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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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記憶と記録(2) 

さっきまで、昔勤めていた会社の後輩たちと酒を飲んでいました。12年振りに合う人も居て、時の流れの速さや、これからまだ何十年も働かなければならない、というような話をしていました。互いに変わってないね、って言い合っていましたが、皆を知っている第三者が見たら皆年齢を重ねていることでしょう。

話題の中に、記憶と記録の話がありました、先日のブログで震災の現場で見つかった写真の価値が如何に高いかという話をしました。でも今日そのはなしも出ましたが、やはり”全てを失った”中での写真であることが重要なところです。写真の中にしか残っていない想い出の愛おしさです。

でも一般論で言えば、例えばデジタルの記録、当社でも気を使うものの一つにバックアップというのがあります。
記録の対象は何らかの人生でもないし、そもそも誰のどんな価値があるものかも解らない「名前と個性」のない大量のデータです。

こういうものはそもそも「記憶」の対象にはなりません、だから乱暴に記憶と記録を比較してはいけないということに気付きました。しかし、こういうものではない、もっとアナログでオーガニックなもので比較したときはやはり話が違うだろうと思うのです。

記録を取るのは簡単です。でもそれを役ただたせるのは大変です。生きて行く限り、仕事をする限り、幾らでも記録の量は増えて行きます。そして多くの記録は二度と見られることすらないのです。

同じことかもしれませんが、記憶も蓄積されていくものではありません。新しいものを覚える為には古い記憶を捨てて行っているという説もあるのです。

とにかく、人は何歳まで生きていくのだろう、祖父の「記憶」なせいぜい孫かひ孫までです。文字や写真のような「記録」でも読まれたり見たりすることさえないかもしれません。

そう考えると、記憶だろうが記録だろうが、その人を愛おしく想い、必要と思い、影響を与えられている「今」そこに居る人・仲間・伴侶・友人・・・そういうものの血が通った実態がやはり全てなんだと思います。

それがたとえ厭なやつでも、記録や記憶より鮮明に同時代と同じ空気を吸っている近い存在なのです。そしてそれらと一緒にいる時間が「生きている」時間なのでしょう。

今日久しぶりに昔の仲間に会って、その時代の自分やその時考えていたとを思い出しました。でもそれは皆がまだ生身に存在していて同時代を生きているから、しっかりと思い出せ、語ることが「今」だったんです。

決して「記憶」でも、ましてや「記録」ではありませんでした。

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カテゴリ: プライベートブログ

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Posted on 2011/05/15 Sun. 23:55    TB: 0    CM: 0

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