大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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「一陽来福」と「人間ドック」と「クリスマスイブ」 

一昨日は冬至でしたね。ついこの前まで夏だったような気がするのに光陰矢の如し。冬至は“逆境”を転じる縁起の良い日のようですね。「一陽来福」と結びついていたり北欧の「聖ルチア祭」などもこの時期ですね。家内も先日友人に誘われて早稲田にある「穴八幡神社」にお札をもらいに行ってきたようです。すごい人で大変だったとか。

夜中の零時に室内の南向きの壁ににそれを張らなければいけないそうで、いつもながらその儀式性に驚いています。僕は生れてすぐ洗礼を受けたカトリックなのでこういう習慣にはまったく疎いのですが、家内は京都出身のせいか、生活の中に浸透しています。親や回りがそうだったようで、宗教ではなくすでに「文化」として定着している感があります。

宗教と文化は大本では一緒でしょうが、歴史を経て残ったものは習慣となり“生きるスタイル”に変わっていくものも多く、そうなったものはすでに宗教と呼ぶようなものではないのでしょう。”社会で容認され定着した生き方のスタイル”というものには大切な何かが隠されているように思います。

ところでこの冬至の日、私は人間ドックを受けていました。人間ドックというものが嫌いな人は多いのですが、私はどちらかと言えば好きかもしれない。あまり健全な習慣ではないとわかっていながらどこかホッとするところがあるのです。

たぶん“日常から合法的に”離れられて「休息」が取れる、というイメージがあるのだと思います。携帯はつながらないし、早期発見ができるのは会社の為になる、という妙なexcuseと結びついているという心理があると思います。少なくとも激務から解放される時間がある。

でも、物理的にあの胃カメラとか腸カメラには苦痛が伴います。でもこれも最近は鎮静剤の発達のお陰で苦痛はなくなってきています。異常心理とも言えますが、むしろあの浮遊感には一種麻薬のような快感すら感じます。そういう意味では昔の方が今よりはるかに抵抗があったように記憶しています。年齢と比較して語られる人間ドックの費用対効果もあるのかもしれませんが、技術の進歩もあるのでしょう。

しかし、今回つくづく思ったのは、「産業」として発達して定着した人間ドックビジネスのことです。私が毎年行くドックには徹底的に合理化されたホスピタリティーと言うか、マニュアル化の徹底による高度なサービス感覚が
随所に見られます。しかも毎年エスカレートしている。良く言えばクレームが起きない徹底さ。悪く言えば少々“やり過ぎ”で恥ずかしくなるようなベタツキ感。検査などはほとんど幼児をあやすような粘着質なほど優しい指示に満ちていて、そのくせ言葉はエレベーターガール(今はもういないか?)のような疲れない発声方法に則った定型言葉。

高齢者と資産と健康志向と保険診療が効かない故の客商売が結びついたサービス産業です。今後は遺伝子解析なども含んだテーラーメイド医療の方向に行くのでしょう。

アメリカに居たとき「人間ドック」の話をして随分珍しがられた思い出があります。日本人は健康志向が強いのか、検査コストが安いのかわかりませんが、世界に突出した現象のようです。しかし最近は特にアジアの富裕層を当て込んだビジネスにもなっているとかで、日本人特有のものでもないのかもしれない。ひょっとして東洋人が好きなんだろうか・・

それと、問題になっているもののひとつに「被曝」があります。僕も一応気になる部分です。特に最近定着してきたPET-CTと言うのは大きな被曝量がありそう。CTやX線検査と併せると結構バカにならない量を浴びていると知人の医者も言っていた。調べてみると自然界での被曝量が大体2.4mSvだとか。飛行機に乗っても長い路線で0.2くらいらしい。それに比べるとはっきりした事は分からないけどフルコースのドックでは20くらい(いやもっとか?)にはなっていそうです。それの害も無視できないとは思います。これも年齢とか生殖適齢期なのかなどと関係する話だと思うので、僕くらいの年齢では実際あまり関係ないのかもしれない。

とにかく2日間のドックが今年も終了。いつものような解放感と違和感と少しの不快感を伴った時間でした。まだ結果は届いていませんが、冬至の日の人間ドック。“一陽来福”となるか???

そう言えば今日はクリスマスイブ。もう少ししたら教会に行かなければならない時間です。1年に何回も行かない教会だけどクリスマスの雰囲気は良いですね。これも一陽来福や聖ルチアと同根の「文化」かもしれない。
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Posted on 2012/12/24 Mon. 16:42    TB: 0    CM: 1

貧しさへの抵抗をくみ取る政治とは 

今年も年賀状の季節になりました。いつも年が明けるギリギリに投函するのに今年は結構早めに準備をすることができて、後は印刷するのみ。今日珍しく”サクサク”(って言うのでしょうか・・)と作業ができ、ひとつ仕事をが終わったという小さな充実感を感じています。我が家は概ね毎年200枚程度出したりもらったりしています。年月を経て次第に多くなって行きましたがここのところ喪中が多くて、今年は少し減りそうです。人生も折り返し地点を過ぎたら交友関係も増えないのでしょう。少しさびしい様な、それでいてどこかホッとするような変な気持ちです。年賀状の時代が終わりつつあるような気もします。

そう言えば一昨日の金曜日に頼まれて六本木ヒルズで話をする機会がありました。金融関係の方中心の投資家に向けた会社(株式会社マイランドの方の)説明です。こういう機会は初めてだったのでどういう事を話したら良いのか、どういう反応があるものか手探りでしたが、何とか大きく脱線せずに終えることができました。

㈱マイランドは中古不動産の再販事業を全国約60拠点で行っている会社で、再販ビジネスの会社としては既にトップの規模に達しています。中古と言ってもオフィースなどは対象としていません。

ビジネスモデルは至ってシンプルで、現在賃貸のアパートやマンションに住んでいる方に同じ程度の出費でリフォーム済みの中古住宅を買ってもらうというビジネスです。新築の住宅を対象外としているのは、新築では賃貸の家賃と同程度のローン返済額にはならないケースがほとんどだからです。またリフォームをして売っていると言うのは、中古の場合自分でそのまま綺麗な部屋として住める環境にするのが、費用や手間という点で結構大変だからです。

デフレ環境の中で日本人の多くの人は給与も下がっていて、資産が持てるのは中古の不動産くらいだからということが背景にあります。安い必需品で機能的なものでなければ大きなマーケットでのビジネスができないからです。
「ユニクロ」や牛丼チェーンなんかと同じように、シンプルで安価な「衣・食・住」の基本に帰るという流れの「住」ビジネスをしようと言うのがわが社の考えです。

先日の会社説明でもそのような日本の現状を話しながら、戦後日本史の中で今本当に大きな新たな潮流が生まれていることを述べたかったのですが、こと「投資」という感覚で聞いた場合、知識などではなく感覚として、やはり従来の右肩上がりの経済や豊かな先進国日本人としての安定的な蓄財の在り方、と言うような既成感覚から離れられていないような空気を感じてしまいました。

個人の感覚と大手企業のサラリーマンとしての役割からくる物の考え方の違いもあると思いますが、今日本の多くの企業、とりわけ戦後の大企業と言われる企業が、このまったく未知の停滞経済の中での新機軸を打ち出せなくなっているのではないかという気持ちを持って帰ってきました。六本木ヒルズと言うのあの豊かさの象徴のようなビルにも、今更ながらやや違和感を覚えてしまいました。

今日は投票日ですね。もうすぐ結果がわかるはずですが、”物質的な豊かさの必要性”(もちろん必要ですが)の立ち位置について国民的なコンセンサスができておらず、”貧しさへの抵抗”を政治が正しくくみ取って修正する意思が感じられません。おそらくどの政党も実質的なイニシアティブをとれるような環境成熟がまだできていない時期なんだと思います。

事業をやりながら感じていることとのズレが大きいと思っています。でも起こっている事実は確実に考え方の修正を迫っています。後から振り返れば、きっと歴史に残る大きな転換点を迎えているように思います。

さて「へび年」などんな年になるのでしょうか。

カテゴリ: 社長ブログ

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Posted on 2012/12/16 Sun. 18:41    TB: 0    CM: 0

鎌倉と寒い日曜日 

今日は鎌倉に行ってきました。以前ブログにも書きましたが、学生時代に1カ月間お世話になってその後何度もいろんな機会に訪れていた建長寺の塔頭、天源院の住職が急に亡くなってしまいました。なんらかの感染症が原因のようで、高熱が出たのち1週間だったというのです。

随分と遠い昔の事ですが、本当にこれで記憶の中だけの経験になってしまいました。

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今日お別れを言ってきて、帰りに建長寺に昔の面影を探しましたが、本当に景色の多くが変わってしまって、当時の面影はこの写真のようなところだけでした。思い出は益々記憶の中にしかなくなって行く。時間というのはそういうものなんでしょうね。

年の瀬になって気になるのは喪中はがきです。今年は特に多くてもう20通以上になっています。友人自身もまれにありますが多くは親のことです。

今日は寒い日でしたね。夏の季節や南の国にいると生命力のみならず命の連続性が感じfられるような気がします。でも冬や北の国は命の儚さや、無常感のようなものを感じてしまいます。これは東洋的な感性なのだろうか。

人ごみの鎌倉を滑り出るようにして帰宅しましたが、今日はそんなことを考えた寒い日曜日でした。

カテゴリ: プライベートブログ

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Posted on 2012/12/09 Sun. 21:56    TB: 0    CM: 0

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