大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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ポップな夏が終わりました 

たったの1週間ですが孫を見に何度か娘の家に行きました。義理もないのに。そう言うのを遺伝子の導きというのでしょうか?

今日は僕が関わった国立新美術館のポップアート展の一連のイベントの最後を飾るキミコ・パワーズと林綾野の対談の日でした。和やかで良い話ができたと思います。200名以上来て下さり盛況でした。展覧会は10月21日までやっているので、時間がある方は是非お出掛けください。

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(講談社で出した本50冊にキミコのサインを)

ここ1カ月のイベントが終わって、やっと秋が来そうな気がします。暑い夏でした。今もまだ暑いか・・・
いろいろ語りたいこともあるけど、気持がよかったイベントでした。それだけで十分幸せ。

ポップな夏が終わりました!!

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(ポップなカラーの本でしょう?)

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Posted on 2013/08/24 Sat. 22:44    TB: 0    CM: 2

少し特別な日 

正直まだ消化不良で少し戸惑っていますが、初孫が生まれました。昨日の夕方から陣痛が始まり、今日の午前11時頃無事に女児が産まれました。娘の子供です。

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開示許可を本人から取得することが難しい個人情報(笑)なので足だけの写真です。両親以外で赤ん坊を抱いて良いのは祖父母だけらしい。良い意味でビジネスライクな医療という感じで微笑ましかったし、よく考えると病院で病気ではない患者がいるのは産科のみということも気持を明るくしました。怖々と抱き上げましたが、健康そうなしっかりした顔と「足」でした。

血の繋がった赤ん坊を最後に抱いたのは、もう30年近く前になります。もう遠い彼方にある時間です。でも自分の子供の時はもっとリアルでもっと実務でもっと散文的でもっと大変だったような気がします。しかし今日はもっと浮遊感があって詩的でもっと無責任な感じでした。

生物的にはどうもリアリティーがない。その分どこか安心感がある。これは自分の子供の時にはなかった感覚のような気がします。そして、まだ自分と家内の両親全てが一応元気で人生を送っていて、その中での新しい命ということも、何となく自分もまだ人生の過渡期であり、非達成感というか現役感覚というか、そういうものにつながっているからかもしれません。

何か痛みを伴わない快感という曖昧なもの・・・

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今日は病院もお休み。人も少なくゆったりした日。病室の窓からの景色もどこかのんびり。湿度もあまりなく最近にしてはからりと晴れた心地よい日でした。休みの間にに生まれてくれると言うのはまずは親孝行な子です。

とにかく、今までにない新鮮な感覚を持った新体験の一日でした。
そして、何か大きなものに静かに感謝したい、そんな気持ちの良い一日でした。

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Posted on 2013/08/17 Sat. 18:00    TB: 0    CM: 0

戦争と体験 

今日は終戦記念日。ちょうどお盆休みの真ん中。もう戦争の事はなかなか思わないようになってきましたが、この時期だけはTVが特集を組むせいか、少し考えてしまいます。

父親は特攻の生き残り。現在、がん治療の最中ですが、3回目の治療入院も副作用がほとんどなく、とても85歳とは思えない頑強な体にただ驚くばかりです。若い時に一度死んだ人は心の置きどころが違うように思います。死生観の違いですか・・  尊敬しますが真似ができません。

経験していない戦争の事を少し考えます。右翼とか左翼という政治的な考え方もあり、中国・韓国・靖国神社・安倍首相・戦犯・東京裁判・人道に対する罪・・・いろんなことを考えてきたし、それはそれで持論を展開してきたものですが、最近はそういう事にはあまり関心がなくなり、そのかわりもっぱら〝戦う動物としての人類”という方に思いが至るようになってきました。

戦争は経済が豊かになって国富に差がなくなってくるとたぶん費用対効果が悪くなるので無くなって行く可能性が高いと思います。〝金持ち喧嘩せず”だからです。でも未だに多くの国では貧困があり、従って愛国精神の高揚という手段で国家の体制(国体)を維持するという利益が手ごろであるという学習にまだ価値があるので、戦争は無くなっていません。政治基盤が弱い国では「愛国」ではなく「宗教」や「民族」という別の共通性を「国」と置き換えても同じ原理が働くので、違った形の武力闘争になります。でもたぶん原理は同じです。

昨夜NHKで「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」というのをやっていました。これを見ていると、「国益」という名の下に、如何に政治家とか時の権力者が、自らの権力の拡大や維持を目的として戦争をしてきたかと言う事を考えさせられます。史実という意味でどこまでバイアスがかかっているのか、その見方にどこまで中立性があるのか疑えばきりがないが、〝何が本当”という問いも少々心もとない問いであるであることも確かだと言う気がしてきます。かなり前に訪ねたグアムの近くのテニアン島にある草生い茂る滑走路を思い出していました。広島に落とした原子爆弾を抱いたB29、エロナゲイが飛立った滑走路です。

そういう意味では、国の貧困さという事とは別にもっと人間的なエゴをエネルギーとした「嘘の社会正義」が歴史の中に多く存在しているという感覚も必要と言う事だと思います。

まあそういう言うことを前提としたとしても、戦争や集団的な殺戮は貧困との相関関係が非常に強いと言えると思います。少なくとも貧困への恐怖や被支配としての生への恐怖は導火線の元にある火薬であることは間違いのないところでしょう。

でももう少し突っ込むと、貧困にも物質的な貧困と精神的な貧困があることに思いが至ります。皮肉なことに便利になって〝豊か”になると、今度は〝幸せ”が簡単には分からなくなります。空腹を満たして幸せになるあのパンが無くなってしまうのです。先進国に多い自殺や現代型のさまざまな新しい形の殺人(苛めやインターネットや鬱などと関係する一連の〝殺害”など)がそのことを表わしています。大きく言えば男性の女性化とかY染色体の退潮(?)とか少子化なども大きな意味ではそれらと関係している概念です。

これは戦争とは関係のない話かも知れません。でも人間の社会的営みとして行う社会現象の根っこにそういうものが存在することは確かです。民主党が勝って自民党が大敗した現象と今回の自民党の大勝も一種の政治的戦争であり、個々人の利益を追求する個のエゴがベースになっているわけです。

いずれにしても、父親の事を考え戦争の事を考えるとき、このような〝一種の屁理屈”を吹っ飛ばすものに気付き、頭で考えることの持っている虚しさにいつもぶつかります。

それは「体験」です。

結局のところ自分が身をもって経験して感じたことを自分以外の人に伝えることが如何に不可能で、その努力が如何に無意味であるか、ということを思うのです。本質的に血縁も夫婦も親友もそれを助けてくれる訳ではないことは経験で知っています。

普通に生きてきた体験(「普通に生きてきた」などという言葉もあり得ませんが)でも伝えられないのに、ましてや「戦争」という哀しいほど現在の日本では形而上的概念になってしまった体験をどう理解できると言うのでしょうか。

数々の戦争の歴史の中で戦死した何億という人たち。その体験を継承して何かが変わったということが本当にあるのだろうか??  諦観の境地に逃げようとする違う形のウソ臭さにも気付きながら、今日という日を過ごしています。



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Posted on 2013/08/15 Thu. 18:20    TB: 0    CM: 0

久々の30キロ超え 

昨日は音楽三昧。クラシックのカルテットでバッハにチャレンジ。何時間吹いていただろうか・・ 最後まで全員脱落しないで縦ラインが合っただけで感動するところがバッハです。バッハはやはり偉大なり、と改めて思った次第。

今日は自転車の日。雨が降ってきてもおかしくない空模様で南西の強い風に難儀しましたがその分暑さも大したことがなく少し距離を出せました。2時間半で30キロ達成。さすがに足腰にダメージが残りましたが、良い汗でした。

葛西公園
(雲に隠れなかったスカイツリーと観覧車)

風とかもめ
(強風だと飛べないかもめ。風上に向いている。)



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Posted on 2013/08/04 Sun. 22:24    TB: 0    CM: 0

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