大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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エアバス事故と赤とんぼ 

先日、仕事の合間に親のご機嫌伺いに急ぎ足で尾道に帰ってきました。
いろいろありますが両方息災でありがたいことです。

父親は特攻隊の生き残りで、最近は機会があるといろいろ当時の話を聞くことにしていますが、ちょっと驚いたことがりました。

家に通称「赤とんぼ」という複葉機の模型があったのですが、そこにあった機体番号が父親が最後に乗った(そして突撃前に終戦になったのですが)飛行機のそれだったのです。どこかのクラフトショップで見つけて驚いて買ったのだとか。

赤とんぼ   赤とんぼ(番号入り)

これはもともと練習機です。百田尚樹の「永遠の0」などからのイメージで特攻隊に使用された戦闘機はいわゆる零戦だったと言う様なイメージですが、戦争末期は使えるものはすべて使う戦いだったことがわかります。この飛行機に爆弾を付けて多くの仲間が南の海に散っていったのです。父親も4日終戦が遅かったら、そして上官が攻撃命令を止めなかったら死んでいたということです。

父親にとってこの体験は一生を決める大きく重大な経験だったようです。そりゃそうでしょう。
今の日本の平和な環境では想像もつきません。
でも中東やアフリカで起こっている自爆テロは、彼らにとって、すぐそこにある現実です。

それはともかく、この番号が何故この模型についているのかはわかりません。
偶然にしては出来すぎていて気味が悪いくらいです。

この話を書いたのは、フランスでのジャーマンウィングス社のエアバス墜落の事故があったからです。
パイロットの自殺行為に多くの人命が巻き添えになったというからショッキングな話です。

メンタルへルスの仕事をしていることから自殺ということに大きく反応してしまいますが、社会的に言えばこれは殺人と言った方が適切です。自殺が駄目なのは、周りの人に与えるダメッジを無視する身勝手な行為であるからと言う言い方を良くします。カトリックでは、自殺すると絶対に天国に行けないと言っています。殺人より罪が重いという考えもあります。

今回の墜落は自殺でもあり殺人でもありますが、宗教的な問題ではなく、純粋に殺人行為としてのインパクトの大きさに驚きます。現象としてはいわゆる自爆テロに似ています。

でも心神耗弱状態による巻き添え殺人という要素は、行為能力という壁に突き当たり、法的な意味の殺人として裁かれない可能性があります。その場合の被害者の家族の怒りの矛先がどこに行くのか?

特攻隊での死も自殺であるとは言えないだろうか?
国策による洗脳の結果での自殺と言ういい方も出来るかもしれない。
では戦争と殺人は何が違うのであろうか?
脱走は正義なのか?
エアバスの副操縦士の罪は?

飛行機という密室空間の怖さとか、減速しないで降下して行く窓から見えるものとか、本当に想像すらできません。

死んでいった父親の仲間のことを考え、そして今回の殺人行為の原因を考えています。
理不尽と言うにはあまりにも無慈悲な事件です。
被害者の方の冥福をただ祈るしかありません。





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Posted on 2015/03/28 Sat. 16:02    TB: 0    CM: 0

若さと無知の力 

先週は会食が連続したせいか胃腸を壊してしまいました。無理がきかないですね。
やっと週末になって食欲が回復。馴染みの店で春を少し味わってきました。久しぶりで美味しかった。
和の世界は深いなあ。
hotaru1.jpg hotaru2.jpg

先日の日曜日は2月22日でした。随分昔のことですが、若かった頃のことを考えているうちにその日のことを思いだしました。その日とは1982年の2月22日です。もう33年前のことになります。
霞んで見えないくらい遠い昔の一日ですが、いろんな意味で僕を飛躍させてくれたマレーシア駐在が開始された日なのでよく覚えています。

1982222_20150301233530a84.jpg
懐かし写真を探したらいくつか出てきました。それをスマホで撮ったので少しボケていますが、この写真は成田空港でマレーシアに駐在する僕を家族が見送りに来た時の、29歳の時の写真です。

その時は3年間と言われて旅立ちましたが、結局その倍の6年になりました。約束というのは反故にされるものですが、マレー半島中央部のジャングルの中に高速道路を作る仕事ですから、最初から6年と言われたらきっと腰が引けていたと思います。

当時の海外赴任と言うのは〝重大な覚悟″を持ってしたもので、会社の同僚や上司までもが空港に見送りに来たものです。少しの誇らしさと不安を読みとられないように虚勢を張っていた気持を思い出します。今の海外赴任とは随分違いますが、あの高揚感というのはそれなりに懐かしむ価値があります。

マレーシアへの直行便はまだなくて、台北ー香港ークアラルンプールという長旅でした。最初は首都のクアラルンプールにいましたが3か月くらいして山の中に移りゼロからの現場の設営でした。工事が完成したあとクアラルンプールに移り法務や行政との折衝。そしてその後はペナンで建設したホテルのトラブルシューティング。結局最後は会社を閉鎖して帰国。最初のひとりであり、また最後の一人として残ったことになります。双発のプロペラ機に乗って去っていく社員をひとりひとり見送るあのローカル空港の匂いと、その時の自分の寂しかった気持を良く覚えています。

今から思うとこのマレーシアでの6年は、その後の僕の人生の基礎を作ってくれました。ろくに苦労もして来なかった僕を少し大人にしてくれた6年だったような気がします。本当に全てが新鮮で謙虚になれた。勉強させられました。

日本の常識が通用しない驚きの世界があること
何でも一から作らなければない世界であったこと
人には必ず善と悪の両面があること
中途半端な善意は悲惨な結果を招くことがあること
電気がない世界は本当に孤独で怖い世界であること
自然と争うとろくなことがないこと
日本人の美徳とその器量の小ささのようなもの

枚挙に暇がありません。その時はそんなことは考えられずただ目の前のことに夢中でした。そして振り返って思うのは、“若さとか無知”は本当に大きな力だったということ。

蚊に悩まされ、水は煮沸して飲む。ドアは2重で鍵の数が凄い。ヘビが家に入ってくるのでガチョウと犬を飼っていて、植えたばかりのパパイヤが3カ月で実をつけ、そしてそれを大きくし過ぎて自分で倒れてしまう。種をまき散らして鳥がそれをついばんで運んで行く。

困ったことだらけだったけど、スコールの後の涼しさと高い空。そしてドリアンの匂いと、あのどうしようもない蒸暑さが懐かしい。

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Posted on 2015/03/02 Mon. 00:41    TB: 0    CM: 0

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