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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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音楽に罪はない 

佐村河内紙の詐欺事件(?)が大きなトピックになっています。以前このブログで触れたのでとても気になるニュースです。

最初にこの話を聞いた時にまず確かめなければならないと思ったのは、僕が彼のCD(「シャコンヌ」)を聞いた時に心を動かされた中にどの程度彼の紹介に見るそのサイドストーリーの影響があったのか、ということです。今そのCDの中の〝ヴァイオリンのためのソナチネ嬰ハ短調”を聴きながらこれを書いています。

正直に言って、妙に懐かしく背伸びをしないで聴ける心地よさを感じます。ロマンチックで安定したどこかで聴いたバロックからロマン派後期の落ち着いたBGMとも言える。甘くて安全な音。

ところがその次の曲、「弦楽四重奏曲第一番」の第一楽章はガラッと曲想が変わり、先入観なしで聴けば同じ作曲家とは思えない無調性音楽のよう。そして確かに驚くのはこの第二楽章の出だしがまた相当ロマンチックでまったくカラーが違う曲想で始まりさらにその途中から極端な無調性に変化する。

この2つの曲想を同じ人が特に同じ楽章でつなげていることは相当違和感があると感じたことを思い出しました。その時にはその〝不連続”を彼の特殊性とか聴覚障害などの影響による〝精神世界のダイナミズム”のよう勝手に解釈していたように記憶しています。例えば武満徹のノヴェンバーステップスとバッハ風映画音楽がくっついているような違和感というようなものです。

そう、こうして今回のニュースと併せてみて自分の感じ方を分析してみると、彼のサイドストーリに関する知識がなかったらこの不連続に関する違和感を自分に説明できなかったと認めざるを得ないと思います。

でも、しかし同時に各種の曲想をかように展開できる技術にはやはり脱帽するものがあります。

これらの曲想を佐村河内が言葉で語ることでプロデュース(?)し、実際にそれを音大の講師が「曲」の形で作品にしたという説明にはそれなりに説得力があることも事実です。

作曲の技術には明らかにプロとしてのスキルがあると思います。でも佐村の情熱と表現欲(?)がなければこの作曲家がこれらを書く動機を持ったかという点にも思い至ります。技術だけで書けたかと。

さらにこのサイドストーリーを利用し、かつ強調してビジネスにしたメディアやレコード会社に少し嫌悪感を感じる部分もあります。

今回、自らも美談を見つけ、意味付けの中で曲に心を寄せた部分があることと、そういう自分と同じ要素がビジネス世界の中で「芸術」を作り上げる人間の〝業”のようなものを感じました。

そう、音楽に罪はないんです。彼の(?)曲でソチを滑る高橋大輔選手を益々応援したくなりました。




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カテゴリ: プライベートブログ

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Posted on 2014/02/07 Fri. 00:35    TB: 0    CM: 0

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