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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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9.11と差別、3.11と「のど自慢」 

今日は9.11と3.11両方のメモリアルデーですね。久しぶりに朝から家に居ていろんな特集番組を見ていました。

NHKでやっていた渡辺謙の「アメリカを行く」は奥の深いいい番組だった。あの当時運輸長官をしていた日系2世のノーマン・ミネタ氏が9.11の後のアラブ系への人種差別に毅然として反対したルーツが太平洋戦争時代の日系人の強制収容所の体験にあったことなどを紹介していたけど、考えさせられました。

「人権」とあれだけ言っている米国という国もそうだけど、群衆となったときの「人間」の感情のいい加減さや怖さに比べて如何に「理性」が当てにならないか・・・「正義」という感覚も怖いですね。

ところで滅多に見ない「のど自慢」を見ていたら、今日は東北の3県から参加を募った特別バージョンだったようで、評論家や学者がいろいろ言う震災や原発の話を思いながら、被災地の人の歌を聴いていました。

実際に体験して人生が変わった人の、言葉で表現できない一杯の「感情」を感じていました。

涙は理由なく突然溢れてくる。その理由を説明することは意味がない。

自分で「体験」したことは説明できないし、辛いことってそういうものなんでしょうね。
出演者の「歌」にそれを感じていました。



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Posted on 2011/09/11 Sun. 18:42    TB: 0    CM: 0

「母村」という美しい言葉 

知りませんでした、北海道に「新十津川村」という村があるということを。それは、今回の台風で被害を受けた奈良県の十津川村の村民が1889年水害にあって、そのとき村を捨て、希望を求めて移住して作った村だということを知りました。

100年以上前にそんな事実があったことは、今回の水害が村民にとって決して偶然ではなかった、過去に経験して今も心の傷になっている災害の再来であったのかも知れません。

歴史というのは、そこに生きてきた人々にとっては、語り継がれた過去の史実ではなく、「今」と連続する「現実」なのではないか。そんな思いにとらわれました。

そして、この新十津川村では、自分たちのルーツである奈良を十津川村を今でも「母村」と呼んでいるという。

ああ、なんて美しい言葉なんだろうと思った。

母なる村。そう思って懐かしみ、そして今回の災害を母の悲劇と感じ、共に苦悩する。

場所を変えて新たな命を繋いだ村。まるで挿し木のような生命力。そうせざるを得なかった試練。

「北海道」という土地が持っている日本の歴史。しかも「裏の歴史」。

そういう日本の貧しさとか、それでもそれを乗り越えようとして綿々と続く力。

いろんなことを感じさせてくれた言葉。初めて聞いた言葉。・・・・・「母村」

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Posted on 2011/09/08 Thu. 21:40    TB: 0    CM: 0

村上春樹「雑文集」と僕 

9月に入って初めてのブログです。

豪雨のあと秋の足音が感じられます。

今回の豪雨は学生時代に僕の生家を直撃して8人の隣人を奪ったあの台風を思い出しました。

「自然の脅威」という簡単な言葉では納得できない、とてもとても「私的」な出来事でした。

今回の豪雨でも同じ記憶を刻んでしまった多くの人に心からお悔やみ申し上げます。


猛暑のせいか、それとも僕としてはかなり詰め込んだ仕事をこなした8月のせいか、ここのところ馬力が出ず、週末の時間をほとんど曲作りか読書に当てていました。時間の経過を本能で誤魔化せる”逃避”が味わえるからです。

この前からそんな時に手にとって読んでいる本に村上春樹の「雑文集」というのがあります。


発表しなかった雑文(?)を詰め込んだ、いかにも「彼らしい」装丁の本です。

村上春樹は「ノルウェイの森」を読んである種の衝撃(未だに上手く説明できないタイプの)を覚えて以来、今回の「1Q84」に至るまで、どこか避けて通っていて、今もそうです。

今回のように、確かに体力が落ちて、浅薄な「力強さ」を疎ましく思っても自責の念がないときなどにピッタリの本でした。

彼は僕より少し年上の団塊世代のど真ん中。ビートルズに行くのではなくJazzに直行したところは僕と同じ。
僕もクラシックのフルートを習っていた高校時代にハービーマンの「メンフィスアンダーグラウンド」を聴いてしまってビートルズが聴けなくなった。彼のジャズ感は少し僕のそれに似ている。


なんで避けているか?だけど、たぶん、たぶんだけど、すごく照れて語る自分的な「僕」の世界の感じ方が結構似ているからなんじゃあないかと、この「雑文集」を読みながら思った。文豪に対して失礼だけど。

僕がアメリカに居た時、出張でよくボストンに行ったが、そのとき彼はボストンの郊外に住んでいた。それは(比較しちゃいけないが)同じ時期秋吉久美子(敏子ではなく)がサンフランシスコに住んでいた形とは違って、僕の中で大きな意味を持っていた。都市のそれではなく生き方の格好よさのお手本のような想いがしていた。

話すと長いが、非常に謙虚に物事に触ってそれを言葉にする感性が好きで、海外にしょっちゅう筆を持って「移住」するその感覚に嫉妬していたからという気がする。声高には言わない「人嫌い」な感覚も好きだし、結構それが悔しい。

彼のJazzに対する感性ももちろんそうだけど、小説家として、とても小さなことをすごく丁寧に拾って、「大切な」心の動きがどんなものか、どんなものを大切にする自分が好きなのか・・・そう言ったものの”掬い方”は昔から変わらない。照れながら静かに時きを生きている。そういう自分に「しらふ」なところも好きです。

やっぱり村上春樹のシャイさは一級だ。「雑」文の中に改めてそれを感じ、彼の「内なる」声を本当に久しぶりに聴けたような気がしています。












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Posted on 2011/09/06 Tue. 22:11    TB: 0    CM: 0

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