています。

しかし問題はペットの犬です。ロングヘアーなので結構きつい見たいです。人間でさえ何とか苦痛に耐えようとしているのに犬の事を考えるのも変ですが、実際はペットは人間の生活に合うように改良されてきているので、むしろ犠牲者であり、こういう人為的で一方的な条件変更についてくるのは大変なのかもしれません。すでに舌を出して苦しそうです。
DSC04040.jpg
今日、熱冷ましのジェルを買ってきてやったそうです。何となくくだらなくて滑稽は話です。

震災や原発で忘れられていた感もありますが、温暖化か何かはともかく、異常気象はその手を緩めていませんね。九州はじめ豪雨に見舞われています。

ニュースと言うか、人の関心と言うか、とにかく残酷なもので、どんな大きな事件でもそれを上回るさらに大きな事件が起こると、前の大きな事件は「小さな」事件になるか、忘れられる事件になります。

人の噂も七十五日。忘れることで新たなことを覚えられ、過去を薄くすることで前に向いて歩み続けることができる。そういう肯定的な見方もあると思います。

どんな真剣なことでも時間が希釈化し、適度に”どうでもよく”してくれます。

真摯であり続けることの負の効果もまた見て行かなければなりません。「いい加減の効用」もまた存在します。

「適度な負荷」を感じ続けることが時間の流れのなかで人や組織を強くします。

メンタルヘルスの世界でも言えることですが、経営でも、運動でも言えることだと思います。

いろんな災禍が結構解りやすく連続している今日この頃。来る節電猛暑にどう備えるか。ますは会社に行く半袖スタイルに悩んでいるところです。

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Posted on 2011/06/20 Mon. 23:36    TB: 0    CM: 0

父の日の花束に思う「父の卒業」 

今日は父の日ですね。子供達から花束をもらって知りました。昨日は仕事を兼ねて尾道の実家を訪ねて両親と食事をしました。自分では翌日が父の日とは知らず、何もしなかったので慌てて今日電話をしました。
自分の子供達の方が立派ですね。

ここ5年くらい毎年もらっているような気がします。その前の5年くらいは確かカードだけでした。親子でこういうものをもらうのは、妙にくすぐたいというか、照れを感じます。うれしいのですがいつも少し複雑な気持ちになります。

カードを贈られるようになって、「子供達」がもう昔のような「子供達」ではなく、分別を持った少し他人行儀な存在に変わって行っていることを実感するようになりましたし、花束になってからは完全に子供ではなくもう「大人」になったという寂しさと、自分が随分歳をとって子供達にとって傷つけてはならない「少し弱い存在」になっているような、そんな感情が伴うようになっていることに気付くようになりました。言ってみれば「父親の卒業」です。

母の日と父の日はそういう意味でも少し違いますね。上手く言えませんが、「母の日」は堂々と贈り物をし、また贈られてもそう照れなくできるような気がします。母性というものと父性というものの違いかもしれません。

僕の感覚では、「父親」というイメージは、やはり「厳しさ」や「生きる意味」とか、「人生こうあるべし」という理念のようなものを、折に触れて子供に伝える「堅い役割」を持っていなければならないと思う部分がどうしてもあります。

だからカードとか花束をもらうと、そういう厳しい、場合によっては恨まれ役を演じることが出来ない、あるいはもうそういう必要がないと言われているような、落ち着かない気持にもなるのだと思います。子供達の年齢を考えれば、確かにもう父親の役割は卒業しています。つまり父である必要はなくなっているのです。

父親というのは母親の存在とはやはり「社会的」に違うようにも思います。母親はそういう意味では優しさを充分発揮して子供を育て、母の日に花束をもらうことも、その優しさへの子供の感謝として自然に映ります。

最近は「イクメン」とか言って、父親と母親それぞれの役割を区別することは流行らないと言うか、実際問題現実的ではなくなっているような気がします。確かに経済的にも両親が働かなければならないケースが多くなっているようだし、家事や育児も同じように分担することも多くなってきていると思います。今後はますますそうなるのでしょう。

ある社会福祉法人の理事をしていますが、そこが運営する保育園などを見ていると確かに多くは共働きの家庭です。

そう考えて行くと、「父性」とか「母性」というものがどういう意味を持つようになるのか考えます。そういう概念とか役割がなくなっていくのかも知れないですね。

動物を見ていると、種類によって違いはあっても、子育てのときのオスメスの役割は結構はっきりと区別されているようです。人間も本来そういう役割の違いがあるように思います。

だからもしそういう区別がなくなっていくとすると、「子供の中身」というか、「育ち方」も違ってくるのではないかと思います。そして育ったあとの「大人の中身」も変わってくることでしょう。そして今までとはちがう「親」になって行きます。

子供を作らない夫婦や、結婚しない「大人」も増えてきているので、そもそも子供が減っていますが、子供が出来ても、そういう変化が起こってくることでしょう。

こう考えてくると、「親」ということの前に、やはり「男」と「女」の違いがどういうことなのか考えざるを得なくなります。

僕は、長い歴史の中で、今ほど男女の存在意義を考えなければならない時代はないのではないかと思っています。女性の社会進出や男女雇用機会均等などに象徴される社会的な「同権」「同等」さと、親子間や家庭における男女の存在差、生物的にみる男女差(男脳とか女脳や性差)などに関して深く考えなければならない時代を迎えていると思います。女性が男性と同じではどこが悪いの?という問いかけがしきりにされてきましたが、もうそういう時代ではないと思っています。

男の特徴や役割と女の特徴や役割は違って当然という部分と、区別を付ける意味や意義がない、という部分の両方があると思います。

先日のブログで紹介したように、今「識学研究所」の代表と毎週対談をしてUStreamで実況していますが、次回はこのテーマでいろいろ意見交換してみようかと思っています。

父の日の花束に、そんなことを考えた日曜日でした。
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Posted on 2011/06/20 Mon. 00:04    TB: 0    CM: 0

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