大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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幸せということ 

今日は春の気配を感じさせる暖かさだったのに明日は10度以上も下がるそう。三寒四温とはよく言ったものです。

この週末は孫に正月以来の再会で一日が過ぎ、音楽の練習で二日目も終わりました。孫は1歳半を過ぎ少しコミュニケーションができるようになってきたせいか、人間らしくなってきた・・・

20150115.jpg


相変わらずイスラム国(HNKは「国」という呼称をやめたみたいですね。正しい姿勢だと思います。)関連のニュースが続いていますね。

ヒューマニーズでいろいろな〝パーソナリティー・アセスメント”のツール開発を進めているのですが、今先進国を中心にいわゆる「IQ」ではなく「EQ」にフォーカスして人というものを考えて行こうというものが主流になっていっているのを実感しています。

EQは〝Emotional”から来ています。つまり「心の知能指数」と言う様な概念を大切に思うトレンドです。「人」は理性と合理性ではなくむしろ感情や情緒に基づいて行動するのに、それを一段低いもののように考えてきた近代の歴史が背景にあるのではないかという考え方です。

連日報道されているイスラム国関連の凄惨な事件の原因はたぶん人の「怒り」なのではないかと思っています。将来への絶望、貧困などで壊されていくプライドが生じさせるとても強い怒りがその出口を探しているのではないかと。

人は得をすると考えている範囲では理性的な判断を尊ぶフリができるのですが、そうではない時にはもっと荒い感情に支配される。一見理性的な判断をする「大人の国際社会」とは別の、国境によって分けられないこの怒りというエネルギーを感じます。

ISというテロ集団の事件が起こるまで、民族や宗教という軸による争いが国際社会で続く戦争の原因と簡単に考えていましたが、もっと人の深いところにある心の作用のようなところに目を向けなければならないと思えてなりません。経済とか政治とかの「社会的な大人の尺度」が役に立たないところに来ているような気がします。

週末はバレンタインでしたね。息子のお嫁さんと娘からチョコレートをもらって、自分の幸せに罪悪感を感じながらそんなことを考えていました。本当に最近のチョコレートは一段と綺麗ですね。幸せで申し訳ない気がします。
僕には語る資格がない?

バレンタイン1 バレンタイン2
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Posted on 2015/02/16 Mon. 23:10    TB: 0    CM: 0

友との再会と友情の再開 

先週は雪の舞う東京からの名古屋への出張。新幹線の遅れを心配したけどまったく影響がなく拍子抜けでした。今年は同じパターンがこれで2回目。狼少年にならなければいいのに、と今後の天気予報が少し心配。

マイランドの不動産の視察で名古屋駅の西側を歩きましたが、駅の東側はあれだけビルの建築が続いていて活況を呈しているのに何故か西側は時が停まったままのよう。とても大都市の駅前という感じではありません。仙台なんかもそんな感じがするのですが大都市のターミナルでも左右で発達度合いが随分違うことに不思議な思いがしました。

ホテルは久しぶりに高い場所の部屋で、すこし苦手の高所感が・・

名古屋マリオット 
(翌朝は快晴。41階のホテルの部屋から駅の東方向を望む。)

それはそうと、先週末の日曜は予定通り3人で高校の同窓会。長く止まっていた互いの時計を合わせる再会になりました。

S君&F君

ひとりは悠々の早期引退でゆったりした人生にギアチェンジ。時の流れをエンジョイしている姿に少し嫉妬。もう一人は船の設計が専門の現役で今も新しいフェリーの建造中らしくあまり知らなかった「船」の話で盛り上がる。

その中で、フェリーに設ける自転車置き場、「輪行スペース」というのが面白かった。何となくゆったりした乗り物どうしの相性の良さや広々とした海原に吹く心地よい風のような話でした。

昼間のお酒のせいかもしれないけど、停まっていた時がまた一緒に動き始めました。船と自転車のようにゆっくりしているかもしれないけど。

次はいつ再会できるでしょう。また時が止まる前にとの約束。

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Posted on 2015/02/08 Sun. 21:51    TB: 0    CM: 0

ひとりの日本人が残したもの 

後藤さんの残念なニュースが入ってきましたね。

このところ連日報道されていたニュースですが、このニュースをどう受け止めたらよいのか自分の中で整理がうまくできません。そのことが気になってブログを書いています。

「人道・非人道という軸」や「テロに断じて屈しないという理念」。この2つのことはどう議論しても今回の事を理解するのに何の役にも立たないでしょう。

きっと、「日本としてどう対処していくのが国益にかなうのか?」とか、「なぜ後藤さんは危険を犯してまでイスラム国支配地域に入ったのか?」というようなことを考えなければ今回のことへの気持ちの整理はできないのでしょう。

もし自分にとってかけがえのない人がこういう目に会ったら自分はどうしただろう、どんな気持ちになっただろうか。そういう気持ちがまずあります。そして同時に、安倍首相は何をどの順番で考えて行動していたのだろう、ということも思いました。前者は自分をとても暗い気持ちにさせ、後者は自分を評論家にさせました。

よく「他人ごとだから」と言います。被害者と加害者とそれ以外という区別で言えば他人とは被害者でも加害者でもないということで、その状況であれこれ言うことに少し罪悪感があります。政治家が加害者という論点も今回は相当ずれていますね。

でも「自分ごと」というのは自分にとってはきっと〝ニュース゛ではないんです。なぜなら他人に説明できないからです。

後藤さんの今までの発言がいろいろと紹介されています。戦場の子供たちへの寄り添いという形で平和とか人間への希望を行動で示したという風に感じます。

残念ながら人類の歴史上、戦争が絶えたことはありません。今この時も世界中で殺し合いをしています。にもかかわらず人間という存在に「善」を見ようとする勇気を持ち続けたその力に感服する自分がいます。否、戦争が絶えないから希望を持ち続け得たのかもしれない。

絶えざる「意思」がその行動に繋がったのだとしたら、それに頭(こうべ)を垂れる以外にない。それがどれだけ本物で強かったかという証明ができているようにも思います。それが彼の信仰によって支えられていたとするなら謙虚に宗教の力の大きさを思います。それがどれだけ楽観的であってもです。

イスラムも宗教ですよね。だから宗教の定義を、人間が平和を希求するという希望を信じる力だとするなら、「イスラム国」と「イスラム」は真逆であることを示しています。でもどちらも人間が信じ行動しているもの。宗教とカルトの違いですか?

後藤さんの死は多くの人に、それぞれ違ったメッセージを残したことでしょう。
僕にとっても、彼の死はこれからも記憶に残る強烈な死に方だったと思います。



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Posted on 2015/02/02 Mon. 23:00    TB: 0    CM: 0

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