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大谷光彦のブログ

㈱ヒューマニーズの会長と一般社団法人組織・人能力開発研究所の代表理事をしている 大谷光彦のブログです。

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哲学的なバルザック? 

一昨日持ち帰った仕事を終え、昨日は昼に上京してきた娘婿の両親と会ったのち夜は友人と約束していた会食で蕎麦を食べ、あっという間にこの連休も特に何らかの成果も残さず慌ただしく過ぎようとしています。今日は連休の谷間の真空的一日。それで気になっていた植物のことから、何故か放置していた池田晶子の「41歳からの哲学」を手にとって読んでしまいました。

左はウンベラータという植物で、葉の形が実に美しく、のどかな昼下がりに楽観的で明るい空間を与えてくれるとても気にいっている一鉢。右は会社で死にかけていたのを持ち帰って何とか再生を願っていた蘭で、今年立派な花を付けてくれた一鉢(正確には2種類をひとつの鉢に入れています)。そして動物代表としてうちのバルザック君。もう早いもので14歳です。

ウンベラータ   蘭
IMG_1378.jpg

蘭は生命再生の成功例ですが、ウンベラータは葉が黄色になり明らかに様子がおかしい。育てるのが簡単だと言うので買ったのに。近くに住む“植物おたく”の息子に相談したら根腐れではないかと言うのでこれから鉢の交換をしようとしているところです。14歳になったバルザックは虚ろに空間を見て過ぎす時間が増えてきました。相変わらず愛くるしいこの子にも確実に老いが近づいてきています。

子供が育って親としての社会的役割が終わってしまうと、「仕事」をする理由として安易に説明できた「家族のため」というのも無くなってしまう。家族を最初から持っていない場合は常に”それを生きている”ので、こういう「潮目」はないのかも知れませんが、一旦家族を持ちその上で仕事をしてきた者としては、こういう連休には内省的なことを考えてしまうことが多い。俺は何をしているのか、と。

前もブログで池田晶子のことを書いたと思いますが、2007年に47歳の若さで亡くなった哲学者で、彼女の「14歳からの哲学」は子供向けの本の域を超えた名著でヒットしました。植物と命ということからまた今日また池田晶子を読みたくなって、本当に久しぶりですが、一度手にとって止めていた「41歳からの哲学」を読んでいました。

“物事を突き詰めて考えるのが好き”といういい方をすることがありますが、正確には”考えてもいないまま発言することが多い自分が厭”、というのが正しいのではないかと思っています。それは非常にやっかいで周りから嫌がられる性質です。上記の「社会的役割」などと言う言葉も、一種の逃げであり、だれも僕にそんなことは期待していない可能性が大きいわけです。

哲学というのは結局「死」について考えることです。死は究極の平等であり、死を避けられないというのは生物がどうしても受け入れるしかない事実です。でもこのウンベラータも蘭も死の事を考えません。もちろん動物であるバルザックも考えません。考えなくても死にます。

人間だけが死を恐怖として捉え、それ身構え、そして保険をかけ、医学を駆使して逃れようとする。でも死んだ人間と話はできないし、死が恐怖すべき怖いものなのかその証拠もないのになぜそうなのか、池田晶子はそう言います。彼女は死を恐怖していなかったようだし、自分を敢えて言えば地球ごと客観ししていたようなそんな無機質的冷淡さと言うか、鈍感さと言うか、孤高さというか、そんなものを持っていたように思います。小林秀雄が師であったと言うだけはある自己客観視力は半端ではないように思います。

羨望を覚えると言いたいのですが、自分はそうではなくて良かったと思っています。

人はそれぞれ違ったパーソナリティーを持っています。でも「現実」は大勢の人の観念によって作られていて、その「観念」の集合体を常識と言います。自分の観念というものをそれと切り離すことは容易ではないし、実際その切り離しに意味があるのか、から考えなければならない。

ウンベラータと蘭とバルザックには観念がなくて、ただただ僕が育てたいと言う自分勝手な欲の対象になっているだけなのです。でも、否、だから、はるかに彼らの方が幸せではないかと。少し暇であることは僕にはむいてないのかもしれないですね。こんなことを考えて幸せになる人間なんていないだろうから。。

カテゴリ: プライベートブログ

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Posted on 2016/05/06 Fri. 16:31    TB: 0    CM: 0

本社の引っ越し 

やっと今日、連休らしい緩んだ一日を過ごしています。
実は先週末本社を新宿に引っ越しました。僕は出張中だったので、昨日が僕の初出社でした。
新宿ガーデンタワー    泉GT
(新オフィース:             (ありがとう、六本木1丁目)
4月1日完成の新築です)

旧オフィースがあった六本木一丁目と言う外資系金融っぽい、僕なんかの田舎育ちの人間にはもうひとつ生活感のない街に少し疲れていましたが、今度は最寄駅が高田馬場という、思いっきり昭和感覚の街です。オフィースは新しいのですが街の味わいは全く異なる真逆の世界です。
偶然どちらも29階になってしまいましたが景色がまったく違います。しばらくは戸惑うと思うけど少し時代を戻って行く感じです。
気取って言えばとてもオーガニックな街、逆に言えば時代に取り残されていた街。この2つは同じ意味でもありそうです。

振りかえってみればサラリーマンをやめてからのこの15年、本当に目まぐるしい変化だったと思います。本社の場所だけでも、丸の内から品川へ、品川から日本橋、日本橋から六本木、今回新宿に移ってきました。非常にグローバルな資本の影響を受けたり、不動産業と兼務したり、僕自身本当に慌ただしく過ぎた15年でした。

これからは少し落ち着いて、スローでかつドメスティックな、自分達らしさをしっかり考えた質の高いサービスを、そしてこれからの顧客ニーズにマッチしたサービスを追求していきたいと思います。自分らしさって難しいけど、答えは外にはないことに気付いています。

そう、会社の仕事がますますオーガニックな方向にいくんだろうなと思っています、人工知能にはできない仕事を目指します。
そんな仕事が本当にあるのか、と疑いながら。

今後ともよろしくお願いいたします。

カテゴリ: 社長ブログ

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Posted on 2016/05/03 Tue. 15:47    TB: 0    CM: 0

新井貴浩2000安打に見る昭和の青年と広島の健全な劣等感 

カープで始めるブログはいかにも能天気で自分の弱さをさらけ出すようで嫌なのですが、その誘惑抗し難く失礼します。

新井2000本

そう、年俸2000万円の新井貴浩が2000安打を達成した神宮でのカープ勝利の話題です。一度は敵になりカープファンからブーイングを受けた彼が、また戻ってくるという節操のなさでしたが、このカープファンの拍手喝さいを見るにつけ、野球選手と言えどもはやりパーソナリティーの重要さと言う事をつくづく思った次第です。阪神から1億円の減俸を言い渡され、自由契約を申し出て古巣に復帰と報道されています。まあ帰ってくる方も方ですが、受け入れる方もなんと言うか、、、この世知辛い世の中、実に良い話だと今日は思った次第。

本人のキャラクターと広島カープの文化がマッチしているんだと思います。シンプルで純粋で「昭和の青年」のような人間と言うと誉めすぎでしょうが、とにかく単純な人間でなければ地道に青春を毎年続けられないだろうなあって思います。天才肌ではない謙虚さが時間をかけて作った記録というか、、、広島という、高望をしない「健全な劣等感」とその田舎臭さがやっぱり性にあっているんだろうと思います。

天才清原と比較して考えてしまいますが、とてもさわやかさで気持ちのよい「青年新井」の2000本達成でした。
25年振りの優勝頼みます!

カテゴリ: プライベートブログ

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Posted on 2016/04/26 Tue. 23:38    TB: 0    CM: 0

認知的成熟・・・当事者と非当事者の境界線 

九州が大変なことになっていますね。熊本や周辺の知人に安否を確かめるメールやLINEを送りましたが、幸い何とか無事のようです。でも今回の地震は、少しずつ収束するという一般則が通用しないタイプのようで、不便は当たり前としても、先の読めない大きな不安を感じているようです。どんどん周辺に震源地が拡がっていて、またさらにより大きなものが襲ってくるという恐怖を感じているようでした。

活断層型の地震が場所を変えながら連続してまるでドミノ倒しのように発生している。列島の地下深くに大きな力のアンバランスが生じているのかもしれません。動いている地球の上で生活を営んでいることを改めて実感しています。
が、そう批評家のようなことを言っている場合ではないですね。何ができるんだろうか・・・

こう言う災害のときの対応にはいつも迷ってしまいます。心配で安否を確認したくなるのは当然なんですが、本当に知らなければ自分の生活に支障があるような関係と、実は心配していることを伝えること自体が目的になっていることは違うのではないかと。
当の本人はまず自分と家族の安全を守り、その後も不自由な条件の中でなんとか生き抜くことで精いっぱいなはずです。

その場に一緒にいて、同じような被害を共有している人でない限り、その場で苦労している人の気持ちや状況をそのまま理解することなどできないので、やり取りしていてもどうしても気持ちの食い違いが生じます。また多くは、心配していると言うこと以外に何もできない。ボランティアに行っても時期と場所によっては結局食料が必要でかえって少ないものをより奪ってしまい迷惑になる。

だから何もしなくても良いと言う事にはならないんだけど、遠くに居る人ができることって、結局ある程度状況が落ち着いてからでしかできないことがほとんど何だろうなあと。自分の安心と親愛の押し売りにならないような距離感は難しいなあと。

普通の人に出来る事って難しいなあと思います。また本当の身内でない人ってこういうときどういう存在なんだろうか、本当に役にたつ意味のあることって何なんだろうか、自分が被害者である時とそうでない時、その両方に共通する本音に目を向けてしまいます。

好き嫌いは単純な話だけど、善悪や正義は難しい。どんなことにも良い面と悪い面、役に立つ面と迷惑な面、人の為と言いながら実は自分の為にしていることって多い。自分の為にしていても人の役にも立つこともある。こういう事を感じながら考えたり行為できることを「認知的成熟」と言うらしい。

いずれにしても一日もはやく事態が終息に向かうことを祈ります。
やってしまってもすぐ認知的成熟度の低さに気付けるように修行して行きたいと思います。
またいつ自分が被害者になるかもしれないことを考えながら、そんなことを思った風の強い日曜日でした。




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Posted on 2016/04/17 Sun. 16:52    TB: 0    CM: 0

no rain, no rainbow  

まだ「鯉のぼり」まで間があるので”ぬか喜び”の可能性はいつものようにあり、そのことにも十分慣れてはおりますが、開幕して丁度各チームとの対戦が一巡した今日、広島カープが首位に並びました。特に今日の勝ち方は、先発の野村投手が7回までほぼパーフェクトに投げ、2点差という点差が生み出す良質な緊張感を維持してくれて、ジャクソンと守護神中崎が1回ずつ危なげなく押え、絵に描いたような「大人の勝ち方」でした。久しぶりに美しい試合ということで大いに満足の夜でした。しかも球場が、呉市といういかにも広島人しか知らないようなローカルな場所で、ここであの戦艦大和が建造されたということ以外になかなか話題に上らないような“渋い”ところだったので、なんか非常に玄人っぽい往年のプロ野球を味わえたという感じで喜びもひとしおでした。

勝利
(この写真は新聞から頂きました)

まあ、カープのことは僕の最大の弱点(笑)なんですが、なんでこんなことで幸福感や不幸せな気持ちになってしまうのだろうと、本当に不思議です。

今年はエースの前田健太がドジャースに行って、最初の先発試合で勝ち投手、かつ初ヒットがホームランというどう考えても出来過ぎなスタートを切ってくれました。カープファンとして、アメリカで広島カープのレベルの高さ(?)を証明してくれたようで、このことも本当にHappyな話題です。ドジャースと言えば、僕がサンフランシスコに居たとき、野茂がサンフランシスコ・ジャイアンツとの試合で初投球したのを見に行ったことを思い出します。

今日ちょっと話したかったことは、この“マエケン”が彼のブログのタイトルに “no rain, no rainbow” という言葉を使っていることです。これはなかなか深い言葉だと思っていたことを、今日のカープの勝ちゲームでちょっと思い出しました。

この言葉は、終わったばかりのNHKの「あさがきた」のヒロインモデルの広岡浅子がペンネームとして使っていたらしい「九転十起生」という言葉にも通じ、「あきらめない」ということでもありますが、その意味はともかく、英語のこの言葉は“雨上がりの虹”と言うとても美しい情景が浮かんで来ると同時に、レインという「R」の綺麗な響きが2度使われていて、まるで詩のようだなあと思っていました。思いようによって雨はネガティブにもポジティブにもなる。素敵な言葉です。

そう言えば古いJazzの名曲に“come rain or come shine”というのがあることをいま思い出しました。良い時も悪い時もあるということでしょうが、「成るようになれ」ということでもあります。

物事は「思い方ひとつ」。カープだけではなく今年はこの心境でまたいろいろチャレンジしつつ、それを楽しむ自分でなければと思った次第です。


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Posted on 2016/04/13 Wed. 00:18    TB: 0    CM: 0

密教と樹木葬 

先月のことですが、まだ雪の残る山形は天童のあるお寺に行ってきました。山深い真言密教のお寺です。
理由は、友人がやろうとしているある計画を手伝うためでした。

いま巷では身寄りがないまま死を迎える人や家族との関係を絶ったまま死を迎える人が大勢います。そういう人が安心して現世から旅立っていけるようにその後の供養をしてあげるNPOのようなものを立ち上げようというのがその計画です。お墓をひとりひとり用意して供養するにはお金がかかり過ぎます。だから樹木葬のような形でお寺の敷地を借りて長い間供養するよう形なら本当にひとり数万円程度でその願いをかなえてあげられるのではないか、と言うようなものです。

雪の樹木葬   護摩行
(雪に覆われた広大な敷地ー          (護摩行に参加ー
     ここなら樹木葬ができるかも)       途中から空気が変わっていきました)
     
話は少し変わりますが、私の父が、私の郷里の尾道で、もうかれこれ20年くらい主催していた「生と死の会」というボランティア活動をこの3月末で終了することになったと言ってきました。お医者さんのグループやカトリックの修道院などとタッグを組んで、ホスピスで旅立つ人の世話をしたり、在宅障害者のところに行って食事の世話などをしていました。本人は今年米寿です。会報を出したりいろんな連絡をとったり、本当に先頭に立ってやるのは流石に骨が折れるみたいで、後継者になるリーダーもいないこともあり、ついに活動を終了させることにしたようです。

先日のブログとも繋がるのですが、1万年先は知りませんが、どんなに科学が発達しても人間は1000年生きられるわけではありません。IPS細胞がどんなに長寿をプレゼントしてくれてもです。ロポットや人工知能が、人が多くの「仕事」をしなくてもよい世の中にしてくれても、それだけで幸せになれることはないでしょう。

このことはきちんと考えなければいけないことだと思いますが、それは、人間だけが知的生物として「死」というものを考え、感じ、それに時には謙虚になり、時には不遜になり、そしてそれを受け入れようとすることによって幸福感の中で死を迎えようとするものだからなんだと思っています。

宗教や哲学という形而上学の存在意義はそこにしかないように思います。実学のように役に立つわけではないけど、存在した方がよいと思われる理由は唯一そこのところではないかと。

最近文科系の学科を減らす動きがあります。実学ではない学問の価値を積極的に認め、「人の営み」がそれを必要とするということに気づかない社会になろうとしているように思います。実学でない学問は、だからと言って決して虚学ではない。

教養という言葉はintelligenceと訳すのですかね?知性とか情報というニュアンスとは少し違いますよね。Cultureの方が近いかなあ。

まあ、民度と言ってもよいかもしれないけど、国民とか民族とか社会の感情も含めた知的レベル、いろんな価値を本当に理解して優先順位を付けながら生きていける力。公の価値と私的な価値の区別、民主主義の意味、人として大切な事柄への共通理解というか、、、

僕たちの出来る事は本当に限られていて、また僕自身本当にしたいことがまったく出来ていない。その入り口にも届いていない。
父親の姿を見ながら悲しくなり、また焦りながらそんなことを思っています。

樹木葬のことはこれからです。でもそんなことも互いに考えながらしなければならない時代になっていることは確かです。

最後に、護摩行のことですが、とても興味深かったです。学生時代に建長寺に入って臨済宗のことは少し垣間見たつもりです。基本的には「静」の修行でした。自分を静かに見つめるための禅と言う名の瞑想、煩悩を静かに殺していく一汁一采の精進料理、体を養ってもらっていることを自分に教えるための托鉢、、、  ところがこの密教というのは随分アクティブであり、行動主義であり、「動」であり「陽」であるような宗教です。この護摩行は1日に8回もするとか。1回1時間はかかるのでどれだけ体力と気力が必要なものか。力で悪を排除し、体力で課題を克服する、、、 勝手な解釈ですがそんな世界のように思いました。原始仏教に近いのかもしれない。

静かに考えることをまだ許してくれない日々ですが、こう言う動的な世界に積極的に関わっていかなければならないと教えられたようにも思います。でも護摩行の後の禅ですぐ腰が痛くなった。軟弱な現代人にこんなことを考える資格があるのか、、そういう結論に落ち着いたみちのくの旅でした。

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Posted on 2016/04/10 Sun. 18:26    TB: 0    CM: 0

春の嵐と桜と人工知能 

今日は各地で春の嵐が吹き荒れました。京葉線は全国でもトップクラスの“風に弱い”路線で、今日も止まるのではないかと思っていましたが、最近は防風対策が功を奏したのか、遅延程度で済むことが多くなりました。今日も何とか止まらず頑張ってくれました。桜にとっては短い春になったかもしれませんが、緩んだ気温の中で少しざわざわした気持になるのも「春」の特徴かも知れません。
スウェーデン大使館と櫻
(オフィースから見たスウェーデン大使館と桜)

ここのところ人工知能のことが気になっています。
きっと技術の発達が人の存在意義をわかりにくくすることでしょう。
人には力もスピードも計算力も、そしてきっと判断力さえ求められなくなり、求められるのは“あなたの代わりがいない”と言うようなオリジナリティーだったり、創造性だったり、芸術性であったりすることでしょう。他人と同じことをしていても良いような仕事はそのうち全て機械がするようになる。自分が必要とされていると感じられることが如何に難しいことか、残念ながらそういう時代になると思います。

量では測れない価値、効率では評価されない価値、きっと自分で評価できる自信がないものは、そのこと故に存在意義がなくなるという結構恐ろしい世の中になるような気がします。そう、客観的な価値とか比較した優位というものでは幸せにはなれない。
究極の自己満足と言うか、孤高の幸福感と言うか、、  人は進歩するものなんだろうかと。

今でも十分そうですが、人類はこの自分で築き上げた技術の進歩にますます適応できなくなっていきます。生理的な不適応がそのままメンタルな世界での不適応という形で現れます。人間の持っている自己矛盾です。

ISの問題、難民と先進国の問題、さらにアメリカ大統領選で起こっているトランプ現象。これらは全て、人が世の中を、自分の幸せをどんどん感じられないようなものにしていると言う事を表わしているように思います。しかも誰かが悪いわけではない。火に向って飛び込んでいく虫のように、止めようのない知的動物の“必然”を思います。

人は桜は長寿でないから美しいということをわかっているのでしょう。特に日本人はね。





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Posted on 2016/04/07 Thu. 23:54    TB: 0    CM: 2

新年度開始! 

新年度になりましたね。ちょうど桜も満開。

櫻

数か月振りのブログ更新です。世の中も相変わらずいろんな刺激的なことが続いていますが、去年の後半から私にも大きな波が訪れ、対応する過程で発生する目の前の課題を片づけるので精いっぱいでした。「株式会社マイランド」の会長を退き、人事コンサルと企業向けメンタルヘルスの株式会社ヒューマニーズの事業に専念することになったのですが、組織ウェルネス・マネジメントやコンサルティングからしばらく離れていたのでマーケットの変化にうまく適応できないもどかしさと戦っていました。目に見えないサービスはやはり難しい。まあそんなところです。

この間2人目と3人目の孫が生まれ、確実に次の世代が肥大(笑)して行ってくれています。頼もしい事ですが、自身の成長を実感するにはますます理性の力を必要とするようになってきています。そして余裕がなくなると理性の力は弱くなります。マズローの欲求5段階説で言えば、下位の充実感が増し上部の幸せ感が縮小しているのかもしれない。これを世代交代と言うのかもしれない・・

Atsumu Diversity   Natsuki Rei
(9人の孫ではありません)             (一姫二太郎です)

とりあえずブログ再開の挨拶ということで




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Posted on 2016/04/02 Sat. 12:39    TB: 0    CM: 0

すみだ Street Jazz Festival 

3か月近く放置したブログの再開です。特に大した理由もありませんが、起こることも、それに対して考える事も多く、言葉にするのが一度面倒になってしまうとつい時間を作ることに怠惰になってしまいました。“習慣は一度止めるといつまでも止められる。”
でもPWまで忘れていたので、生活からブログが無くなっていたと言う事でしょう。また時々アップ努力します。

我がサックスバンドの「Saxons」ですが、職人クラリネットとセミプロのベースにピアノが入ってくれて、サックス6管+クラリネット+リズム隊の総勢8人の編成になり、Jazzっぽいサウンドができるようになりました。5月の終わりに地元の音楽祭に出演、昨日は墨田区の「すみだStreet Jazz」で演奏してきました。錦糸町からスカイツリー辺りまでの多くの会場で数多くのアマチュアバンドがそれぞれのスタイルで演奏を繰り広げました。

すみだJazz#3   すみだJazz#2

音源を聴いた感じでは粗も目立って気になる個所も多かったのですが、会場は音もよく響いてくれて、それを多少は隠してくれたのではないかとは、友人のコメント。でもライブと言うのはハプニングが付きもので、今回は大きなアクシデントはなかったものの、風が強くて譜面の固定が大変でした。自然の影響を受ける会場はやはり音楽以前の対策が重要ですね。

次は10月の初めと11月終わりのイベント。このバンドにしては今年はイベントの多い年になりそうです。
譜面が間に合わないことが悩みです。

この前沖縄に行って来ました。終戦70周年と言う事で初めて糸満を訪ねたのですが、少し戦争に対する考えが変わりました。
その事を書こうとして筆が止まってしまいました。また今度整理して書こうと思っています。

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Posted on 2015/08/16 Sun. 19:03    TB: 0    CM: 0

NPT会議とオキシトシン ~進化が間に合わない人類~ 

最近読み終わった推理小説で、久しぶりに一気読みしたくなるような本がありました。ブレイク・クラウチの「ウェイワード -背反者たちー」(ハヤカワ文庫)。これはこの前作、「パインズ -美しい地獄ー」と言うのがあって、それを先に読んだ方が解りやすいのですが、そっちは少しバイオレンスが過剰で、ストーリーを追いながら早読みOKだと思います。

この物語は人類が滅んだ2000年後の地球の話で、荒唐無稽と笑い飛ばせない何とも言えないリアリティーがある怖い話です。少し辻褄のあっていない箇所もあるけど、考えさせられる事多し。

昨日の日経の「春秋」に、元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラの言葉、「人は憎むことを学ぶ。ならば愛も学べるはずだ。」というのが紹介されていました。そして190カ国が参加してニューヨークで開かれていたNPTの再検討会議が1カ月に及ぶ議論の末、3カ国の反対で決裂したというニュースが入ってきました。

またこれも本の話ですが、10年くらい前に話題になった「利己的な遺伝子」のリチャード・ドーキンスの講義録で「進化とは何か」というのを並行して読んでいました。

人は所詮進化の結果今に至っている“動物”で、競争を勝ち抜く利己的な遺伝子によって現在の繁栄を謳歌している訳です。ドーキンス流に言えば、「マンデラの言う“愛を人類が学ぶ”には、愛という“スキル”が最も種を長続きさせる技術であるという進化が必要」という事になります。

核不拡散条約が機能していないことと、未だに戦争がない世界が実現していないことは、“他人と共存することが最大の利益である”という「愛」という技術の評価がDNAの中で優位になっていないからなのでしょう。

出産で子宮が収縮するときや授乳するときに出るホルモンにオキシトシンというものがあります。「幸せホルモン」とも呼ばれているようです。例えばダンスをしたりハグしたりしても出るようです。DNAのメカニズムの中に、他人を受容したり自分が守られていると感じた時に出るホルモンで、ストレスを解消する効果があります。

動物としての種が残って行く上で、このオキシトシンという武器が必要であり、人間も大いにその効能を利用して繁栄してきたことでしょう。

そいう意味ではブレイク・クラウチの本のメッセージは、「人類は2000年後に滅んでいる。進化は失敗した。でもその2000年前の今の人間が、“それでも愛こそが生きるために最も必要なものだ”ということを、その2000年後に再確認している」って言うようなもので、結構ややこしい本なのです。

恋愛とか親子などの個と個が結びついて命をはぐくむメカニズムはあるのに、人が群れになって国家や民族になってその利害で対立するときの解消にオキシトシンは使えないのか?

人はそういう形で進化していない。あるいは「まだそこまで進化していない?」

クラウチの本は、「人は進化に失敗して結局滅ぶ」というもの。

人工知能が人を滅ぼすという説と、人の生活を利するという説
「ドローン」が生活を便利にするが事故を起こしてたりプライバシーを犯すという現実
子供を殺す母親にはオキシトシンが働かないのか、という問題

便利は不便になること? 進歩は後退? オキシトシンで核兵器は無くなる?

「進化が間に合わない人類」  そんなことを考える、ちょっと時間がある日曜日でした。

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Posted on 2015/05/24 Sun. 12:38    TB: 0    CM: 0

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