大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの社長をしている 大谷光彦のブログです。

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密教と樹木葬 

先月のことですが、まだ雪の残る山形は天童のあるお寺に行ってきました。山深い真言密教のお寺です。
理由は、友人がやろうとしているある計画を手伝うためでした。

いま巷では身寄りがないまま死を迎える人や家族との関係を絶ったまま死を迎える人が大勢います。そういう人が安心して現世から旅立っていけるようにその後の供養をしてあげるNPOのようなものを立ち上げようというのがその計画です。お墓をひとりひとり用意して供養するにはお金がかかり過ぎます。だから樹木葬のような形でお寺の敷地を借りて長い間供養するよう形なら本当にひとり数万円程度でその願いをかなえてあげられるのではないか、と言うようなものです。

雪の樹木葬   護摩行
(雪に覆われた広大な敷地ー          (護摩行に参加ー
     ここなら樹木葬ができるかも)       途中から空気が変わっていきました)
     
話は少し変わりますが、私の父が、私の郷里の尾道で、もうかれこれ20年くらい主催していた「生と死の会」というボランティア活動をこの3月末で終了することになったと言ってきました。お医者さんのグループやカトリックの修道院などとタッグを組んで、ホスピスで旅立つ人の世話をしたり、在宅障害者のところに行って食事の世話などをしていました。本人は今年米寿です。会報を出したりいろんな連絡をとったり、本当に先頭に立ってやるのは流石に骨が折れるみたいで、後継者になるリーダーもいないこともあり、ついに活動を終了させることにしたようです。

先日のブログとも繋がるのですが、1万年先は知りませんが、どんなに科学が発達しても人間は1000年生きられるわけではありません。IPS細胞がどんなに長寿をプレゼントしてくれてもです。ロポットや人工知能が、人が多くの「仕事」をしなくてもよい世の中にしてくれても、それだけで幸せになれることはないでしょう。

このことはきちんと考えなければいけないことだと思いますが、それは、人間だけが知的生物として「死」というものを考え、感じ、それに時には謙虚になり、時には不遜になり、そしてそれを受け入れようとすることによって幸福感の中で死を迎えようとするものだからなんだと思っています。

宗教や哲学という形而上学の存在意義はそこにしかないように思います。実学のように役に立つわけではないけど、存在した方がよいと思われる理由は唯一そこのところではないかと。

最近文科系の学科を減らす動きがあります。実学ではない学問の価値を積極的に認め、「人の営み」がそれを必要とするということに気づかない社会になろうとしているように思います。実学でない学問は、だからと言って決して虚学ではない。

教養という言葉はintelligenceと訳すのですかね?知性とか情報というニュアンスとは少し違いますよね。Cultureの方が近いかなあ。

まあ、民度と言ってもよいかもしれないけど、国民とか民族とか社会の感情も含めた知的レベル、いろんな価値を本当に理解して優先順位を付けながら生きていける力。公の価値と私的な価値の区別、民主主義の意味、人として大切な事柄への共通理解というか、、、

僕たちの出来る事は本当に限られていて、また僕自身本当にしたいことがまったく出来ていない。その入り口にも届いていない。
父親の姿を見ながら悲しくなり、また焦りながらそんなことを思っています。

樹木葬のことはこれからです。でもそんなことも互いに考えながらしなければならない時代になっていることは確かです。

最後に、護摩行のことですが、とても興味深かったです。学生時代に建長寺に入って臨済宗のことは少し垣間見たつもりです。基本的には「静」の修行でした。自分を静かに見つめるための禅と言う名の瞑想、煩悩を静かに殺していく一汁一采の精進料理、体を養ってもらっていることを自分に教えるための托鉢、、、  ところがこの密教というのは随分アクティブであり、行動主義であり、「動」であり「陽」であるような宗教です。この護摩行は1日に8回もするとか。1回1時間はかかるのでどれだけ体力と気力が必要なものか。力で悪を排除し、体力で課題を克服する、、、 勝手な解釈ですがそんな世界のように思いました。原始仏教に近いのかもしれない。

静かに考えることをまだ許してくれない日々ですが、こう言う動的な世界に積極的に関わっていかなければならないと教えられたようにも思います。でも護摩行の後の禅ですぐ腰が痛くなった。軟弱な現代人にこんなことを考える資格があるのか、、そういう結論に落ち着いたみちのくの旅でした。
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カテゴリ: プライベートブログ

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Posted on 2016/04/10 Sun. 18:26    TB: 0    CM: 0

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