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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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続トランプ大統領雑感 〜ノーベル賞・ゴーン元会長で考える日本の民度〜 

先日トランプ大統領のことを書きました。あれから2週間ほど経ちますが、またマティス国防長官を解任というニュースを聞き、彼があくまで「トランプ」であり続けていることにある意味ホッとするという不健全な気持ちを持つと同時に、ここのところの株の暴落などにみる世界経済の不安定さは、トランプを初めとする各国の自国閉鎖主義がその原因のひとつであると思うし、考えたくはないけれど先の2つの大戦前夜を連想してしまう年の瀬になってしまいました。

前回のブログで本庶先生のノーベル賞とゴーン元会長の今回の刑事事件がこのトランプ大統領のことと関係があると言いましたが、ちょっと今回はそのことを考えてみたいと思います。

まずのノーベル賞のことから。今までのノーベル賞の受賞者は圧倒的にアメリカ人で、多くは西洋先進国の人です。アジアでは日本がダントツのトップで、当然日本人の優秀さを誇っても良いと思いますが、これから先はどうだろうと考えてしまいます。その理由は、個人責任文化へのシフトが不十分なまま“短期での成果を求めることで無駄をなくそう”という考え方が進んでいると思うからです。日本人がなぜ優秀か、というのは日本の民度が高かったからで、それは日本の個人の評価というものが近視眼的ではなかったことと関係するのではないかと思っているからです。今の日本の方向性は外資系などにみる西洋文化の中で形成された評価制度のような考え方を学問や研究開発にも当てはめようという風潮が感じられます。

これは日本が貧しくなってきていて、「効率」の定義を昔のような尺で考えられなくなってきたからです。このことは経済的なことと関係がないとは言いませんが、実は経済力と国力を連動して考えること以外の日本固有の価値観・価値基準が衰退しているからではないかと。これは資本主義やグローバリズムへの適応ニーズがもたらす負の効果といって良いし、今必要なのはいわゆる「リベラルアーツ」を軽んじる風潮(価値観の貧困化)への警鐘です。

時間をかけて育むことでしかできないことは匠の世界から夫婦の愛情に至るまでこの世の中にたくさんあります。それは人がオーガニックにしか成長しないということだと思うからです。そういう価値観をもつことに今我慢が必要とされるようになってきて、その我慢ができるには経済的なゆとりが日本の社会からなくなってきてしまった。会社の経営、教育、研究開発、子育て、家庭、文化など枚挙に暇がありません。この問題はデータエコノミーやAIによる新たな水平線の中で人間の存在価値をどう考えるかと言うこととも表裏一体のテーマです。

トランプの「短期決戦型勝利の法則」の欠陥とこのことは根っこが一緒。世間が我慢する価値を文化として失ってきて、民主主義はポピュリズムという欠点を通じてそれに便乗する人物を指導者にする。大きな成果には時間と失敗は必要で、文明を画期的に進化させるような発見はその何千倍もの失敗や無駄があり、それを許容する文化が無くなってきたように思います。

もうひとつのこと、そう日産のゴーンさんのことです。これはノーベル賞で議論した話の裏返しで、日産を再生させた傑出した能力をもつ人物が落ちた墓穴の話とも言えるし、日本人(この場合特に社員)が寄ってたかって突出した異質な外国人に対して持っていた不満感を解決し溜飲を下げようとする意図が隠れている行為とも言えると思うのです。突出した強さや能力を持つリーダーを求めつつも同時に皆があまり差を持っていないことに居心地の良さを感じる日本的社会主義(平等主義)の矛盾です。

トランプの場合は、庶民の屈折したヒロイズム礼賛のエネルギーがその正当性の裏付けとなっていますが、ゴーンの場合はどこか用済みと判断した狡猾な集団意識を感じたりします。検察が起訴する背景の話で具体的に日産の現経営陣がどういう動きをしたかは知りませんが、日本人経営者ではゴーンのような人物はなか現れなかっただろうし、あの時点であんな成果をだせる人は他にいなかった。その代りにあのような疑わしい背任系の行為もしなかったし、訴追されるような事態にはならなかっただろう。

僕は随分海外との関わりの中で仕事をしてきましたが、やはりトランプ大統領とゴーンさんは米国人とヨルダン人(と言ってよいかは?ですが)であり、本庶先生は日本人だとつくづく思います。いずれも優秀で突出した能力を持っているので普通の人ではありませんが、能力の基盤とその表れが違う。大切なことは数字などの客観性・中立性のある尺度は、時間の幅をどう考えるかということが重要だし、時間によって成果が違うことは環境がどこまでそれを許容できるかという問題でしょう。厳密主義は大きな成果を得られないことは歴史が証明しているし、効率が良いとは非常に難しい注意を要する言葉だと思うわけです。

なんか居心地がよくない年末ですね。歴史はこの平成最後の年をどのように評価するのだろう。
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カテゴリ: プライベートブログ

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Posted on 2018/12/25 Tue. 17:37    TB: 0    CM: 0

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